【48】不穏なダンジョン
「……うっ……」
急に体がふらつき、思わずよろめく。
倒れそうになったその瞬間――
「よくやった」
いつの間にか隣に来ていたユーディアが、そっと俺の体を支えてくれた。
「てっきり、スピアを当てて倒すのかと思ったが……」
「怪盗は“命までは奪わない”……だろ。ちゃんと守るって」
俺がそう言うと、ユーディアは「フッ」と満足そうに笑った。
俺が片手を上げると、ユーディアは少し優しめにハイタッチを返してくれた。
――その直後だった。
「ギュリリリリッ!!」
気がつけば、俺たちは300匹以上のシーフラに囲まれていた。
……そうだ。オスの着ぐるみを解いたんだった。
つまり今の俺は――乙女の心を弄んだクソ男。
袋叩き確定である。
着ぐるみを再展開しようにも、魔力が足りなさすぎて変化できない。仮にできたとしても、長時間維持できる気がしない。
横で、ユーディアが技能を展開しようと魔力を揺らす気配が伝わってくる。
……ここは、頼るしかない。
そう思った、直後ーー
「ミューミュー」
数匹のシーフラが、威嚇している個体に向かって甘えるような声をかける。
すると、威嚇していたシーフラたちが徐々に落ち着き、同じように「ミューミュー」と鳴き始めた。
……あのシーフラ、もしかして俺が助けた奴らか?
「……驚いた。シーフラは仲間意識が強いと書かれていたが……どうやら君を仲間として認識しているようだ」
「……マジ?でも俺、今は着ぐるみ着てないけど……」
「私も詳しくは分からん。見た目以外にも、相手の匂いや魔力などを覚えているのかもしれん。……魔物は人類の敵だ。歩み寄ろうとする者などまずいない。詳しい生態はまだ解明されていないのだ。……一体、何が起きたのやら」
ミューミューと鳴きながら、シーフラたちがぞろぞろと俺の方へ押し寄せてくる。ユーディアに支えられながらしゃがみ込み、背中を撫でてやると、
「ミューイ」
嬉しそうに鳴き、手のひらに頭を擦り付けてきた。
「お前ら、仲間を説得してくれたのか?ありがとうな」
「ミューイ」
やってくるシーフラを片っ端から撫でていく。
左手は血まみれなので、右手だけだ。数が多くて大変だが――ふわふわの手触りがとても心地いい。
ユーディアも恐る恐る手を伸ばすと、その手に顎を乗せられた。思わず顔が緩んでいる。
「アルノー、だ、大丈夫か?それ、全部シーフラだろ?」
遠くの石柱から、リナが顔を覗かせる。
怯えた様子で、シーフラに群がられている俺を見てゴクリと唾を飲み込んでいた。
「大丈夫。ほら、いい奴らだよ」
俺が毛皮を撫でている様子に驚きながらも、リナはシーフラたちをじっと観察する。
「……傷の少ないシーフラの毛皮って、高く売れるんだよ。綺麗に剥ぎ取れれば、銀貨3枚はするんだよね……」
「マジ!?」
図鑑では、銅貨5枚程度だったはずだ。
だが、素人が狩った切り傷だらけ血まみれの毛皮では、そんなものなのだろう。
――だが。
「こいつらはスペキュラスを引き付けてくれたり、追い討ちをかけてくれたりしたんだよ。そんな酷いこと、できるわけないだろ?」
それに――こんなに可愛いのだ。
せっかく仲良くなれたのだから、途中まででも一緒に行きたい。
「――それより、エドとユノは?無事か?」
シーフラたちを踏まないよう注意しながら近づくと、石柱にもたれるようにして二人が座っていた。
どうやら、気がついたようだ。
「アルノー兄ちゃん……」
「アルノーおにーちゃん……」
弱々しい声で名前を呼ばれ、俺は二人の前にしゃがみ込む。
「大丈夫か?」
大きな怪我は見当たらない。だが、あちこち擦り傷だらけで、服は血に染まっている。相当体力を持っていかれていそうだ。
「助けてくれてありがとう……」
「ありがと……」
「いいって。それより……これからどうするんだ?地上へ戻った方がいいだろ?」
俺がそう言うと、リナが静かに頷いた。
「あたしもこの子達もこっぴどくやられたからね。引きずってでも帰るさ」
そう言ってから、リナは改めて俺とユーディアへ向き直る。
「助けてくれて、本当にありがとう。アルノー。……えっと、そっちは……」
「ユディだ。今は共にパーティを組んでいる。リナ嬢のことはアルノー君より聞いている。面白い方だと」
「アルノーあんたねぇ……」
呆れたようにため息をつきながらも、リナはすぐに力なく手を振った。
「はぁ、もういいさ。今は疲れてんだから。とにかく、ユディもありがとね」
ツッコむ元気も残っていないらしい。
リナの腕にはガーゼが当てられているが、まだ少し血が滲んでいる。傷を見るに、リナも相当体力が削られていそうだ。
「しっかし……“亜種”が出るなんて、ついてなかったな」
俺が呟くと、リナの表情が少し曇った。
「……最近、ダンジョンの魔物が活性化しているって噂、知ってるかい?」
「魔物の活性化?」
ローレン先生も、そんなことを少し言っていた気がする。
俺が聞き返すと、リナは神妙な顔で頷いた。
「魔物の“亜種”が増えてたり、本来いないはずの魔物が出てきたり……ちょっとおかしいのさ。……危ないって分かってたのに、エドがどうしても行きたいって言うから……あたしがちゃんと止めていれば……」
「……ここ、まだ地下2階層だぞ?」
半日と少し歩けば外に出られる浅い層だ。
そんな場所に強力な亜種が出るとなると――かなりまずいんじゃないか。
俺の言葉に、リナはコクリと頷いた。
「ギルドの噂では、“魔物恐慌”が起きるんじゃないかって」
「確かそれって……魔物が外に溢れるってやつか?」
魔物恐慌。
魔物が何らかの要因で興奮やパニック状態に陥り、ダンジョン外へ大量に押し出されようとする魔物災害のことだ。
ダンジョン図鑑のコラムにも載っていた。
国を挙げて対策するほどの、かなり深刻な災害になるらしい。
「アルノー達はどうする?ダンジョンも不安定みたいだし、魔力もかなり減ってるんじゃないか?……一緒に帰るかい?」
そう聞かれたが、俺は首を横に振った。
俺にとって、このダンジョン探索は最初で最後の挑戦なのだ。ポーションもあるし、まだ動ける。
……それに、せっかくシーフラとも仲良くなったんだ。
このまま帰るのはちょっと寂しい。
それに、危なくなったらユーディアがいるしな。
「俺達はまだダンジョン探索を続けるよ」
「そっか。……あんた達は、あたしらの命の恩人だ。無事に地上へ上がれたら、改めてお礼させてくれよ」
「ふーん?何をしてもらおうかなぁ〜?」
「あ……あんまり無茶言わないでよ!出来ることは、なるべくしてあげるからさ!」
「何でもいいんだろ?」
「何でもは良くないっ!調子に乗るな!もうーっ!」
俺がリナをおちょくっていると、エドとユノが立ち上がり、そろって頭を下げた。
「ほんとに、ありがと。アルノーおにーちゃん」
「オレからも、本当にありがとうな、アルノー兄ちゃん。……魔物が活性化してるって姉貴から聞いてたのに、オレが行きたいってワガママ言ったんだ。そのせいでみんな……」
「気にすんなって。反省したなら、次からは気をつけるんだぞ。それと、リナとユノにもちゃんと謝って、今後は話を聞いてやれよ」
「うん……分かった……」
落ち込むエドの頭を、リナがぽんぽんと優しく叩く。
「ほら。そろそろ出発しないと朝になるよ。動けるね?」
「うん」
「だいじょーぶ」
俺も少し具合が良くなってきたので、ユーディアの支えから離れて立ち上がった。
「じゃあ、気をつけて帰れよ」
「エド君、ユノ嬢、それからリナ嬢。また地上で会おう」
「あぁ。――ホントにありがとうね!」
三人を見送ると、俺は天井に刺さったままのスピアへ視線を向ける。
コートの裾を伸ばして絡め取り、引き寄せて回収した。
……血でベトベトだ。後で洗おう。
血塗れの布まで一緒に付いてきたので、魔物を呼び寄せないよう、先に《魔力操作》で火を出して燃やしておく。
それからコンパスを取り出し、今日のキャンプ予定地の方角を確認した。
「……シーフラ、連れてってもいい?」
「まぁ、仕方あるまい」
どうやらユーディアも、すっかりシーフラを気に入ったらしい。
俺達はミューミューと鳴くシーフラ達に囲まれながら、賑やかに本日のキャンプ予定地へと向かった。
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「本当にポーションを飲まなくて良いのか?」
俺の魔力量を見て心配したユーディアが、自分のポーションを差し出してくる。だが俺は、それを頑として断った。
「魔力回復のポーションは、俺よりも魔力が少ないユーディアが使うべきだろ」
「だが……」
「心配してくれてサンキューな。でも、もう歩けるくらいには回復してる。いざって時は頼るから、それまで取っておいてくれよ」
俺の言葉にユーディアは肩をすくめて、ポーションをしまう。
「全く……分かった。何かあれば口を開けさせ、無理やりにでも飲ませるとしよう」
「せめて本人の同意は得ろよな?」
そんな会話をしながら、
俺達はキャンプ予定地へと到着した。
少し開けた場所で、運が良ければ珍しい草や宝石などが時々採れるという噂のスポットらしい。
……とはいえ、人気がありすぎて、もはや草一本生えていない。見渡す限り、採取できそうなものはすべてむしり取られていた。
俺はクラリスさんから借りた『深度計』を取り出して中を確認する。
『深度2.3』
地下2階層の中でも、やや3階層寄り――少し深めの位置のようだ。
「ミューミュー」
シーフラ達が俺達を囲うように陣取り、周囲を警戒してくれている。
300匹もいるのだ。
何か来れば、すぐに分かるだろう。
……本当にいい子達だ。
「アルノー君。キャンプ前に傷の手当てをするぞ」
「あ、そうだった」
左手から血を絞るために、かなり覚悟を決めてざっくり切ったのだ。キャンプ予定地に着いてから手当するつもりで放置していた。今はアドレナリンで痛みが鈍っているが、そのうち激痛に変わるに違いない。
「えーと、ガーゼと包帯……」
「先に水だ。水で傷口をしっかり洗え。あんな錆びたナイフを使ったのだから、悪化したらまずい」
ユーディアがコートをトントンと叩くと、
ドン!
蛇口付きの樽が、俺の隣に現れた。
……なんで俺のコートを使いこなしてるんだよ。
俺は蛇口をひねり、傷口に水を当てる。
「っいっでぇぇーーーー!!!!!!」
傷口を洗うと、死ぬほど沁みる!
涙が出そうなくらい痛い!
「コラ!静かにしたまえ!」
「ムリムリムリ!!」
ユーディアが手で俺の口を塞ごうとするが、痛みで俺の体が悶え、上手く押さえられない。
身をよじりながらも、なんとか傷口を洗い終える。
ひぃ、ひぃ、と息が絶え絶えだ。
身を切る行為(物理)は、もう二度とやりたくない。
「消毒液もかけるぞ。ほら、手を出したまえ」
「それ、すっごい沁みるんじゃ……」
ユーディアが再びコートを叩くと、コートの一部が短い木の枝へと変化した。中央には布が巻いてある。
「ほら、噛め」
「……嘘だろ?」
「さっきのように叫ばれると魔物が来るからな」
「……ひぇ」
ーーもう二度と、こんな事しない。
そう心に誓いながら、俺は木の枝を口に咥えた。
治療後、俺はその場にぐったりと倒れ込んでいた。
シーフラ達が「ミューミュー」と鳴きながら擦り寄ってきて、ふわふわの毛皮で俺の心を癒してくれる。
ユーディアの手当を受けた俺の左手は、某未来の猫型ロボットのように白く丸々と包帯が巻かれていた。明らかに巻きすぎだ。
あいつは不器用だが、手当も死ぬほど下手くそだった。
巻いている最中もずっと消毒液が沁み続け、俺の顔は今や涙と鼻水でぐちゃぐちゃである。
ユーディアは水を使い、俺の血で汚れたスピアを洗ってくれていた。片手が猫型ロボット状態の俺では洗えないので助かる。
「食事にしよう。コート、頼めるかね?」
ユーディアが、寝そべっている俺のコートをトントンと叩く。
するとコートの一部が膨れ上がり、簡易的なテーブルと椅子が現れた。上にはランタンを引っ掛けるフックまで付いている。
テーブルの上にはすでに、ニーナさんの店で買ったサンドイッチと、コップに入った水が用意されていた。
……それ、俺の魔力で出してるのに、なんでユーディアの言うこと聞くんだよ。
コートの浮気者め……。
「いつまでも寝そべっていないで、早く座りたまえ。食事を取らねば、魔力も体力も回復せんぞ」
そう言われ、のろのろと体を起こして椅子に腰掛ける。
席に着いた途端、急に腹が減ってきた。
「「いただきます」」
二人でサンドイッチにかぶりつく。
チーズや野菜、ベーコンの旨味がじんわりと口いっぱいに広がり、美味い。
なんだか元気が内側からもりもり湧いてくる気がした。
「ミューミュー」
「ん?なんだ?お前らも腹減ったのか?」
俺達の食べているものに興味津々なのか、何匹かのシーフラが近寄ってくる。
試しにサンドイッチを少しちぎって差し出してみるが、ぷいっと顔を背けられた。
「ミューミュー」
シーフラ達は少し離れると、振り返ってこちらをじっと見つめてくる。
……まるで、「こっちに来て」と言わんばかりだ。
「シーフラ達に……呼ばれてる?」
「何か見つけたのかもしれん」
俺はサンドイッチを半分食べ、残りをテーブルごとコートに収納して立ち上がった。
シーフラ達は、俺達がついてくることに気づくと、一定の距離を保ちながら歩き出す。
しばらく進むと、ダンジョンの端に辿り着いた。
天然洞窟のような岩肌が眼前に広がっている。
その岩壁の前で、シーフラ達がうろうろしていた。
「……岩しかないけど?」
一匹のシーフラが岩に前足を置き、「ミューミュー」と鳴く。
……なんだ?何がしたいんだ?
《魔力知覚》にも何も引っかからない。
岩肌に手を置いてみても、特に違和感はない。
「《注目律》」
ふと、ユーディアが技能を使った。
……いや、ダンジョンの罠を看破できない技能を使っても意味ないんじゃ――
「何かある」
「え?」
「欲にまみれた感情……この岩肌の、この部分だけ。人工的に作られた隠し扉だ」
シーフラ達が前足を置いた場所を指でなぞりながら、ユーディアはニヤリと笑う。
その横顔は――怪盗そのものだった。
「この欲望、この執着、そしてこの歪んだ醜い感情……実にッ!私好みだッ!」
「おいこら!声落とせって!」
「ふはははは!いや、すまない!まさかダンジョンに来て、貴族絡みの隠し扉を見つけるとはなぁ!」
全然声を落としていない。
それどころか、完全にハイテンション怪盗モードに突入している。
ユーディアが言うからには間違いないだろうが……貴族絡みかぁ。正直、あまり乗り気にはなれない。
「でも、どうやって開けるんだ? 魔力も何も感じないぞ?」
「くくく、ここだよアルノー君」
ユーディアは迷いなく、岩にしか見えない一部へ手を伸ばした。
カチリ。
指先で押し込むと、その部分が横にスライドする。
――小さな鍵穴が現れた。
「よく分かったな、こんな仕掛け」
「《注目律》で感情がここに集中していたのだ! あぁ、なんと素晴らしい! わざわざ帝国産のカラクリ扉をダンジョンに設置するとはな! ふはは、欲望が鍵穴から漏れ出ているほど濃いぞ! この先に一体何があるのかっ!」
ユーディアは早速、針金を取り出してカチャカチャと鍵を弄り始めた。
……どうせ開かないだろう。
「ユーディア。貴族絡みのなんやかんやじゃなくて、普通にダンジョン探索しよーぜ?」
「まぁ待て。ここの中もある意味ではダンジョンだ! ほぉら、金の臭いがするだろう?」
「そんなのより珍しい薬草とか取りに行かね?」
「ちょっと見るだけ! ちょっとだけだ!」
……全然動く気ないな、こいつ。
仕方ない。諦めるまで、ここで待ってやるか。
―― 1 時 間 後 。
ユーディアは、まだカチャカチャと針金を動かしていた。
「おい! もう諦めろって!」
シーフラ達と遊んで時間を潰していたが、さすがに限界だ。
貴重なダンジョンの時間を、こいつのポンコツ鍵開けに費やしたのがバカだった。
「あと少し……」
「はいもうおしまい! 終了! END!」
俺はユーディアの手から針金を取り上げた。
「コラ! 返せ!」
「そんなに中が気になるなら、《無名讃歌》で扉を通り抜ければいいだろ」
「………………あ」
このアホォ……。
「その手があったな! では早速――」
「待て! 俺も行く。向こうに行って、お前が帰ってこない可能性があるからな」
「ふっ、心配性め」
「違う意味で心配なんだよ」
俺が手を掴むと、ポンコツはすぐに技能を発動させた。
「《無名讃歌》」
俺達は、そのまま岩肌の中へと歩いてく。
――すると、そこには、
「すっげぇ……」
綺麗に整えられた、広い空洞。
地面には畑のように畝が作られ、青い牡丹のような美しい花が等間隔に植えられている。
天井と壁には、ありとあらゆる場所に高品質な魔石が埋め込まれており、淡い光が花々を優しく照らしていた。
――ダンジョン地下2階層。
誰も近寄らない端の壁際に作られた秘密の空間で、
明らかに人工栽培された花畑が広がっていた。




