【70】帰還の報告
夜明けと共に、《月下舞踊》の高度が徐々に下がっていく。コートを黒に戻し、地面に着地してから《偽相盗用》を解除すれば、いつもの吐き気と不快感が俺を襲う。その場に崩れ落ちそうになるのを、ユーディアが肩を貸して支えてくれた。
「まさか巨大コウイカが追ってくるとは……」
「20階層をどうやって突破したんだよ、ほんと……」
もうあの化け物イカはこりごりだ。
コートの裾で頭の血を拭き取る。
魔力はカラカラ、怪我もしている。
それでも……あと少し歩けばミレアスだ。
ユーディアに肩を借りながら、ふらつく足で前へ進み続けて……
ついに、ミレアスの市民街へ辿り着いた。
「か、帰ってきたぁーー!!」
両手を上げ、生きている実感を噛み締める。
ローレン先生の時は本当に死ぬかと思ったが、何とかなってよかった!
ここまでくれば、人混みに紛れ込める。
実質、追っ手を完全に振り切ったのだ。
「ユーディア!」
「うむ」
片手を上げ、パン!とお互いにハイタッチする。
「しかし、まさか《偽相盗用》がローレン殿にも使えたとはな。確か、真似する相手の技能を打ち破る必要があるのだろう?一体、いつ条件を満たしたのだ?」
「ダンジョンに潜る直前に、ローレン先生ん所で《魔力操作》の個人授業を受けたの覚えてるか?」
「あぁ。だが、技能を打ち破るようなことなど、していなかったではないか」
確かにローレン先生と戦った訳ではない。
しかしーー1つだけ、やった事がある。
「《神の舌》を使って、ミルクティーを作っただろ?アレで条件を満たした」
「……は?あのミルクティーが、か?」
「あの紅茶ってさ、ローレン先生が《草木魔法》で作った自慢の一杯だっただろ。“これ以上に美味い飲み方はない”って言ってたやつ。でも、俺がミルクティーにして……そっちの方が美味いって認めたじゃん」
我ながら無茶苦茶な拡大解釈だとは思う。
けど――紅茶に関しては異常な執着を持っているローレン先生が、“敗北”を感じた。その結果、《草木魔法》を“打ち破った”と判定された……んじゃないかと思う。
実際、ミルクティーを飲んだあと、ローレン先生がその場に崩れ落ちた時――俺の魔力に妙な変化があった。まるで、楽器の弦を弾いたみたいに、魔力の表面が震えたのだ。
――あれが、《偽相盗用》の条件を満たした合図だったのかもしれない。
ユーディアの時は、そもそも魔力なんて感じられなかったから気づかなかったけど。
……そう考えると、“技能を打ち破る”って、ずいぶん曖昧な定義だよな。
「ミルクティー1杯で、ローレン殿を模倣出来るようになるとはな。相変わらず、アルノー君は面白い」
「今回のはたまたまだよ。正直、《偽相盗用》で戦い続けてたら……俺が負けてた」
所詮は劣化版の模倣だ。
オリジナルには、どうやっても及ばない。
あの一帯を溶岩に変えるなんて――俺には絶対無理だ。
「そういうユーディアだって、ローレン先生のあの音爆弾と閃光弾を最後避けてたよな?どうやったんだよ?」
目を閉じても眩しく、耳を塞いでも脳が揺れる。
正直、どうしようもない攻撃だったはずだ。
「単純な話だ。《無名讃歌》で、自身の視覚と聴覚を完全に遮断しただけだ」
「は?そんな事したら、何処にローレン先生がいるかも分からないだろ?」
「そこはコレだ」
ユーディアは自身の鼻をトントンと指で叩く。
「《魔力知覚》でローレン殿の魔力の“香り”を辿り、その濃淡で距離を測った」
「“香り”!?《魔力知覚》でそんなことできるのか!?いつの間に!?」
「こっそり鍛えていてな。フッ……師とは、常に弟子の一歩先を行くものだ」
ず、ずりぃ!俺だってまだ出来ないのに!
「ってか、“香り”だけで相手の距離を測るとか……普通無理だろ。お前って本当に器用なのか不器用なのか……」
「怪盗としての経験と、単に私が天才だからなしえる技なのだよ」
「へいへい……」
相変わらずの自己評価の高さだ。
でもまぁ、帰ったらやり方教えて貰おう。
そう思いつつ、二人で並んで市民街を歩く。
ザワザワと人の往来が増え始め、朝市の準備が始まりつつあった。
この賑やかな光景がなんとも懐かしく愛おしい。
「ーーよし!帰ろうぜ、ユーディア!」
眠くは無いが、魔力がもうすっからかんだ。
久しぶりにアジトに帰って、ゆっくりしたい。
だが――その言葉に、ユーディアがふと足を止めた。
気づけば、俺の方が少し前を歩いている。
「ユーディア?」
振り返り、ユーディアに声をかける。
「……帰る前に、まず皆へ生還の報告に行くべきだろう。きっと、我々は死んだと思われている」
「えっ?まぁ……いいけど……」
すっかり帰る気でいたから、少し拍子抜けする。
けど、確かにその通りだ。早めに報告しておいて損はない。
俺たちはそのまま、まずは近場の冒険者ギルドへと足を向けた。
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冒険者ギルドの中は、相変わらずの臭さで鼻が曲がりそうだ。
だが――中は、がらんとしていた。
以前訪れた時のような活気は、どこにもない。
おそらく、ほとんどの冒険者がまだダンジョン封鎖区画に詰めているのだろう。
広いホールの中、受付カウンターにぽつんと一人、受付嬢が座っている。
――あの人、俺たちの冒険者登録を担当した、新人の受付嬢さんだ。
「ようこそ、冒険者ギルドへ。本日はどのような……」
彼女は、こちらに顔を向け――言葉を止めた。
目が見開かれ、そのまま、じわりと涙が浮かんでくる。
「あ、あの……アルノーさん、ですか?」
「はい。……遅くなりましたが、ダンジョンから帰還しました」
コートの内側から冒険者札を取り出し、見せる。
本来であれば、帰還時はダンジョン封鎖区画の関所で手続きを行い、その情報がギルドへ共有される仕組みだ。
……だが、その関所はローレン先生に吹き飛ばされた。
だからこうして、直接ここまで来るしかなかった。
「わ、わ、わぁぁああんっ!生きてたんですね!!良かったぁ……!本当に、良かったぁぁああ!!」
やはり、死んだと思われていたらしい。
受付嬢はその場で、堰を切ったように泣き出した。
「あ、あのっ……アルノーさんはっ……私が初めて受付した冒険者さんだったのでっ……!ずっと、気にしてて……!だから、救助隊が見つけられずに帰ってきたって聞いた時は……ほんとに……っ、うぅ……わぁぁぁああん!!」
……どうやら、相当心配をかけてしまっていたようだ。
これだけ大声で泣いても誰も来ないあたり、今ギルドには彼女一人なのだろう。
「えーと……ダンジョン封鎖区画、今は手続きできる状態じゃなかったので……ここで直接、帰還処理してもいいですか?」
「も、もちろんです!」
慌てて涙を拭いながら、書類を取り出し、俺の前に差し出してくる。
「ここにお名前をお書きください。あっ、報告書は落ち着いてからで大丈夫ですよ!ギルドマスターにも伝えておきますので!えーと、それから……」
パタパタとカウンターの奥を走り回り、やがて一枚の金属プレートを持って戻ってきた。
俺の名前が刻まれた、Gランク冒険者のネームプレート。
死んだ者として、名簿から外されていたのだろう。
「こちら……また張り出しておきますねっ!取っておいて良かったぁ……」
そう言って、受付から出て壁へ向かおうとする。
「あ、ちょっと待った!」
「はい!なんでしょう?」
「コイツ……ユディの分、忘れてるよ」
俺は、隣にいるユーディアを指さした。
「えーと……どなたです?」
受付嬢は、小さく首を傾げる。
「えっ?いや、俺と一緒に受付したユディですよ。備考欄がびっちり埋まってた方」
そう言っても――反応は薄い。
ぱちぱちと瞬きをするだけだ。
「あの……私が受付した時、アルノーさん、お一人でしたよね?」
「は?いや、そんなはず……」
――そこで、思い出す。
ユーディアの《無名讃歌》。
“顔を覚えられにくい”という、あの能力。
それできっと忘れられたのだろう。
「ほら、書き損じて、もう一枚書類もらったやつがいたじゃないですか。そいつですよ」
ユーディアが職業欄に“怪盗”と書いて、俺がそれを塗りつぶしてーー2枚目をもらったのだ。
あれなら、さすがに覚えているはずだ。
だが。
「え?書き損じたのも、アルノーさんでしたよね?」
「…………は?」
「アルノーさんが書き損じて、書き直したんじゃないですか?私、ちゃんと覚えてますよ」
にこり、と。
何の疑いもなく、そう言って――彼女は俺のプレートだけを壁に貼り付けた。
ぺたり。
小さな音が、静かなギルド内でやけに大きく響く。
「えっと……ほら、ユディが“俺より上に貼れ”って、面倒なこと言って……」
「???あの、何のお話です?」
本気で分かっていない顔だった。
作り笑いでも、誤魔化しでもない。
ただ純粋に――“知らない”という表情。
「私が初めて貼ったプレートは、アルノーさんの1枚だけですよ?」
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冒険者ギルドを出た直後、不意に声をかけられる。
「アルノー兄ちゃん!?」
「アルノーおにーちゃん!」
少しボッーとしていた俺は、ハッとその声へ振り返った。
そこには、リナ、エド、ユノの3人組が立っている。
「……お前ら」
声をかけるよりも早く、エドとユノが駆け出した。
そのまま勢いよく、俺の腰に抱きついてくる。
「兄ちゃん!どこ行ってたんだよ!本当に心配してたんだぞ!」
「だいじょーぶ?いたいとこない?へいき?」
「あっ……あぁ、平気だよ。大丈夫」
「良かった!みんな、兄ちゃんが死んだみたいに言ってて、オレ、信じられなくて……」
エドは俺に抱きついたまま、リナへ振り返る。
「ほら!姉貴!オレの言った通りだったじゃん!アルノー兄ちゃんはこんなんじゃ死なないって!!」
そう声をかけると……
「アルノーッ!!」
リナが、ものすごい勢いでこちらへ歩み寄ってきた。
鬼気迫る表情に、思わずエドとユノが離れる。
俺も一歩引きそうになった、その時――
ぎゅっ。
両手を、強く握られた。
「生きてる……生きてる!!ごめん、本当に……ごめん!」
泣きそうな顔で、リナは俺を見上げる。
「な、なんだよ、リナ。どうした?」
リナは唇を噛み締め、何度も首を横に振る。
「あたしが……あたしがあの時、引きずってでも一緒に帰っていれば……アルノーが死ぬことはなかったって……ずっと、ずっとそう思ってて……!」
「お、落ち着けって。俺は生きてるよ」
「そうだね……そう、だね!夢じゃない、んだね……!」
リナはぎこちなく笑う。
その目にうっすらと涙が浮かんでいた。
「これで、やっと借りが返せるよ。アルノーは、あたし達の命の恩人なんだからさ」
「あー、いや待てって。ユディも一緒に助けただろ?」
何気なくそう訂正すると――
三人の動きが、ぴたりと止まった。
「……ユディ?誰だい、それ」
「オレ、知らないよ。そんなやつ」
「わたしも……しらない」
口々にそう言った。
――空気が、少しだけ冷えた気がした。
「いや、ほら……一緒にいたじゃん。リナと合流して、エドとユノを回収してさ。亜種スペキュラスの足に紐括りつけたやつ」
あの時の事を説明する。
だが――3人は、揃って首を傾げた。
「何を言ってるんだい?エドとユノを回収したのは、あたしだよ?それに、紐を括り付けるって何さ?」
「…………は?」
思考が、一瞬止まる。
「あたしらを助けた時、アルノーは1人だったじゃないか。その後、ダンジョンを1人で進むのは危ないし、ダンジョンの魔物が活性化しているから一緒に地上へ帰ろうって、あたし言っただろ?」
リナは不思議そうに続けた。
「スペキュラスの気を引くのも、倒したのも、全部アルノーが1人でやったんじゃないか。あぁ、あと凄まじい数のシーフラも居たね。1人でよくあの群れを手懐けたもんだよ」
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俺たちはリナたちと別れ、クラリスさんのエヴァレット旧蔵店がある商業街へ向かって、大通りを歩いていた。
人通りは徐々に増え、朝の活気が戻りつつある。
その中で――俺は、無言で隣を歩くユーディアに向かって口を開いた。
「……み、みんな、薄情だよな。いくらお前が影薄いからってさ、あそこまで綺麗に忘れるか?普通……」
軽口のつもりだった。
……だが、返事はない。
「……おい、ユーディア?」
振り返ると、ユーディアは足を止めていた。
そして――通りの脇、店と店の隙間にある“壁”を、じっと見つめている。
「……どうした?」
俺も視線を向ける。
だが、そこにはただの壁しかない。
「なんかあったか?」
問いかけると、ユーディアはゆっくりとこちらを向いた。
「……いや」
短く、それだけ言う。
視線をもう一度チラリと壁に向けると、
「行こう」
何事もなかったかのように歩き出した。
――その顔は、
これまで見たことがないほど、感情が抜け落ちていた。




