【45】ダンジョン前の休息日
あっという間に時間は過ぎ、
明日はいよいよダンジョンへ潜る日だ。
俺たちは、朝から商業街を歩いていた。
だが、隣のユーディアは、まるで魂が半分抜けたかのように虚ろな目をしている。
「大変だったよな〜!でもよくやり切ったよ!」
「……そうか……」
「よっ!天才!さすが師匠!」
「……そうか……」
「その記憶力、右に出るものはいない!」
ここ数日、《影足》の練習以外の時間は、朝から晩まで魔物図鑑と素材図鑑を読み込んでいた。
ユーディアにとっては難易度の高い、あの分厚い図鑑を、短期間で2冊も読破したのだ。
その代償か、普段あまり使わない脳の部位を酷使したせいか――とにかく顔に生気がない。
「……そうか……」
ずっとこの調子である。
もはや抜け殻だ。
さすがに哀れに思い、気分転換にクラリスさんの店へ行こうと俺から誘った。
前に来た時、遺物をとても興味深そうに見ていたのを思い出したからだ。
ダンジョンへ行く前の、最後の気晴らしになればいいけど。
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エヴァレット旧蔵店の前に立つと、コートがぷる……と怯えるように震えた。どうやら、以前調律された場所を覚えているらしい。
「今日は調律しないから、大人しくしてろよ」
軽く撫でると、袖が不満げにぷる……と揺れる。
扉に手をかけた瞬間、急にコートがずしりと重くなった。
……どれだけ嫌なんだ。
重さを無視して扉を開けると、カラン、と軽やかなベルの音が響く。
その音に気づいたのか、店の奥からクラリスさんが顔を出した。
「いらっしゃいませ。……あら、アルノー君。今日はお友達も連れてきてくれたのねぇ?」
「こんにちは。そうなんです、こいつ今しょげてて……クラリスさんのお店の品物が好きそうだったので、見せて元気を出してもらおうかと」
「あらあら。なら、良ければご案内しますよ」
クラリスさんは店の奥から出てきて、俺たちの所へやってくる。
「初めまして。クラリス=エヴァレットよ。ここで古物商をしているの」
「あの、クラリスさん。コイツ、以前に一緒にお邪魔したユディですよ」
案の定、ユーディアのことは忘れられているようだ。
俺が指摘するとクラリスさんは「あら!」と口に手を当てる。
「ごめんなさいねぇ。記憶力には自信があったのだけれど……寄る年波には勝てないのかしら……」
「お気になさらず、クラリス婦人。あまり目立つ見た目ではないので、よく忘れられるのです」
ユーディアは気にする様子もなく、優雅に一礼する。
さっきまで死んだ顔をしていたくせに、女性を前にして見栄を張ったのか、いつもの芝居がかった振る舞いになっていた。
「お詫びというわけではないけれど、よければお茶でもいかが?ちょうどマフィンが焼き上がったところなの。奥でお茶を飲みながら、商品の説明をしましょうか?」
「マフィン!やった!」
「コラ!……すみません、うちの猿が」
「ふふふ、いいのよ。さぁ、こちらへいらっしゃい」
クラリスさんに案内され、奥の部屋へ通される。
テーブルに腰を下ろすと、焼きたてでホカホカと湯気の立つマフィンと、紅茶が注がれたティーカップが目の前に置かれた。
「私も朝のお茶をいただこうと思っていたところなの。タイミングばっちりね。どうぞ召し上がれ」
「いただきます!」
「クラリス婦人。この度はこのような茶会にお招き頂き、誠に――」
「うっまぁ!」
「コラ!相変わらず品の欠片もないのか、このサルノーめ!」
「ふふふ、いいのよ。たくさん食べてちょうだい」
クラリスさんのお菓子とお茶は絶品だ。
むしろ、冷めてしまう方が失礼というものだろう。
もぐもぐとマフィンを頬張っていると、クラリスさんがいくつかの箱を抱えて戻ってきた。
「ユディさん。遺物がお好きなら、このあたりはいかがかしら?」
箱を開けると、中にはキラキラと輝く装飾品の数々。
指輪、ブローチ、ネックレス、かんざしのようなものまで揃っている。
どれも高品質な魔石がはめ込まれており、内部では不思議な色合いの魔力が瞬いていた。
「おおっ!これはなんと美しいッ!」
キラリと目を輝かせ、ユーディアは勢いよく立ち上がる。箱を覗き込もうと身を乗り出した、
――その瞬間。
ガチャン!
勢い余って腕がティーカップに当たり、床へ落下。
無惨にも粉々に砕け散った。
「あ゛っ!?」
「おいこら!お前何してんだ!?」
「あらあら、大丈夫?お怪我はないかしら?」
クラリスさんが立ち上がろうとするのを、俺は手で制した。
「大丈夫です、クラリスさん。俺が片付けますから」
コートに指示を出し、袖を伸ばして破片をすべて飲み込ませる。続けて伸ばした袖をタオル状に変え、床にこぼれた紅茶を拭き取った。
「もうすっかり使いこなしているのね」
「いやぁ、まだまだですよ。……それより、本当にすみません。せっかくのティーカップが……」
コートの中から破片を取り出す。
青く複雑な模様が施されており、高級品なのは一目で分かる。
「く、クラリス婦人……その、申し訳ない。弁償を、させていただきたく……」
さすがのユーディアも、真っ青な顔で頭を下げる。
「いいのいいの。確かに珍しいティーカップだけれど、そこまで謝らなくていいわ。これで戸棚がひとつ空くもの。新しいティーカップを探す楽しみができたわね」
上品に微笑みながら、クラリスさんは古紙を取り出す。
「破片は危ないから、預かるわ」
俺は飲み込ませていた破片を古紙の上に吐き出し、手渡した。
新しいティーカップに紅茶が注がれる。
朝から半分死んでいたユーディアは、やらかしたせいでさらに沈んでいる。
「マフィン、美味いから食べてみろよ」
「うむ……そうだな……」
ナイフとフォークで丁寧に切り分け、もきゅ、と口に運ぶ。
その後、優雅に紅茶を飲む。
……だが、気分が浮いていないのは一目瞭然だ。
普段は自信家なくせに、凹むときはとことん凹むタイプ。
このままのテンションでダンジョンに行かせるわけにはいかない。
「クラリスさん。この装飾品、全部魔石ですよね? どんな効果があるんですか?」
気を紛らわせるために俺が話題を振ると、クラリスさんは嬉しそうに微笑んだ。
「ふふふ。では、ひとつずつ説明してあげましょうか」
ウキウキとした様子で、装飾品の説明が始まる。
最初は意気消沈していたユーディアも、装飾品や遺物の話を聞くうちに、徐々に目に光を取り戻していった。
クラリスさんは本当に遺物が好きなのだろう。
他にも古めかしい武器や道具を次々と持ち出しては、当時の文化や歴史について語ってくれる。
正直、この世界の歴史に詳しくない俺には難しい話も多い。
だがユーディアは、食い気味で質問を重ねていた。
……まあ、気分転換になったのなら何よりだ。
何杯か紅茶とマフィンをおかわりし、遺物や歴史の話に花を咲かせているうちに――
気がつけば、外はすっかり夕方になっていた。
「――もうこんな時間なのねぇ。私ったら、ついはしゃいでしまって。お二人を引き止めてしまったわ」
クラリスさんは「まるで若い頃に戻ったみたい」と頬に手を当て、柔らかく微笑む。
「お茶とマフィン、ご馳走様でした!」
「お話も大変興味深く、私もつい時を忘れて聞き入ってしまいました」
「嬉しいわぁ。うちはお客様なんて滅多にいらっしゃらないから、店主らしいことができてとても楽しい時間だったわ。ぜひ、また遊びに来てちょうだい」
クラリスさんは俺達を玄関まで送ってくれる。
本当に丁寧な人だ。
「来週はタルトでも作ろうと思っているの。時間があれば、二人ともいらしてね」
「え!?タルト!?絶対来ますっ!」
「まったく……君は菓子にしか興味がないのかね?」
すっかり元気を取り戻したユーディアが、そんな憎まれ口を叩く。
また遊びに来たいが、俺たちは明日からダンジョンだ。
次に来られるのは、早くても5日後。
……ギリギリ、タルトには間に合うだろう。
「俺たち、明日ダンジョンに潜るんです。3日間だけですけど。なので、帰ってきたらまた遊びに来ます」
「あら、ダンジョンに?ずいぶん短いのねぇ」
「初めてなので、まずは様子見をしようかと……」
嘘だ。ユーディアが渋った結果、一回限りの探索になっただけだ。
「そうなの?……あ、なら、ちょっと待ってて」
クラリスさんは店の奥へ戻り、棚から何かを取り出してきた。それを俺の手に渡す。
金色の丸い懐中時計のような形をしている。
「それは『深度計』というの。ダンジョンの深さを測る魔道具よ」
「深さ、ですか」
蓋を開けると、時計の文字盤の代わりに『深度0』と表示されている。
さらに、方角を示すコンパスや、周囲の気温、湿度を示す計器も備わっているようだ。
「初心者にありがちなのだけれど、つい深く進みすぎて、気づけば地下4階層まで降りてしまって大変だった……なんて話をよく聞くの。これは、今自分が何階層にいるのかを示してくれる道具よ。1階層降りるごとに『深度』がひとつ進むわ。ミレアスのダンジョンに合わせてあるから、よければ使って」
「これ……かなり高価なのでは……?」
「大金貨2枚くらいかしら」
ヒュッ、と喉が引きつる。
とんでもない高級品だ。
「も、もらえません、こんなの……」
「ふふふ。じゃあ貸してあげるわ。だから、怪我をせずに戻ってくるのよ?そうしたら、これを返しにまたうちへ来てちょうだい」
「お土産話も楽しみにしているわ」と言って、俺の手に自分の手を重ね、そのまま深度計を握らせる。
……こういう好意は、素直に受け取ろう。
「ありがとうございます。俺たちの冒険譚、楽しみにしていてください。ダンジョンで面白いものがあったら持ってきますよ」
「クラリス婦人のように、たおやかな方に似合いそうな花が地下2階層に咲いているのです。可能であれば、それも土産として持ち帰りましょう」
「あらあら。それなら、素敵な花瓶を用意しておかないといけないわね」
くすくすと笑うクラリスさんに改めて礼を告げ、俺たちはエヴァレット旧蔵店を後にした。
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そしてついに、ダンジョンへ向かう日が来た。
《影足》は、短い距離であれば狙った場所へ移動できるようになった。
とはいえ、まだ精度は荒い。多用すれば怪我をしかねないため、本当にいざという時まで使わないことにしている。
ユーディアは投げナイフを少し触っていたようだが、実際に扱っているところは見たことがない。
本人は「大丈夫だ」と言い張っていた。
……もう信じるしかない。
図鑑も読み込み、採取するものの目星もつけた。
道具は万全。水も持った。
初心者用ダンジョン道具チェックリストも確認済み。必要なものはすべて揃っている。
準備は整った。
早朝。
まだ日が昇りきらない時間帯。
事前に頼んでいた食料品を受け取りに、せせらぎ亭へ向かうと、ガルドさんとニーナさんが二人で出迎えてくれた。
「おはようございます、ガルドさん。ニーナさん」
「よう、アルノーさん!おはよう!今日からダンジョンだろ?気をつけてな!」
「お食事、とびっきり美味しいのを用意しておいたからね」
大きな紙袋をいくつも受け取る。代金は事前に支払ってあるため、今日は受け取りだけだ。
「……おっ。そっちはアルノーさんのパーティメンバーかい?初めまして、ガルドだ。こっちは妻のニーナ――」
「大丈夫です、知ってますよ。こいつユディです。俺の友達で、技能祝いのときに一緒に来たやつです」
「あぁ~!すまんすまん」とガルドさんが頭をかく。
相変わらず、ユーディアの顔は覚えにくいらしい。
……毎回説明するのも、少し面倒になってきた。
「……そうだ、アルノーさん。頼まれてたもの、入れておいたからな」
「すみません。ありがとうございます」
「む?アルノー君、何を頼んだのだね?」
「大したものじゃねーよ」
実は、対ユーディア用の秘密兵器を用意したのだ。
本人には内緒だ。適当に話を流し、ガルドさんたちへ改めて頭を下げる。
「それじゃあ、行ってきます。ダンジョンから戻ったら、ここで酒盛りにでも来ますよ」
「嬉しいこと言ってくれるわね。アルノーさんたちの席はちゃんと取ってあるから、待ってるわよ」
「3日間っつっても油断するなよ?俺みたいに攻撃系の技能がないと、地下1階層でも怪我するからな」
「ありがとうございます。気をつけます」
心配してくれるその言葉に、胸がじんわりと熱くなる。
もう一度深く頭を下げ、俺たちはその場を後にした。
「よぉっし!じゃあ行くぞ、ダンジョンへ!」
「……何度も言うが、今回結果が出なければ、二度とダンジョンには行かないからな」
しつこいやつだ。
だが、
そう言いながらも準備にはきちんと手を貸してくれたのだ。
その恩には報いたい。
一攫千金は難しいかもしれない。
それでも、せめて“プラス”で終われるように頑張ろう。
――さあ、ダンジョン探索の開始だ!




