【60】ダンジョン地下20階層
「……読解完了」
《空間読解》を解除した瞬間、脳をかき回されるような不快感が襲う。
だが、待機していたナシェルの民が即座に俺を支え、そのまま石の玉座へと運んでくれた。
「救世主様、こちらを」
「あんがと」
すっかり公用語が板についたネフィルから、トゥーチを受け取り齧る。糖分が脳に回るのを感じながら、俺は脳内に展開された地図を確認した。
「……マジか」
「どうしたのだ、アルノー君」
「今までで一番厄介な階層だ」
目を閉じ、もう一度、全体像を整理する。
――ダンジョン地下20階層。
そこは、果ての見えない地底湖だった。
周囲には発光キノコが群生しており、今いる岸辺はまだ明るい。だが少し進めば、視界を全て覆うほどの巨大な湖が広がっているはずだ。
これまでで最大規模の階層。
水深も異様に深くて分からない。
地下21階層へ水が漏れていないのが不思議なくらいだ。
地面と天井を繋ぐ石柱が点在しているが、基本的に遮蔽物は少ない。天井もかなり高く、きっと上を向いても暗闇に溶けて見えないだろう。
地底湖というより――真夜中の大海原だ。
そして、何より問題なのが……
「……上層へ続く道が見つからない」
「何だと?」
「正確には、《空間読解》でこの階層の全域を把握できなかった」
魔力の6割を削って、かなり無理をして限界まで範囲を広げた。本来なら、日本の関東から関西あたりまでを把握できる規模だ。
それでも、足りなかった。
こんなの、下手をすれば太平洋級の広さがある。
「それでも進むしかあるまい。湖上を移動しつつ、定期的に《空間読解》で出口を探すしかないな」
「本気か? ミレアス1000個分は軽く超えてるんだぞ?」
下手をすれば海上遭難だ。
もちろん、助けに来てくれる海上保安庁なんて存在しない。
俺が途方に暮れている一方、ユーディアは特に気にしてない様子だ。
「私はアルノー君の幸運を信じているからな。きっと何とかしてくれるのだろう?」
「他力本願ッ!」
なんてお気楽な奴だ。
俺の頭の中の地図を見せたら、絶対オワタ顔になるぞ。
「それにしてもどうやって湖を渡るよ……?」
「アルノー君のコートで船を作ってはどうかね?」
「アホかッ!さすがに魔力が枯渇するわッ!」
36人の屈強なナシェルの民と大の男2人。
それらが乗れるような船をコートで出すとしたら、1~2時間で俺の魔力が枯渇して、全員もれなく海の藻屑だ。
「救世主様、この先にある湖を渡るのでしたら、しばしお時間をください」
「……何か案でもあるのか?」
ネフィルは頭を下げ、恭しく手で三角形を作り、横に動かした。
「船を造ります。周囲に大木が数本確認できました。道具がありませんので粗削りになりますが、浮くものは用意できます」
「ふむ。採用」
「は!?」
「ありがとうございます!では、1日ほどお待ちください」
「はぁ!?」
ユーディアが勝手にGOサインを出し、ネフィルがウキウキと仲間の元へ戻っていく。おいこら、救世主様は俺じゃなかったのか?
「っはぁ〜……もう分かった、分かりました。行けばいいんだろ?大海原へ……」
海賊王になるつもりはないのに出航が決まってしまった今、俺はみんなの決定に粛々と従うほかなかった。
ありったけの夢をかき集めて行くしかない。
「ふむ。そうと決まれば湖の上で料理は出来んからな。簡単にサンドイッチを作り置きしておくか」
「完全に遠足気分じゃん、お前……」
もはや俺は羅針盤、ユーディアは料理番だ。
ナシェルの民が頼もしすぎて、完全に役割分担が出来上がっている。
ユーディアがコートに指示を出そうと近づいてきた瞬間――俺はその腕を掴んだ。
「何をするのだ?」
「おい……ちょっとプチ冒険に付き合え」
「は?」
俺はユーディアを引きずって、脳内地図で気になっていた方へ向かった。
「何処に行くのかね?」
「実は……この先に、妙な横穴がある。それも、天然にできた感じじゃなくて……人工的に掘られたような感じなんだよ」
「っ!」
ユーディアが息を呑む。
前人未到の地下二十階層。
しかも、上層への道すら見つからないこの場所に――
“人の痕跡”がある。
いったい、誰が。
どこから、ここへ辿り着いたのか。
「ここだ」
岩肌の一角。
そこに、左右対称にぽっかりと口を開けた横穴があった。荒々しく削ったというより、丁寧にくり抜いた印象だ。内壁は驚くほど滑らかで、凹凸がほとんどない。
ユーディアが壁面に触れる。
「……技能か? いや、違う。この周囲の土に別の魔力……“混ざりもの”がある。土魔法……かもしれん」
俺たちは顔を見合わせ、穴の奥を覗き込む。
真っ暗だ。
俺はコートからカンテラを取り出し、明かりを灯した。
俺たちは顔を見合せ、ゆっくりと中へ足を進める。
揺れる橙の光が、人工の通路を照らす。
慎重に足を進めると、すぐに少し開けた空間へ出た。
かまくらの内側のような、半円状の空洞。
壁も天井も、やはり滑らかだ。天井は低く、ぎりぎり頭がぶつからない高さ。内部には、壊れた道具の残骸。そして、何度も焚き火をした痕跡。
……生活していた形跡だ。
その一番奥。
壁際に、くしゃりと落ちている布切れがあった。
人間の服――その、成れの果て。
喉がひくりと鳴る。
俺は恐る恐るカンテラを近づけた。
服の周囲には、黒く変色した染み。
その染みは入口の方へ……引きづられたような跡を残していた。
それが何なのか悟った瞬間、一気に吐き気が込み上げる。
「うっ……」
必死に口元を抑え、逆流する胃の中のものを押し戻す。
骨は残っていない。
襲われたのか。
あるいは、息絶えた後に喰われたのか。
いずれにせよ――ここにいた“誰か”は、帰れなかった。
俺たちは、どこか観光気分で進んできた。
だが、これが本来のダンジョンだ。
……それを、まざまざと見せつけられているようだった。
「アルノー君、外に出ているかね?」
ユーディアが心配そうに俺を見るが、首を横に振った。俺が見つけたのだ。最後まで責任をもって見届けなければ。
「……俺も居るよ」
「そうか。なら、手早く済ませよう。ーー《注目律》」
ユーディアの魔力が瞳に集まり、マゼンダ色の瞳が淡く光る。少し眉をひそめたユーディアは、汚れた服の断片を少し払い除けた。
「……悲観、孤独、絶望、 そして……何より家族や友人達を案じていたようだ。ここに、この者の意識が集中している。……心の優しい人物であったのだろう」
ユーディアが地面の一部を指さす。
そこには、地面に何かの文字が残されていた。
小石で必死に書き残そうとしたのだろう。
だが途中で乱れ、潰れ、ほとんど読めない。
それでも俺はカンテラを近づけ、目を凝らした。
――そこに、何が書かれているのか。
「……騙され……飛ば……私一人……ダンジョン地下25階層……って、この人、地下25階層から来たのか!?」
思わず声が上ずる。
俺たちはナシェルの民の力を借りて、ほとんど危なげなく踏破してきた。
だが――単独では絶対に不可能だ。
それをこの人物は、《空間読解》もなく、万全な装備もなく……たった一人で20階層まで辿り着いたというのか。
平民に出来る芸当ではない。
俺は裂けた服の断片をつまみ、灯りにかざした。
細やかな刺繍。
繊細な織り目。
明らかに上質な布地だ。
近くには、見覚えのある装置の破片。
……俺がクラリスさんから借りたものと同型の《深度計》が、粉々に砕け散っている。
「……貴族かもしれん」
ユーディアが低く呟く。
俺も静かに頷き、かすれた文字の続きを追った。
「湖……上へ行けな……怪我……ここまで……救助……来ない……」
湖を越えられず、ここに籠城していたらしい。
怪我も負っていたのだろう。
前人未到の地下20階層。
救助など来るはずもないと、悟ったのか。
そこから先の文字は、さらに乱れていた。
「サリ……、……ワード、……ィーノ。すまない……父は帰……にない。気をつ…………あれは恐…………私で……ない……」
名前だろうか。
家族への言葉だろうか。
判別できない文字列の中に、確かに“誰か”への想いが滲んでいる。
だが、その下。
そこだけは、強く、深く、書き殴られていた。
掠れもなく、はっきりと読める。
「帝国……《定理所有者》」
その単語を見た瞬間、ユーディアの肩がわずかに震えた。
「……まさか、帝国の《定理所有者》がこの者を?」
「分からない。……下にこの人の名前が書かれていたみたいだけど、もう消えてて読めない」
帝国。
そういえばダンジョンに入る前にポーターさんが、「帝国で未登録の《定理所有者》が発見された」と言っていた。
もしかして何か関連が?
じゃあ、この人は帝国の人?
だとしたら何でアーヴァンテール王国のダンジョンに?
そもそも、どうやってこんな地下へ……?
グルグルと思考が巡り、俺は頭を振って一旦それを追い出す。
「この人もダンジョンの外に連れていこう」
「……そうだな」
きっと、帰りたかったのだ。家族の元へ。
こんな場所で、誰にも知られず消えるのはあまりにも寂しい。身元が分かれば、せめて遺族へ届けてあげよう。
俺は静かに手を合わせ、短く黙祷した。
それから、服の残骸をコートへ取り込む。
すると、
カツンッーー
服のポケットに何か入っていたのか、地面に何か硬いものが落ちる。
しゃがんで拾い上げてみるとーーそれは、指輪だった。
乳白色のオパールのような小さな魔石が付いている。とても上質な魔石らしく、こんなに小さいのにも関わらず内包する魔力が桁違いだ。
内側に何かの紋章が刻まれている。
この人の遺品だろう。
俺はそれを同じくコートへしまった。
立ち上がった瞬間、ぽん、と肩に手が置かれた。
ユーディアだ。
……あいつなりの気遣いなのだろう。
本当に、分かりにくい奴だ。
「……戻ろう」
「そうだな」
横穴を出て、ナシェルの民の元へ向かう。
だが、足取りはどうしても重くなる。
親戚の葬式に出たことはあるが……ああして、死の痕跡を間近で見たことはなかった。
それも、無念を抱えたままの最期だ。
家族の名を書き残し、帰れないと知り、絶望しながら消えていった。
……下手をすれば、あれは俺だったかもしれない。
背筋がぞくりと粟立つ。
たまたま、運が良くて俺たちは生きているようなものだ。
何か一つでも違っていたら……選択を誤っていたら……
ダンジョンから帰るまで押し込めておこうとした恐怖が、今になって顔を出した。
「アルノー君。明日の夕食は何かね?」
「は?なんだよ突然……」
沈みかけていた思考が、強引に引き戻される。
朝食だってトゥーチを齧っただけだ。
今夜の献立すら決まっていないのに、明日の夕食って……
「まだ決めてねぇよ、そんな先のこと」
「構わんだろう?未来の楽しみを一つ作るくらい」
ユーディアはフン、と鼻を鳴らす。
「前を向けない時は、未来の話をしよう……だったか?」
「そんな何日も前に言った言葉……よく覚えてるな」
「何せ、天才なのでな」
ニヤリと笑い、俺の背中をパシッと叩く。
「安心したまえ。今の君は一人ではない。あの屈強なエル=ナシェルの民がいる。そしてーー頼れる師匠もな」
叩かれた勢いで、自然と背筋が伸びた。
どうやら無意識に背を丸めていたらしい。
「共にダンジョンを出よう。きっと大丈夫だ。なぜならば――」
「怪盗に“不可能”はない、だろ?」
俺が先に言うと、ユーディアは満足そうに頷いた。
「よろしい」
そして、いつもの調子に戻る。
「さて、戻ったらサンドイッチの量産だ。湖上でも食べやすいようにな。君もそろそろ左手が使えるのではないか?」
そう言われ、俺は左手を何度か開閉してみる。
まだわずかに引きつる痛みはある。だが傷は塞がっているので、包帯もそろそろ外せそうだ。
「大丈夫だ。皮剥きくらいなら手伝える。それと……」
俺はユーディアに向かって、わざとらしく笑ってみせた。
「明日、湖で魚が獲れたら……夕食はブイヤベースにしよう」
「おおっ! それは素晴らしい!」
途端に、ユーディアの足取りが軽くなる。
本当に、食いしん坊の怪盗だ。
だが、おかげで……さっきまで指先を震わせていた恐怖が、いつの間にか薄れていた。
失意のまま命を落としたあの貴族の分まで、俺たちは生きて帰ろう。
大丈夫だ。
きっと帰れる。
自然と、そう思えた。
……たまにはちゃんと師匠らしいことをするじゃんか。
苦笑しながら、俺たちは皆が待つキャンプ地へと向かった。




