【61】地底湖
翌日。
俺たちはキャンプ地から1時間ほどかけて地底湖に到着した。見渡す限り真っ暗な洞窟だが、水が淡く光っている為か意外と明るい。
その縁に、ナシェルの民が一晩で仕上げた巨大なイカダが横たわっていた。太い丸太を幾重にも組み、蔓で強固に縛り上げた代物だ。それをザブン、と湖へ入れ、俺たちは順番に乗り込んだ。
イカダに乗るのは初めてだが、思ったより安定している。……とはいえ、屈強なナシェルの民36人に俺たち2人。さすがに重量オーバー気味で、水面がすぐ足元にある。少しでも傾けば沈みそうな高さだ。
俺とユーディアは濡れないよう、中央に組まれた一段高い席へ案内された。
即席の“特等席”らしい。
「なぁ、ネフィル。これ、どうやって動かすんだ?オールとかないだろ?」
「我々が交代で押します」
その言葉と同時に、4人ほどのナシェルの民が迷いなく湖へ飛び込んだ。彼らはイカダの縁を掴み、そのまま泳ぎながら前方へ押し始める。
――は、速ぁ!?
水しぶきを上げながら、イカダは一気に加速した。
もはや丸太製のクルーザーだ。
「……とりあえず、定期的に技能での上層への道の確認しなきゃだよな」
「ふむ。では、私は方角を担当しよう」
ユーディアが《深度計》を取り出し、そこについたコンパスで方角を確認する。
こうして俺たちは――
大海原ならぬ、大地底湖へと船出した。
爆走するイカダの上で、3日が過ぎた。
ナシェルの民は交代制で湖に入り、朝から夜までほぼノンストップで押し続ける。
休憩要員はイカダに上がり、再び別の者が湖へ飛び込む。そのガッツと連携には脱帽ものだ。
そんな中で、俺の役割は2つしかない。
ひとつは、コートで水上テントを展開し、数人が濡れずに休める空間を維持すること。
もうひとつは、食事の準備と、毎朝の《空間読解》くらいだ。
だが、水上テントの維持と技能使用で魔力を消耗するため、俺の魔力は常に6~7割止まりだ。
全快する暇がない。
そして、4日目の朝がやってきた。
「……今日もダメかぁ」
技能を解除した反動でぐったりした俺は、椅子の上で横になっていた。俺の《空間読解》では、多分東京から名古屋辺りまでの距離を移動したはずだが、一向に出口も陸地も見えてこない。
「しかも、こんなにも広いのに魚が居ないとはな」
ユーディアが不服そうに眉をひそめる。
ーーそう。
この地底湖、魚が一切居ないのである。
なので、「魚が獲れたらブイヤベース」とユーディアに言っていた約束は、未だに果たされていない。
代わりに味噌汁を出したら、ユーディアから露骨に不満そうな視線を向けられた。だが仕方ないだろう。魚介のないブイヤベースは、卵のないオムライスみたいなものだ。そこは譲れない。
今日も一日、何事もなく過ぎるかもしれない。
……そう思った、その瞬間だった。
ナシェルの民とユーディアが、ほぼ同時にビクリと身を震わせた。屈強なナシェルの民たちだけでなく――あのポンコツ怪盗までもが、だ。
「おい、どうし――」
「コートッ!!」
俺の言葉を遮る絶叫。
次の瞬間、コートがシュルリと広がり、イカダ全体を球状に包み込む。
――直後。
ドォォォオオオンッ!!
とてつもない衝撃。
イカダが、下から何かに打ち上げられた。
視界が一気に跳ね上がる。
重力が消え、体が浮く。
もしコートの防御がなければ、今の一撃でイカダは空中分解していた。
高所から湖面へ叩きつけられる。
ドンッ、ザバンッ、と衝撃が連続し、何度も内臓が揺さぶられる感覚。
イカダも、俺たちも、全員無事だ。
コートがほどけ、外界が露わになる。
「一体、何が――」
体勢を立て直し、周囲を見渡す。
その時、少し離れた水面が、不自然に盛り上がった。
ぐわり……
次の瞬間、爆発するように水柱が上がる。
現れたのは、見上げるほど巨大な茶色の体躯。
胴の周囲を取り囲む、無数の黄色い目。
ギョロリ、と一斉に蠢めき、周囲を見渡している。
そして、触手の先……そこには、銃口のような穴が開いていた。
――ニュル……
その姿を見た瞬間、背筋が凍る。
地下38階層で遭遇した、あの巨大コウイカだ。
黄色い眼が、ゆっくりと俺とユーディアを捉える。
ナシェルの民には視線を向けてもいない。
嫌な予感が、確信へと変わる。
「……まさか」
「――俺たちを、追ってきた!?」
37階層へ至る道は一つではなかったが、別ルートはかなりの大回りになるはずだ。普通なら、数週間はかかる。
それをこいつは、俺たちを仕留めるためだけに回り込んだのか。
「“執着のゾル・アグディル”……! ここで出会うとは……!」
ネフィルの声が震える。
「知ってるのか!?」
「『エル=ナシェルの民』にかつて終焉をもたらした、生ける災厄です……! 縄張りを侵した者に襲いかかり、その者の一族を皆殺しにするまで止まりません!」
「何それこわ!?」
最悪だ。しかも足場は水上のイカダ。
周囲に岸はない。
逃げ場なし。
――絶体絶命。
「ギィェエエーーー!!」
数名のナシェルの民が雄叫びを上げながら、躊躇なくイカダから飛び出す。水面を蹴り、巨大コウイカへ一瞬で距離を詰めると、太い剛腕が唸る。
本来なら数メートル吹き飛ばす威力の打撃。
だが、ドン、と鈍い音が響くだけで、巨体はわずかに震えるのみ。傷一つない。
「伏せてください!」
ネフィルが叫び、片手を掲げる。
巨大な火球――直径2~3メートルはありそうだ。
それを全力で巨大コウイカに投げつけた。
豪速球で火球が飛び、ぶつかった瞬間に爆ぜる。
赤い炎が巨体を包み込んだ。
「あっつぅ!」
湖面が赤く染まり、周囲を熱風が吹き荒れる。
だが、炎が収まった後に現れたのは無傷のコウイカボディ。焼きイカのような焦げ目すらない。
「やはり……効きません!」
「ネフィル! その“執着のゾルなんとか”って他に何か特徴あるのか!?」
「申し訳ありません、我々も詳しくは……ただ、異常なほどの物理耐性と魔法耐性を持ち、当時のエル=ナシェルの民ですら為す術がなかったと……!」
何だよその化け物!?なんでこんなのがいるんだ!?
いや、ダンジョンだからこそなのか……!?
その時、巨大コウイカの体に跳ね飛ばされ湖中へ落ちたナシェルの民の一人に、巨大な影が迫る。下から伸びる巨大なイカ足が、ドォン!と彼を上空に跳ね飛ばした。
宙を舞うナシェルの巨体。
「くっ!」
ユーディアが技能を発動し、水面を疾走する。
そして、高く跳躍をすると空中のナシェルの民を掴んだ。俺は即座にコートをクッション状に広げ、2人を受け止める。
ドサッ、と重い衝撃。
「ユーディア様!救世主様!ありがとうございます!」
「いいから体勢立て直せ!」
どうやら無事のようだ。
他のナシェルの民が、気を引かんと立て続けに巨大コウイカへ飛びかかる。
――だが、相変わらずダメージはほとんど入っていない。
「アルノー君!技能を許可する!《水上闊歩》を使え!」
「了解!」
とにかく足場の少ないイカダに乗っていては、集中砲火を受ける。俺は一瞬で隣にやってきたユーディアの手を掴むと、魔力をなるべく薄めて体を覆う。
ーー魔力充填率50%
「《偽相盗用》」
マゼンダ色に変化した俺の魔力が全身を覆い、独特の万能感と自己肯定感に満たされていく。
何度も何度も《空間読解》の為に《偽相盗用》を使ったおかげで、今ではかなり魔力を制限して使えるようになった。おかげで継続時間は伸びたと思う。
だが、一つ問題があった。
「《水上闊歩》」
そう呟いて水の上に足を出すが……
ズブリ……
……まるで、ぬかるみに足を取られたかのように、足が沈んでしまった。
《偽相盗用》は、あくまでも真似した相手の技能を“劣化状態”で再現出来る。
だが、この技能には魔力を入れれば入れるほど、オリジナルと同レベルの能力を使えるようになる……が、とにかく燃費が悪い。
ユーディアと同等のレベルを使おうとするなら300%超くらい魔力を詰め込まなくてはならない。
そんなことすれば、数分で魔力切れになって詰みだ。
なのでーー
「《怪盗歩行》」
沈みきる前に次の一歩を踏み出す。
水面に触れる時間を最小限に抑え、跳ねるように連続して足を出す。水上を駆けるというより、限界ジャンプの連続だ。
ユーディアのような優雅さはないが、そこそこの速度で走ることが出来る。
黄色い目がギョロリ、と俺を追従してきた。
無数のイカ足が湖面からニュルリと生えてくる。
その先端にはーー銃口のような穴。
ドドドドドドドッ!!!!
「ワァァァアアアア!?!?」
懐かしいイカ墨のマシンガンが放たれる。
《怪盗歩行》を連続発動しながら、紙一重で回避する。一歩でも遅れれば、穴だらけだ。
ユーディアが巨大コウイカの気を引こうと、反対方向から飛び上がって投げナイフを3本、指に挟んで構える。
「イカよ!こっちだ!」
腕を横へ薙ぎ払い、投げナイフを巨大コウイカへ放つ。
ーーそれは、巨大コウイカの横を通り抜け、俺のコートに全弾命中した。
「お前ワザとかよ!?」
「まさかあの巨体で避けるとは……」
「避けてねぇーーーッ!二度と使うなアホォ!」
あとで全部没収してやる!
そう息巻いているとーー
ドォンッ!!
足元からイカ足が突き上がって、俺を上空に吹き飛ばした。
「うわぁっ!?」
コートで衝撃は防いだが、反動で体が高く打ち上げられる。
くそ!
物理も魔法もダメならーー弱点を作ってやる!
「ーー《致命顕現》ッ!」
奥の手である技能名を呟き、巨大コウイカの弱点を探ろうとした。
……しかし、俺の魔力が動かない。
「ちっ……《致命顕現》ッ!」
もう一度言うが……技能が発動しない。
な、何故!?スランプ!?
狼狽えてしまった、その一瞬だった。
空中を舞う俺へ、巨大なイカ足が横殴りに叩きつけられる。コートで防いだのにも関わらず、骨まで震えるような凄まじい振動と魔力が削られる感覚に、思わず《偽相盗用》を解除してしまった。
そのまま、水面に叩きつけられる。
ドォオオンッ!!
爆発音のような音ともに着水し、俺の魔力がごっそり持っていかれる。
コートが瞬時にイカダに変化したが、全身ずぶ濡れだ。《偽相盗用》の反動で、すぐには立てない。
……魔力があと3割しかない。
いや、それより……
《致命顕現》が使えなかった。
「何が原因だ?どうしてーー」
コートのイカダの上で呆然としていると、
「アルノー君っ!動け!」
ユーディアの叫び声。
直後、
ドドドドドドドッ!!!!
イカ墨マシンガンが俺に降り注ぐ。
すぐにコートで防ぐと、隣にユーディアがパッと現れ、肩に手を置いた。
「《無名讃歌》」
途端に、イカ墨マシンガンが、コートごと俺たちの体を通り抜ける。
《無名讃歌》により巨大コウイカは俺たちを見失ったのか、ギョロギョロと黄色い目を四方に散らしている。
その隙に、ナシェルの民達がステゴロで飛びかかっているのが視界の隅で見えた。
ぐったりと俺はコート製のイカダに倒れ込む。
「《水上闊歩》はどうした?」
「技能解除しちまって……それより俺、さっき技能が使えなくてーー」
「あぁ、見ていた。《致命顕現》を使おうとして失敗してたな」
「技能が使えなくなることなんてあるのか?あれから一回も使わなかったせいとか?もしかして、消えたとか……」
困惑した顔で俺が聞くと、「安心しろ」とユーディアが言う。
「一度入手した技能が消えることはない。先ほどの失敗は、《偽相盗用》のせいだろう」
「なんで……」
「その技能は、“私になりきる”ものだろう?なら、“私が使えない技能”は使えないのではないかね?」
……。
…………。
「ーー使いにくぅっ!!」
《怪盗系統》も癖が強いが、俺の技能も大概だった。
ということは、今の状態ならーー
「《致命顕現》ーー」
俺が技能名を呟くと、魔力がゆらりと動いた。
ーーいける!
目に魔力が集まってくる。
直感的に、この状態で見た者の弱点が見えるーーそう理解できた。そのまま巨大コウイカへ視線を向けようとした瞬間、
ドォォオオオンッ!!!
巨大コウイカがイカ足をばたつかせ、水面が激しく波打つ。水面下から飛び出してきたイカ足がたまたまイカダにぶち当たり、俺たちを宙へ跳ね上げた。
そのせいで《致命顕現》で巨大コウイカを見る前に視線が外れる。
「「どわぁぁああ!?!?」」
そのままユーディアと空中に再び放り出された。
高々と放り出されたせいで、今まで高くて見えづらかった天井が質感までハッキリと見える。
ーーその時。
ポワ……と、天井の一部が光った。
《致命顕現》の効果だ。
「……まさか」
「アルノー君、どうした!?」
「ユーディア!《天蓋疾走》を!」
俺が言うと、すぐさまユーディアが天井に重力があるように立つ。俺はそのユーディアの腕に掴まった。
「ふんぐぬぬぬ……!!」
筋力ひよこにぶら下がりながら、俺は魔力を注ぐ。
「《落下猶予》!」
フッ、とユーディアが安心したように力を抜いた。
「腕がちぎれるかと思った……」
「やっぱベレー先生の講義受けるべきだって」
俺は《落下猶予》で落ちるまでの時間を伸ばしつつ、コートから両手いっぱいのクリスタルを取り出した。
威力はこれでギリギリ足りるかどうか……!
クリスタルをポワ……と光る天井に押し当てるようにして、《落下猶予》で天井に留める。薄く魔力を纏わせ、俺と魔力の線で繋ぐようにした。
ーー魔力の色は、赤。
「OK!ユーディア、すぐに離れろ!」
「着水は任せるぞアルノー君!」
ユーディアは俺を掴んだまま天井を蹴り、猛スピードで落下していく。
クリスタルが落ちる前に、俺は魔力の線を通じて、クリスタル周辺の赤い魔力を思いっきり圧縮した。
バゴォォオオオン!!!!
天井が真っ赤な爆発に包まれ、大量の破片と共にパラパラと崩れ落ちる。
ーーその先には、上層らしき草原地帯がチラ見していた。




