【44】個人授業
「それでは、授業を始めましょう」
「「よろしくお願いします」」
今日は午前と午後に図鑑を読み、夕方からローレン先生の研究室に来ていた。
案の定、さまざまな土の魔力の波長を変えさせられることになった。何に使うのかは分からないが、「実証実験は試行回数が命です!」とのことらしい。
ローレン先生が幸せそうなので、まあ良しとしよう。
さて、いよいよ本命の個人授業だ。
ローレン先生は俺たちの前に空の器を置いた。
「ダンジョンへ行かれるのでしたら、まずは生活に直結する火と水の魔法から覚えましょう。アルノーさんは火は出せますね?」
「はい、一応」
「では今回は、お二人とも水魔法からいきましょうか」
水か。
確かにコートへ大量に水を収納できるとはいえ、水源の乏しいダンジョンでは自力で出せた方が安心だ。
「では、私の魔力をよく見ていてください。ゆっくりやりますよ」
手のひらを上に向けると、若緑色の魔力が螺旋を描きながら集まってくる。
それが、すうっと澄んだ青へと変化した。
青い魔力は徐々に濃度を増し、ある一点を超えた瞬間――その中心からゴボゴボと水の玉が現れる。
先生はそれを、あらかじめ用意していた器へとパシャ、と注いだ。
「《魔力知覚》をお持ちなら、今の波長に合わせられるはずです。やってみてください」
俺も手のひらに魔力を集め、青へ変わるよう意識する。
土の波長を合わせる時より、ずっとスムーズだ。
紫と青は近い色だからだろうか。
そのまま濃度を高めると、ゴボゴボと水の玉が生まれる。
先生と同じように器へ流し込んだ。
「出来ました!」
「おおー、さすがですねぇ。では、次は波長を合わせる速度を上げましょう。今度は火と水を交互に出してみましょうか」
つまり、青と赤を素早く切り替えるということだ。
確かに、これは少し難しそうだ。
一方、ユーディアは――
バシャッ!
豪快な水音が研究室に響く。
大量の水が器からあふれ、床までびしょ濡れになっていた。本人はテーブルにもたれかかり、肩で荒く息をしている。
どうやら、また全身の魔力を一気に注ぎ込んだらしい。
「ユディさん、大丈夫ですか?」
「な、なんの……これしき……」
顔色は青い。魔力も残りわずかだ。
ローレン先生は慌てて戸棚を開け、小瓶を取り出してユーディアへ差し出した。
「今日はまだポーションは飲んでいませんね?」
「はい……感謝します、ローレン殿……」
ユーディアは小瓶を受け取り、くいっと一気に飲み干す。
すると、種火のようだった魔力がボウッと膨れ上がった。
むしろ、いつもより多いくらいだ。
「ローレン先生、それ……かなり高価なポーションじゃないですか?こいつの魔力、いつもより増えてますよ」
「おや、分かりますか?私の特製ポーションです。効果は抜群ですよ」
「なんと……貴重な品を……助かります、ローレン殿」
魔力が回復したおかげで、ユーディアはすっかり元気を取り戻している。まだ授業は続けられそうだ。
ローレン先生が指を軽く振ると、ずぶ濡れだった床がずずっと水を吸い上げ、一瞬で乾いた。
相変わらず、緻密な魔力操作だ。
俺よりよほど上手い。
せっかくの個人授業だ。
ユーディアの弱点をきちんと伝えて、少しでも魔力を扱えるようにしてもらおう。
「ローレン先生。ユディの奴、《魔力操作》があるのに魔力を動かすの苦手みたいなんです」
「苦手ではなく、得意ではないだけだ」
「それを苦手っつーんだよ」
何を見栄を張っているのか。
相変わらず、めんどくさいやつである。
「……え?《魔力操作》があるのに魔力を動かせないんですか?」
「動かせは……しますが……加減が難しいのです……」
しどろもどろにユーディアが言うと、ローレン先生は理解できないという顔でユーディアを見つめた。
「子供でも多少の魔力を操作できますが、《魔力操作》をお持ちでありながらここまでド下手くそは私も初めてです」
「ど、ド下手くそ……!?」
「《魔力操作》で波長を変えるのが得意なのに魔力を動かせないなんてとんだ無能ですが……さて、どう授業しましょうか……」
ユーディアは唖然とした表情で、はくはくと口を動かし、ローレン先生を指さして俺を見る。
ーーようこそ、ローレン先生の授業へ。
俺はにこりと微笑んだ。
「でも、大丈夫ですよ。無駄な足掻きかもしれませんが、努力すれば、多分きっと恐らく、扱えるようになるかもしれませんから!」
容赦ないローレン先生の言葉に、ユーディアはさっきよりもぐったりしていた。
ローレン先生に俺たちの得意不得意を伝えた結果、俺は魔力の波長を合わせる訓練を、ユーディアは魔力の動かし方を重点的に鍛えることになった。
俺は水と火をできるだけ素早く交互に発動させる練習に加え、光を出す特訓もしている。
魔力の色を白に変えられれば、短時間だけ光の玉を生み出せるのだ。
ランタンよりも強い光源になるため、魔物の目くらましや、手元が極端に暗い場面で役立つらしい。
だが、紫色から白へ変えるのがどうしても上手くいかない。
他の色には変えられるのに、純白にだけできない。どうしても、わずかに色味が残ってしまうのだ。
「ローレン先生、どうしても魔力に色が……波長が、なかなか合わなくて……」
「確か、魔力を色として認識しているのでしたね? でしたら、光の波長の色は何色です?」
「真っ白です。でも、どうしても少し色が混じってしまって……」
「でしたら、こちらの花を見てください」
先生は植物であふれる研究室の一角から、大きな純白の百合を植木鉢ごと運んできた。
確かに、光の魔力はこんな色合いをしている。
「視覚に頼って波長を見ているのでしたら、近い色を実際に見ながら合わせてみましょう」
なるほど。
自分の中だけで再現できないなら、見本を置けばいい。
《魔力知覚》を持たないにもかかわらず、ローレン先生は的確な助言をくれる。
本当に優秀な先生だ。
「それで駄目なら、アルノーさんには才能がないということです。さっさと割り切って別の魔法の訓練に切り替えましょうね」
……こういう、オブラートをどっかいっちゃった発言さえなければなぁ。
はぁ、とため息をつきつつ、横目でユーディアの様子を見る。
あちらでは魔力操作の特訓中だ。
俺が最初に魔力を感じる訓練で使った水晶玉を用いている。
ローレン先生とユーディアが水晶玉に手をかざし、先生と同じ強さの魔力をぶつけて相殺する――そういう訓練らしい。
「ユディさん、もっと弱く」
「ふんぬぬ……」
「今度は魔力が消えています。段階を踏んで、少しずつ流す量を増やしましょう」
「うぐぐぐ……」
ローレン先生はごくわずかな魔力で合わせているが、それでもユーディアの魔力はあっという間に底をついてしまう。
「はぁ、はぁ……」
「ユディさんは魔力量がありえないほど少ないですからね。より繊細に扱えるよう、自主練をしておいてください」
「承知……しました……」
魔力を使い果たし、再び顔色が悪くなったユーディアは、がくりと肩を落とす。
ローレン先生は席に戻り、紅茶を一口含む。
「お二人とも、お疲れ様です。今日はこの辺にしてお茶でもいかがです?」
「うむ……いただきます」
「俺もお願いします」
先生は嬉しそうにカップを用意し、植木鉢に植えられた低木の葉を数枚摘み取った。
研究室にはさまざまな植物があり、その日の気分で生の葉をその場で茶葉に変えて振る舞ってくれるのだ。
これがまた、美味しい。
「今日は何のお茶なんですか?」
「ウーバンワイズ産の茶葉です。少々渋みは強いですが、魔力回復や気力回復に効果のある紅茶ですよ。魔力の特訓は疲れますからねぇ。効果の強い物を用意しますから」
先生は生の葉を片手に乗せ、もう片方の手をその上にかざす。
すると、みるみるうちに葉が乾き、色づき、深い茶色へと変わっていった。
それを宙へ放ると、今度は熱々の湯をたたえた水球が現れ、茶葉をちゃぽんと飲み込む。
じわり、と琥珀色がにじみ出る。十分に抽出されたところで、そのまま滑らかにカップへと注がれていった。
何度見ても鮮やかな魔力操作だ。《魔力知覚》で観察すれば、その精密さに思わず息をのむ。
とてもではないが、今の俺には真似できない。
「……そういえば、紅茶って茶葉を発酵させるんじゃなかったでしたっけ」
緑茶との違いは、確か発酵の有無だったはずだが……。
そう聞くと、ローレン先生はどこか誇らしげにティーカップを持ち上げた。
「ふふふ。私は《草木操作》という技能を持っているのです。植物を自在に変化させることが可能なのですよ。本来は草木を操るだけですが、こうして工夫を凝らせば瞬間的に乾燥、揉みこみ、発酵、さらには茶葉の粉砕まで行えます」
すごい。さすがは王国一美味しくお茶を入れられると自負するだけのことはある。技能の使い方までお茶に捧げているようだ。もはやお茶ジャンキーである。
出された紅茶を口に含む。
ふわりと香ばしい香りが立ち上り、強めの渋みが舌に広がった。味は濃く、やや苦い。だが、どこかフレッシュさもあり、不思議と飲みやすい。
「このお茶は渋みが強いので、クッキーやケーキと合わせるともっと美味しいんですよ」
そう言って、いつも通りフレイムビスキュイを手渡してくる。
確かにこの渋さならまったり甘いお菓子が合うだろう。
……だが、ここまで苦いならミルクが欲しくなってくる。俺は基本的に紅茶はストレート派だが、気分によってはミルクティーを楽しむことがある。
しかし、このミレアスにも牛乳自体は存在するものの、地球のそれとは違い非常に傷みやすい。ほとんどチーズに加工して販売されるのだ。
そのため牛乳の流通量も少なく、店頭で見かけることはほとんどない。手に入れたとしても、その日のうちにシチューなどへ使い切らなければ、すぐに駄目になってしまうのだ。
「ローレン先生、ミルクってあります?」
試しにそう尋ねてみると、ローレン先生はこてり、と小首を傾げた。
「ミルク、ですか?ありませんが……何にお使いに?」
お茶をこよなく愛するローレン先生がそう返すということは、どうやらミルクティーはあまり一般的ではないらしい。
「いや、これくらい渋いならミルクを入れても美味しいかなーと」
「こ、紅茶に、ミルク!?」
ローレン先生は勢いよく立ち上がり、がたがたと椅子を鳴らしながら俺から距離を取った。
……随分と大仰な反応だ。
「ミルクなんて入れたら乳臭くなって飲めませんよ!紅茶に対する冒涜です!」
「いや、意外と美味しいんですよ。こういう渋みが強いのは、確かミルクティー向きだとか」
「ほう?それは気になるな」
ユーディアが面白そうに目を細め、水の入った器をこちらへ押し出してくる。……やれってか?
「《神の舌》」
紫電が走り、水の中へと俺の魔力が溶け込んでいく。見た目は変わらないが、これで味は俺が飲み慣れた牛乳と同じになっているはずだ。
それを少量、紅茶へ注ぐ。ユーディアも俺に倣ってカップへ加えた。ローレン先生は「え?は?」とついていけない様子で固まっている。
「ーーうまっ」
隣でユーディアの鳴き声を聞きつつ、確信をもって一口。
ーー渋みが牛乳の油分と合わさり、コクとまろやかさに変化して飲みやすい。むしろ、ミルクティーとして完成度がかなり高い。そして、なんとなくだが魔力がグングン回復する。
「紅茶を、水で薄めたんですか?」
「違いますよ。俺、味を付ける技能を持ってるんです。この水をミルク味に変えたんですが……このお茶、凄く合いますよ」
「あ、味を付ける技能?いえ、それより、これがミルクに?」
透明な水を訝しげに見つめ、ちらりと俺とユーディアへ視線を移す。ユーディアはすっかり気に入ったらしく、かなりのハイペースで飲み干している。
その様子に後押しされたのか、ローレン先生も恐る恐る、自身のカップへミルク味の水を注ぎ、口に含んだ。
ーーその瞬間。
ズシャ、とローレン先生がその場に崩れ落ちた。
……何事!?
俺、毒とか盛ってないぞ!?
慌てて立ち上がり床を覗き込むと、四つん這いになったローレン先生が、ぽたぽたと涙を落として床を濡らしていた。
「こっ……こんなことって……なんて、なんて美味しいんでしょう……!」
どうやら味がお気に召したようだが、反応があまりにも大袈裟すぎる気がする。
心臓に悪い。
「紅茶はそのまま飲むのが最も美味しいと信じておりました。砂糖を入れる方もいますが、私としてはストレートこそ至高だと……。しかし、この茶葉には……むしろミルクこそが至高……」
ぶつぶつと呟き続ける先生を横目に、俺はミルクティーを啜りながら様子を見守る。
こんなローレン先生を見るのは初めてだ。
「それなのに私は……研究者でありながら、試しもせずに『ミルクなど冒涜』と決めつけていました……。先入観こそ、研究における最大の敵ですのに……!お茶を愛する者として、これほど自由な発想で茶葉の可能性を引き出すアルノーさんに、嫉妬すら覚えてしまいます……」
「完敗です……」とガックリとその場で肩を落とす。
ーー俺は何に勝って、先生は何に負けたのだろうか。
いまいち分からないが、ローレン先生に新しい道が開けたのなら、それはそれで良かった。
その時。
シンッ……
「ん?」
妙な感覚が走った。
一瞬だけ、俺の魔力がぴたりと止まったのだ。
まるで風ひとつない湖面のように、凪いで静止している。
そして、
コォン……
楽器の弦を弾いたかのように魔力の表面が震えた。
思わず周囲を見回す。
だが、特に変わった様子はない。
「どうかしたのかね?」
「いや……何でもない」
気が付けば、魔力はいつも通りに戻った。
特に何か起きたわけではない。
……今のは、なんだったんだ?
「アルノーさん!」
「はっ、はい」
ローレン先生が床から勢いよく立ち上がり、ずいっと距離を詰めてくる。
あまりの勢いに、俺は椅子に座ったまま思わず身を引いた。
「これは新しいお茶文化の幕開けですよ!ミレアスで流行ります!間違いなく!ぜひ、新たなお茶の楽しみ方について一緒に語り合いましょう!!」
「ま、待ってください!この後ユディと技能の訓練をする予定なんです!ダンジョン前なので、念には念を入れておきたくて!すみません!」
このまま捕まったら、確実に夜通し語らされる!
きっぱりと断ると、ローレン先生はがくりと力を抜き、テーブルに寄りかかった。
「そ、そんなぁ……3日間ダンジョンに潜るなら、3日間お茶について語り合いましょうよ……」
「3日間は勘弁してください。でも、ダンジョンが終わったら少しならお付き合いしますから」
「本当ですね?約束ですよ?先生、嘘つきは嫌いですからね?」
……これは、無事に帰ってきても大変そうだ。
ローレン先生に新しいお茶の道が開けたのは良い。
だが、その情熱があらぬ方向へ広がりすぎないことを祈るしかない。
ローレン先生に名残り惜しそうに見送られながら、俺たちはアジトへと戻った。




