【53】巨大イカからの逃走
ギョロリ……と胴体の周囲に付いた無数の黄色い目玉が、一斉に俺たちが持つ蔦と赤い花を見つめた。
「……えーと、食う?」
俺が半笑いで蔦を差し出す。
ニュルーー
巨大コウイカの触手が無数にこちらへ向けられる。
その先端はーー銃口のように穴が空いていた。
ドドドドドドッ!!
「「うわぁぁあああ!?!?」」
イカ墨のマシンガンが、容赦なく俺たちを襲う。
コートで防ぎながら、俺たちは反射的にコウイカとは真逆の方へ逃げ出した。
「マズイマズイマズイ!なんだよ!あれ!?」
「知らん!あんなもの、見たことない!」
技能を使い、木々の枝を飛び移りながら逃げようとする。
だが巨大コウイカは、ありえないほど狭い木の隙間をぐにゃりと変形してすり抜け、猛スピードで迫ってきた。
ドドドドドドッ!!
五月雨のように途切れることなく、イカ墨マシンガンが撃ち込まれる。
近くの木が、草が、枝が――次々と腐り落ちていく。
ーーあんなの、一撃でも食らったらひとたまりもない!
「やっぱこの花取ったのが不味かったんじゃないか!?あのイカのものだったとか!」
「恐らくな!しかし、返して許してくれるほど知能は無さそうだ!だったら我々が美味しく頂こう!」
「怪盗は盗んだものを返すんじゃなかったのか!?」
「時と場合と相手による!」
手放すものか、とユーディアが蔦を握りしめる。
案外、食いしん坊の怪盗であった。
技能を使って枝を次々に飛び移るが、まるで引き離せない。
「アルノー君!スピードを上げろ!」
「これ以上は足を踏み外す!無理だ!」
「なら、イカをどうにかするかね!?」
「もっと無理ぃ〜!!」
象の10倍はある化け物コウイカに太刀打ちできる技能はない!スペキュラスの時のように魔力を結ぼうにも、近づいたら蜂の巣にされる!
逃げ、一択!
でもーー俺のスピードだと追いつかれる!
「ユーディア!先に行け!」
「馬鹿を言うな!この猿!猿なら猿らしくもっとキビキビ飛ばんか!」
こんな時までサルサル言いやがって〜!!
……猿?
「すぐに追いつく!行け!」
「大丈夫なのか!?」
「多分!」
「……遅れたならば、連れ戻しに戻るからな!」
その瞬間、ユーディアが一瞬でかき消える。【契約回廊】を確認すると、もうかなり先まで行ったようだ。
俺は魔力を薄め、全身を包み……頭の周囲の魔力だけをなるべく濃くする。
ーー頭だけ、魔力充填率200%
《影足》の重ねがけだ。
「ーー《影足》!」
発動した瞬間、俺の視界が酷くゆっくりと感じる。
体がゆっくりと宙を舞う中、俺はコートに指示を出した。
……イメージは、木から木へ飛び移る猿のように。
両袖を紐のように伸ばして、先の木の枝に括り付ける。すぐにその紐を伸ばしたゴムのように縮めた。
ーー要は、人間パチンコだ。
スペキュラスへ突進した時の要領である。
弾丸のような猛スピードで俺の体が宙を舞う。
しかし、《影足》で思考を加速させた俺には、まだギリギリ対処できる速さだ。
体がどこかへ投げ出される前に、次々に枝へコートを巻き付けては、弾かれるように飛んでいく。
すぐに視界にユーディアの背中が見えてきた。
俺の気配に気づいたのか、ゆっくりとユーディアが俺の方へ顔を向ける。
「なぁにぃうぉしぃてぇいぃるぅのぉだぁ」
……《影足》で思考が加速しているせいで、コイツが何て言ってんのか分からねぇぇえーー!!!
だが、俺の脳内地図ではこの先は渓谷だ。このまま進む訳にもいかない。
「この先!渓谷がある!左へ曲がれ!」
「…………」
「おい!聞いてんのか!」
しばらくして、ユーディアはゆっくり口を開く。
「いぃむぁ、なぁんぅとぉいぃったぁのぉだぁあ?」
「おっせぇーーー!!!!」
《影足》の天才的な使い方だと思ったが、コミュニケーションが一切取れねぇー!!もどかしい!!
「左!左!そこ左!」
空いている手でジェスチャーをするが、ユーディアはゆっくりと首を傾げる。
そもそも移動しながらのジェスチャーは無理だ。
移動のためにずっとはこっちを向いてられない。
何度かジェスチャーを繰り返すと、ユーディアは首を傾げつつ、ゆっくりと両腕を広げる。
「ぶぅーーーん?」
「楽しんでる訳じゃねぇーーー!!」
俺が頭を抱えたくなった、その瞬間。
視界が急に明るくなり、目の前にぽっかりと口を開けた渓谷が現れる。
ーーこのままだと、谷に落ちる!
魔力残量はあと2割もない。
谷に落ちた時の衝撃でまた魔力が枯渇したらおしまいだ。
かと言って、足踏みすればすぐに巨大コウイカに追いつかれる!
対岸まで約15m。
ーー飛ぶしかない!
「来い!」
俺は思い切りコートを縮め、その反動でユーディアに後ろから体当たりをする。
「ぅぐぅうはぁあああ」
衝撃はコートのおかげで俺にはほとんど無いが、ユーディアにはしっかり入ったらしい。ゆっくりだが痛そうな悲鳴を上げている。
マジでごめん。でもそれどころじゃない。
俺たちの体は、渓谷の上空へ高々と投げ出される。
俺はユーディアの襟首をむんずと掴み、そのまま一緒に宙を舞う。
そのまま放射線状に飛んで頂点まで来た時、
「《落下猶予》ッ!!」
すぐさま、俺はコートをできる限り対岸側へ細く長く伸ばした。
対岸まで残り10m。
《落下猶予》が切れるまで4秒――
言葉が通じないなら……
なるべく短く、
なるべく簡潔に。
コイツなら、分かってくれる。
「GOーーーーっ!!」
その声にハッとしたユーディアが、俺の手を離れる。
伸ばしたコートの上を、迷いなく駆け抜けた。
コートが伸びる速度よりも速い。
そのまま対岸へ飛び移ると、伸びてきたコートの紐を素早く掴み、近くの木へ手際よく結びつける。
同時に、《落下猶予》が切れた。
俺はコートを縮めながら、対岸側へ猛スピードで突進する。
木々の間に突っ込む瞬間、周囲へコートを伸ばしてネット状に展開した。
ネットで突進の衝撃を殺し、その反発で斜め後ろへボテっと落ちる。
地面にぶつかる瞬間、コートが下にクッションを出してくれたので事なきを得た。
仰向けになると、ユーディアがのっそりと俺を見下ろしてきた。
「むぁったぁくぅ、きぃみぃはぁぁ」
「……なんて?」
《影足》を切ると、ようやく世界が等速になり、ユーディアの声が聞き取れるようになる。
「先程から『ウキィウキィ』とやかましい。本当に猿になったのかね?」
「違うわボケェ」
「やっとまともに人語を話せるようになったか」
ハッ、と鼻で笑われつつ、俺はユーディアの手を借りて立ち上がる。
パァン!
突如、コートが攻撃を弾き、俺の魔力が持っていかれる。途端に体がズシリ、と重くなった。
……魔力がやばい。
「まさか……」
対岸を見ると、巨大コウイカが15mも離れているというのに、正確に俺たちへ銃口ならぬイカ墨口を向けていた。
スナイパーかよ!?
「ここはマズイ!奥へ行くぞ!」
ユーディアに肩を借りつつ、急いで密林の奥へ逃げ込む。
その間も、俺たちの姿は見えていないはずなのに、正確にこちらへイカ墨が撃ち込まれる。
当たりそうになるたびコートに弾いてもらうが、そのたびにゴリゴリ魔力を持っていかれ、意識が飛びそうになる。
偶然見つけた、石柱に空いた洞窟へ逃げ込むまで巨大コウイカの猛攻は続いた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ダンジョン来てから、こんなんばっかだ……」
「生きているだけマシだろう」
俺は鼻から生暖かいものが流れるのを感じながら、ユーディアに壁に寄りかかるよう座らせてもらう。
魔力欠乏特有の重だるい感じに、体が芯から冷えるような感覚。もう指一本動かせない。
「コートは動かせるかね?」
「……無理。しばらく……荷物も取り出せない……」
凄く眠いが、必要なものは俺のコートに入っている。下手に寝てしまえばそれらが取り出せなくなる。
必死に眠気を堪えていると、ユーディアがコートをトントンと叩く。
すると、シュルリ……とコートが俺から離れる。コートは叩いたユーディアの体をフワリと包み、一瞬で夜空色のマントになった。
「……浮気者ぉ……」
「今は私の方が魔力が多いからな」
コートはとても頼りになる存在だが、あまりにも浮気性過ぎる。気が合って魔力が多ければ誰にでもなびくのかよ。
俺とユーディア、どっちが良いんだよ。くそぅ……。
俺の男心が弄ばれている気になってくる。
マントはユーディアの魔力を吸い上げ、俺を巻き込みながら大きく変化する。マントは俺を内部に取り込んだまま、昨日作ったテントに変化した。横に現れたテント内にあるふわふわの布団に、思わずぽふっと倒れ込む。
「君は寝ていたまえ。魔力が回復するまで、ここで私が見張っていよう」
ユーディアは他にもランタンや先程採った食材などもコートからいくつか出していく。俺が起きるまで待つつもりだ。
「サンキュ……」
「構わんよ」
ユーディアがそう言うなら大丈夫だろう。俺は全身を襲う眠気に身を委ね、そのまま布団の中へ意識を沈めた。
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ザァァ……
地面を穿つような激しい雨音が聞こえ、俺は目を開けた。
布団から体を起こすと、もうすっかり魔力が完全回復している。身体の調子がとてもいい。
「……雨?」
テントから体を出すと、洞窟の外は土砂降りだった。いわゆるスコールだ。
ダンジョン内なのに光があったり雨が降ったり……不思議なことが起こるものだ。
周囲を見渡してみると、ユーディアは居ない。
焚き火の跡や食事の跡があることから、どうやら一晩ここで過ごしたらしい。
すると、洞窟の入口に黒いフードを被った人物がやってきた。フードからは紐が出ており、俺のいるテントと繋がっている。
「おや、起きたのかね?」
ずぶ濡れのフードを外すと、目立つ赤髪が現れた。
「ユーディア!」
「具合はどうだ?」
コートがシュルリ、とマントに変わってユーディアに纏われる。
「あぁ、大丈夫。もうすっかり良くなった。……かなりコートを使いこなしているな」
俺がコートに対して嫉妬の視線を向けていると、ユーディアが片眉を上げる。
「君のように色んなものへ変化させたり、同時に複数の操作は出来ん。このコートは空気を読むのが上手いからな。魔力さえ与えれば最適な形に変わってくれるのだ。色々助かった」
ユーディアがマントをトントンと叩くと、シュルリと解けて俺の体にコートが戻ってくる。
ちょっと文句ありげにパシンッと強めに叩いたら、俺の魔力を使って衝撃を防御した。
こいっつぅ……!
そんな俺とコートの攻防を鼻で笑いつつ、ユーディアはテントの入口に腰かける。
「さて、良いニュースと悪いニュースがある。どちらから聞きたい?」
「うっわ……嫌な予感しかしない……」
この場合、悪いニュースはとことん悪いニュースなのだ。だったら、寝起きなので先に良いニュースで気分を上げるとしよう。
「良いニュースは?」
「これだ」
ふふん、とドヤ顔をすると、ユーディアはテントの床をトントンと叩く。すると、そこからドサドサと木の実やら山菜やらが溢れ出し、テント内があっという間に詰め尽くされる。かなりの量だ。
「アルノー君が寝ている間、周囲を見回って食料を更に集めてきた。どれも高級品ばかりで、地上よりも味がいい」
ユーディアは1つの赤い木の実を投げ渡してくる。匂いを嗅いでから齧ってみると、桃のような甘さとジューシーな果汁が口いっぱいに広がった。
「ーーうんまっ!!」
「『トゥーチ・フルーツ』だ。古い時代ではポーションの代わりに食べられていた珍しい実でな。この品質なら魔力回復にも使える」
自身の魔力に意識を向けると、確かに微かに回復している。これはいい。しかも美味い。
「どれも大量に確保できた。当分食料は大丈夫だろう」
「さすがはユーディア師匠。頼りになるぜ」
果物……トゥーチをもしゃもしゃと食べて空腹を満たしながら、俺はチラリとユーディアを見る。
「……で、悪いニュースは?」
「この豪雨だ」
ユーディアは顎でクイッと外を示す。
「なかなか晴れん。アルノー君が寝てすぐに降り出し、ずっとこの調子だ。しかも先程渓谷を見に行ったら、雨で溢れそうになっていた」
「それって……」
ユーディアはコクリと頷く。
「……この階層は、水没するかもしれん」
「は、はぁ!?」
俺は慌てて立ち上がった。
脳内地図では、上へ行く道はここから徒歩であと2日だ。
先程の巨大コウイカに追いかけられた時のハイペースで行けば半日でたどり着ける。
「急いで出発するぞ!」
「無論だ。その前に……」
ユーディアは人差し指をクイクイと曲げ、口の端を上げる。
「アルノー君がのんびり寝ている間、あくせく働いた師への褒美が欲しいのだが?」
「……何がお望みで?」
「その溢れんばかりの魔力を2割でいいぞ」
つまりそれは、平民の魔力20〜30人分超くらいだ。
「ぼったくりだ!そんなに魔力、お前使わないだろ!」
「魔力があればあるほど万能感が増して気分がいいのだ。それだけでも価値はある」
「……弱みにつけ込みやがって……」
しかしユーディアの世話になったのも事実だ。しぶしぶ魔力を【契約回廊】伝いにユーディアへ渡す。
これまでにないほど魔力の満ちたユーディアは明るい。ご満悦な顔だ。
「うむ、素晴らしい!力が満ちるぞ!」
「そっすか……」
一方の俺は、回復したての魔力を2割も持っていかれゲッソリだ。トゥーチをもしゃもしゃ食って必死に回復させる。
「さぁ!行こう!」
「はいはい……」
コートにテントやランタンなどを全て収納し、洞窟を出る。
すると、
パァン!
突然、コートが何かの攻撃を防いだ。
そちらへ顔を向ける。
「……は?」
そこにはーー
豪雨の中、巨大コウイカが触手の先端をこちらに向けていた。
まさか……氾濫しそうな渓谷の川を泳いで追ってきたのか!?なんてしつこいんだ!?
ドドドドドドッ!!!!
「「うわぁぁああああああ!?!?」」
豪雨の中、背後から乱れ打ちしてくるイカ墨をコートで防ぎながら俺たちは技能を発動し続け、上層へ半日はかかる道を延々と巨大コウイカに追われ続けた。




