【54】互いの身の上話
コートを風呂釜のような形に変え、俺は湯に浸かっていた。魔力を流し続ける必要があるため、風呂釜から伸びた紐が左腕に巻き付いている。
雨で冷え切り、さらに半日近く技能を使い続けてヘトヘトになった体に、温かい湯がじんわりと染み渡っていく。
時折、遠くからドォーンドォーン……と鈍い音が響いてくる。
だが距離はかなりありそうだ。
しかも、周囲には他の生き物の気配がまったくない。
――ここは比較的安全地帯。
そう判断し、俺はこうしてのんびり風呂に入っているわけである。
「早く上がってくれ。風邪をひきそうだ」
濡れた服を焚き火で乾かしながら、びしょ濡れのユーディアがジトッとした目でこちらを見る。
仕方なく、体が温まったところで軽く体を洗い、コートを桶に変えて湯をかぶる。
持ってきていた着替えに着替えると、今度はユーディアが風呂に入った。
「……はぁ〜……ダンジョンで風呂など、最初は笑えたが……なかなか馬鹿にはできんな……」
「だろ? 感謝しろよ」
普通なら、貴重な魔力を風呂などに使わない。
節約し、いざという時の魔物の襲撃に備えるものだ。
しかし、ここには――アホほど魔力がある俺がいる。
風呂上がりにトゥーチを齧りながら、俺は火の番を交代した。
巨大コウイカは、とにかく執念深かった。
半日ものあいだ密林を追い回され、上層への狭い入口に飛び込んでもなお、体をねじ込ませて追ってこようとしたのだ。
上層への道は、石柱内部に空いた垂直の穴だった。
俺は《偽相盗用》を使い、ユーディアと共に《天蓋疾走》でその内壁を駆け上がった。
さすがに垂直の筒までは移動できなかったのか、巨大コウイカは触手の先端をこちらへ向け、狭い石柱内へ縦横無尽にイカ墨マシンガンを撃ち込んできた。
だが、俺たちが登り切ると攻撃は止んだ。
ようやく諦めたらしい。
というわけで、俺たちは少し離れた壁際で休憩を取っていた。
「なぁ、あのスコール、マジで階層が沈みそうだったけど……その下の地下39階層も水没すんのかな?」
「ハッ、かもな。だとしたら、ダンジョンの最下層はきっと深海だろう」
鼻で笑いながら、ユーディアはシャンプーで髪を洗う。
濡れる前にユーディアが集めておいてくれた枝のおかげで、なんとか焚き火は維持できているが……。
俺は周囲を見回した。
――ダンジョン地下37階層。
そこは草木が一切生えていない、岩だらけの“洞窟”だった。
地面は灰色の岩肌がむき出しになり、クレーターのようなデコボコのせいで起伏が激しい。
……ここでは、食料はおろか、焚き火用の枝すら手に入らないだろう。
ある意味、俺たちが落ちたのが38階層で良かった。
気温も、下の亜熱帯階層と比べると洞窟らしくひんやりしており、寒暖差に体がやられそうになる。
……しかし、そんな環境の中で、
たった一つだけ――圧巻の光景が広がっていた。
洞窟の天井。
そこには、真っ白に光り輝く無数のクリスタルが顔を覗かせ、暗い天井一面を美しく照らしている。
地下だというのに、まるで満天の星空のようだった。
「……見事なものだ」
風呂に浸かりながら、ユーディアはのんびりと天井を見上げる。
「ダンジョンの地下に、こんなにも美しい光景が広がっているとはな」
「ホントにな。俺としては、外の星空よりこっちの方が好みだな。俺の世界の星空っぽいし」
この世界の星空は、電飾のようにカラフルだ。
だが、ここの天井は、すべてが真っ白な輝きで満たされている。地球の星空に近い。
……ポン子にも見せてやりたかった。
「……君の世界の星空は、このような感じなのか」
「まぁな。正確には星ごとに色はあるらしいけど……こっちの世界ほど派手じゃないし、ほんの少し色付く程度。だから、大体こんな感じ」
ユーディアが風呂から上がり、着替えて俺のところへやってくる。
俺は火の番をしながら、カップに入れたお湯に《神の舌》でルーファムストーンの花茶の味を付け、手渡した。
「ほい。ローレン先生んとこのお茶の味だ」
「気が利くな」
「ありがとうと言え」
「フッ、冷める前に頂こう」
「感謝をしろ! 感謝を!」
まったく、相変わらず偉そうな師匠だ。
俺の悪態を完全にスルーしたユーディアは、お茶を啜りながら俺の隣に腰を下ろし、再び天井を見上げる。
俺も星空を見上げつつ、焚き火に何本か薪を足した。
「……そういや子供の頃、秋になると両親と一緒に、近所の山にさ……星を見にキャンプに行ったんだよ」
今の状況と過去の記憶が、どこか重なったのだろう。
気がつけば、そんな言葉がポロリと口からこぼれていた。
ユーディアは一瞬、息を飲んだように口をつぐむと、ゆっくりと口を開く。
「……ほう、風流なものだな」
「だと思うだろ?それがさ、俺の住んでたところは豪雪地帯で……まぁ、とにかく寒いのなんのって。秋だってのに凍えそうになるほど北風が冷たい夜に、こうやって焚き火を囲んで暖を取りながら、温かいもんを食って飲んで、星を見てたんだよ」
懐かしい。
夕食は手抜きでカップ麺だったが、寒さも相まって、あれほどカップ麺が美味いと感じたことはなかった。
「まぁ今は東京……こっちでいう王都な?ミレアスみたいに朝から晩まで明るい街に一人で住んでるから、こうして空を見上げることも無くなったけど。……たまには、良いもんだな」
ふと俺がユーディアの方へ顔を向けると、驚いた表情のユーディアが俺をジッと見つめていた。
「……意外だ。アルノー君が、自分のことを話すなど」
「え?いや、話すよ?普通に」
「今まで全く聞いたことがなかったからな」
「聞かれなかったし……」
俺はユーディアが自分のことを話さないと思っていたが、俺も同じく自分のことについてコイツに話したことがなかった。今更ながら、気がついた。
せっかくの機会だ。話しておこうか。
「俺は、地球って世界の、日本って島国に住んでたんだ。地元は新潟県って所。そこで両親と伯母が3人で暮らしてる。あ、伯母が飼ってるデカイ犬も合わせれば4人か」
「君だけが王都のトウキョウに住んでいるのか?出稼ぎか?」
「違う違う。何とな~く、東京に憧れて、なんとな~く大学はそっちで受けたんだよ。ちなみに大学って、大人版の職業訓練所みたいなところな?そんで、大学もなんとな~く過ごして、卒業したところだった」
「……そんなふわっとした感じで生きてきたのか?」
「そうそう。俺の人生は、“直線上のP点”だからな」
「???」
ユーディアが首を傾げている。
P点は算数や数学でお世話になる概念だ。
こっちの世界の人に説明しても分からないかもしれない。
「まぁ、そんで……なんとな~く就職して、これからもなんとな~く生きていくつもりだったんだよ。……騙されてこっちに飛ばされるまではな。……普通の人生に、なるはずだったんだよ」
「そうか。一人で暮らしていると言っていたから、両親はもう居ないものかと」
確かに、こっちの世界では一人暮らしは珍しい。
住む場所を借りるにも金がかかるし、アパートのようなものも存在しない。
「こっちとは文化が違うからな。俺の世界だと、1人でも割と気軽に部屋を借りられるんだよ」
「ならば、早く両親のいる元の世界に帰りたいだろう」
「ん~……そりゃ帰りたいけどさ?両親は基本的に放任主義だし、両親の為っていうより自分の為だな」
「自分の為?何かあるのかね?」
そう聞かれたので、俺は胸を張って答える。
「ラクに、楽しく生きていけるから!」
「……は?」
「多少の稼ぎがあれば生きていけるし、時々贅沢もできる。楽しいエンターテインメントで溢れてて、どんなに長く暮らしてても流行がコロコロ変わって飽きが来ない!あと、飯が美味いし、インフラも整ってるし、だらだら生きていくには最高の世界だぜ!」
そんな俺の主張を、ユーディアは冷めた目で見つめてきた。
「……なんというか、志が低いな……」
「低くて何が悪い。俺は平凡な日々を送りたいだけなんだよ」
「向こうには、友人が居ないのに?」
「そっ……それは!これから作るから良いんだよ!彼女だって作る予定あるし!」
痛いところをついてくるものだ。
社会人になってから人生本気出すつもりだったのだ。
それがこんなことになるとは誰が想像できようか?
俺はユーディアに話を振って気を紛らわす事にした。
「……で?そういうお前はどうなんだよ」
「何?」
「俺、お前のことそんなに知らないし。俺も話したんだからお前も話せよな?」
俺だけ喋るのも不公平だ。
38階層で喋りそうな気配だったので、少し突っ込んでみてもいいだろう。
「私は……」
ユーディアは目を泳がせて、なんと言うか悩んでいる様子だ。さすがにはぐらかされるか?と思っていたが、そのうち言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「……私が、師匠……“先生”と出会ったのは、5歳の頃だ」
「は?めちゃくちゃチビの頃じゃん。両親は?」
「覚えていない」
感情がほとんど乗らない声色で、そう言った。
と言うことは恐らく……捨て子か孤児か。
……まぁ、だろうな、とは思っていた。
怪盗なんてやっているのだ。
身寄りがないことは、なんとなく予想はしていた。
「先生と共に過ごし、6歳の頃に【師弟契約】の為の儀式を行い、13歳の頃に私が《怪盗歩行》を授かったことで正式に【師弟契約】が結ばれた」
つまりコイツは、7年もの歳月を掛け、ようやく念願の【師弟契約】に漕ぎ着けたのだ。
……なのに、俺とはあっさり【師弟契約】が結ばれてしまったのだ。そりゃ動揺するよな。
「先生、ね。そういや、ユーディアってローレン先生のことを“ローレン殿”って呼ぶよな?」
「うむ。私にとって、“先生”はただ一人だからな」
てっきりカッコつけて“殿”呼びしていたと思ったが、違ったらしい。
「お前の“先生”って、どんな人だったんだ?」
「ふむ……無策で無鉄砲で適当で、なんとかなる精神の持ち主で……」
「それ褒めてなくね?」
しかしユーディアは懐かしそうに目を細める。
「そしてーー勇敢で、聡明で、優しく、心根が清らかで、何よりも楽しいことが好きなーー美しい人だった」
「美しい人って、まさか……」
「そうだ。先生は、女性だった」
驚きだ。怪盗だからてっきりユーディアの師匠も男だと思っていたが……まさかの女怪盗だった。
「先生は、世界で唯一の“怪盗”という希少職業だった。それを、私が継いだのだ」
「へぇー。まぁ確かにお前以外に怪盗の話聞かないしな……。じゃあ実質、育ての親は、その先生って事か?」
「いかにも。幼少期より、先生から“女性には花を愛でるかの如く優しく接するように”と言われ、今の紳士な私が居るのだ。先生の教育の賜物なのだよ」
「いやー……うーん……多分それ、面白がってねぇかなぁ……」
女性を花に例えて話すなど、街の人どころか貴族や騎士ですらしていなかった。
……ユーディアの振る舞いを見ていれば、彼の“先生”は相当ユーモアのある人物だったのだろう。少し会ってみたい気もする。
「その先生って、今どこに居るんだ?」
「さぁな」
「どっかで隠居している、とか?」
「そうであればいいと思っている」
「わっかんねぇ……つまり、行方不明ってことか?」
「……まぁ、そうだな」
少しだけ間があった。
はぐらかされた、というより——言葉を選んでいるようにも聞こえた。
しかし、ユーディアにとって尊敬してやまない師匠が……行方不明?
「じゃあ、その先生を探したりしなかったのかよ」
「探したからこそ、私は怪盗をしている」
……ん?どういうことだ?
全く文脈が繋がらない。
どうして師匠を探すことが怪盗をする理由になるんだ?
ただ、ユーディアはそれ以上は語らない。
「……なぁ、なんで怪盗なんてやってんだ?」
この質問をするのは、3度目だ。
1度目は、「何よりも美しいから」
2度目は、「何よりも楽しいから」
そう答えたのを覚えている。
ユーディアも同じ質問だと気がついたようだ。
少し考えた後、苦笑気味に答えてくれた。
「そうだな。
ーーきっと、先生に見つけてもらいたいからだ」
ユーディアはカップに入ったお茶をコクリと飲み、揺れる水面をじっと見つめる。
焚き火の光が反射し、液面が金色に揺れていた。
「……先生ほどの派手好きで、賑やかで、面白いことが好きな人が……私の名声を聞いて黙って居られるわけがない。きっと堪らず『私も混ぜろ!』と騒ぎながら、駆け込んでくるはずなのだ」
懐かしい記憶を辿るように、ユーディアは微笑む。
「先生は私よりも逃げ隠れが上手い。私が探すより、先生の耳に私の居場所を知らせた方が早い」
「……その成果は?」
「フッ、全く。……だから、私は各国を巡っては怪盗を続けているのかもしれんな」
コイツのハイテンション怪盗モードを見ているせいか、ただ楽しいから怪盗をしていると思っていたが……ちゃんと他にも理由があったらしい。
……何故、その先生はユーディアから離れてしまったのか。
何故、行方不明なのか。
何故、姿を見せないのか。
ーー過去に、何があったのか。
分からない事だらけで、ユーディアの事が分かったような、更に分からなくなったような気がしてくる。
俺がさらに聞こうとする前に、ユーディアはカップの中身を飲み干し、空になったそれをコートへしまうと、静かに立ち上がった。
「ーーさて。せっかく、あのように美しい星々が天に輝いているのだ。今ならまさに、星に手が届く。ひとつ頂いてしまおう」
次の瞬間、ユーディアの姿が掻き消えた。
視線を上げると、すでに天井付近へ移動している。
そして、天井に重力があるかのように立つと、煌めくクリスタルの傍にしゃがみ込み、投げナイフで結晶を掘り出そうとガリガリ天井を削り始めた。
すると、
ポロッ
「あっ」
ユーディアの手元が滑り、俺の近くへクリスタルが光の尾を引きながら落ちていく。相変わらず不器用な奴だ。
クリスタルはまるで流星のように静かに近くの地面へ、コツン、と落ちた。
ーー瞬間、
ドォォオオンッ!!
凄まじい爆風と土煙が周囲に広がる。
コートが防御してくれたおかげで直撃は免れたが、俺は思わず腰を抜かし、そのままひっくり返っていた。
「な、な、なん……何なんだ!?」
体を起こし、爆風の中心だった場所を見る。
そこには、クレーターが出来ていた。
中央には、粉々に砕け散ったクリスタルの破片が転がっている。
まさか、天井にあるクリスタルって……爆発するのか!?
ユーディアの方を向いてみると、天井で尻もちをついている。どうやら向こうも腰を抜かしたようだ。
「お、おい、ユーディア。そのクリスタルって……」
「う、うむ……この階層特有の罠かもしれんな」
俺はもう一度周囲を見回した。
あちこちに、クレーターのようなデコボコの地面が広がっている。そういえば、遠くから時折、ドォーンドォーンという音が聞こえていた。
ーーこれ全部、上のクリスタルが落ちて爆発した跡じゃ……
そう思い至った、その時。
ポロポロポロッ
ユーディアがくり抜いた周辺の天井が崩れ始める。
次の瞬間——
大量のクリスタルが、俺の真上へ降り注いだ。
「だぁぁぁあああ!?!?」
ドドドドドドォォオオオオンッッ!!!!
大量の天然空爆をコートで防ぐたびに魔力が削られていく。
ついでに、近くで洗って乾かしていた服が全て土埃まみれになっていった。
「ふむ。この天井……かなり脆いな」
「このアホォォオオ!!!」
……爆撃が終わったら、俺の服もあのポンコツに洗わせよう。そう決意しつつ、必死に爆撃が収まるのを数分間耐え続けることになった。




