【42】新技能の訓練
アジトへ帰る途中、残飯を漁って夕飯の材料を確保した。まだこの世界の食材には知らないものが多いので、ユーディアにおすすめを聞きながら残飯を仕分けていく。
そうして出来上がったのは、いつも通りの透明な残飯スープだ。今日は珍しく、魚の骨と、そこにわずかに残った身が手に入ったのだ。
せっかくなので、味付けはブイヤベース風にしてみた。
「うまっ。……なんだね、この味は」
「トマト……じゃなくて、カポスの実と魚のスープ味。ブイヤベースって言うんだ。本当は魚とか貝とか色々入った赤いスープなんだけどな」
「ふむ……これは素晴らしい味だ。実に風味が豊かで良い。魚の旨味が溶け込んでいる」
ユーディアは目を閉じ、全身で味わうようにゆっくりとスープを飲み込む。
というか、初めて「うまっ」以外の感想を聞いたな。
「マッシュポテ……マッシュコロンがあると、もっと美味いぜ」
「ふむ。あれは皮付きでも食べられるからな。なかなか手に入らないのだが……今度、コロンだけでも買ってくるか」
「食材を買いたくなるほど気に入ったのか?」
「あぁ。また作ってくれ」
よほどお気に召したらしい。
珍しく、やけに素直なお願いだった。
東京での食べ歩きで覚えた味が、こんなところで役に立つとは思わなかったな。
スープを飲み終えると、俺はさっそくダンジョンの魔物図鑑を引っ張り出した。
それを見た瞬間、ユーディアがあからさまに眉をひそめる。
「……食事の余韻すら、楽しませてくれんのかね?」
「教会でさっさと外に出たお前に言われたくはないぞ。ほら、続き読もうぜ」
渋々といった様子で図鑑を開き、ユーディアは1ページずつ読み上げ始める。
途中で引っかかった部分を俺が修正しながらではあるが、さっきよりも明らかに読むペースは上がっていた。
だが、1時間もしないうちに図鑑をパタンと閉じる。
「……そろそろ、アルノー君の新技能の練習をしよう」
簡易講義のテキストと違い、魔物図鑑は漢字も多く言い回しも少し難しい。さすがに疲れてきたらしく、目に見えて集中力が落ちていた。
今日はここまでにしておくか。
「OK。お疲れさん」
「はぁ〜……さっさと行くぞ。気分転換をしたい」
ユーディアはそう言うとテーブルから立ち上がり、すぐにマントを手に取ってアジトを出ていく。
相変わらず、せっかちなヤツだ。
俺は図鑑を片付けてから、急いでその背を追った。
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俺たちは市民街の郊外――
民家が遠くにちらほらと見える、広い原っぱに来ていた。
光源は星と月明かりだけだが、遮るものがない分、意外なほど明るい。
「で?ここまで来て新技能の練習って、何をするんだ?」
「まずは、逃走に最も使える《影足》の発動に身体を慣らす」
「いつもの路地じゃダメなのか?」
「ハッ。鼻の骨を折りたいのなら、止めんが?」
……骨を折る?
意味が分からず小首を傾げていると、ユーディアは「それに」と続けた。
「これまでは、狭く人工物の多い路地で追っ手を引き離す訓練だったからな。だがダンジョン内は、足場が悪く、広大で、隠れる場所が少ないこともある。今日は、技能を使って自由に動く練習をするぞ」
「ふーん。なるほどね……で、具体的には?」
ユーディアは俺から2メートルほど距離を取ると、足先で地面をなぞり、直径1メートルほどの円を描いた。
「《影足》を使い、一歩でこの円の中に来たまえ」
「……そんだけ?」
「それだけだ」
簡単すぎないか?
そう思った俺の心を読んだかのように、ユーディアは小馬鹿にしたように鼻で笑う。
「簡単だと思うなら、やってみるがいい」
「わかったよ」
さっさとクリアして、次に行こう。
俺はユーディアとの距離を測りながら、技能名を口にする。
「《影足》」
魔力が、ぶわっと全身を包み込んだ。
《偽相盗用》と似た感覚だが、それとは違い、意識はハッキリと冴えている。
体が軽い。
世界が、ひどくゆっくりに見えた。
タン、と軽く地面を踏み込む。
体が羽のようにふわりと飛んだ。
体幹も、異様なほど安定している。
まるで空中をスライド移動するかのように、体が宙を滑った。
そのまま、ユーディアの横に並び立――
――その横を、すり抜けた。
「……へ?」
止まらない。
止まる気配が、まるでない。
――止まれ!
必死に足で地面を踏ん張る。
かかとが地面に軌跡を描くが、それでも体は前に進み続ける。
スローモーションの世界で、かかとで踏ん張っているのに体だけが水平に滑り続ける光景は、あまりにもシュールだった。
なんとか止まろうとして、思わず技能を解除する。
ーーその瞬間、世界が急激に加速した。
体幹も元通りになり、
勢いを失わなかった俺の体は前へ投げ出される。
「うわぁぁあああ!?!?」
顔面から地面に突っ込む!?
そう覚悟して思わず目を閉じた、その時。
シュルリーーッ!
コートが瞬時に俺の全身を包み込み、卵の殻のような形へと変化する。
そのまま、俺はコートに包まれたまま原っぱを転がった。
コロコロ、コロコロと転がり、ようやく停止する。
地面に叩きつけられる衝撃はなかった代わりに、体から魔力がごっそり持っていかれた。
どうやらダメージ相当分の魔力を消費して、防御してくれたらしい。
コートがほどけ、グルグルと目を回した俺は原っぱに大の字で仰向けになる。
ちらりとユーディアの方を見ると、10メートル以上離れていた。
――コートがなければ、前歯と鼻の骨は確実に逝っていた。
「……ありがとな」
そう言ってコートを撫でると、ぷるっと嬉しそうに震えた。まるで「役に立っただろ?」と言わんばかりだ。
「技能での移動中に技能を切るとはな。どうなるか分からなかったのか?」
ユーディアが、ため息混じりに言う。
「しかも転ぶ瞬間、君は目をつぶっていたであろう?あれでは受身も取れん。馬鹿者め」
クドクドと小言を並べながら、ユーディアは俺の方へ歩み寄ってくる。仰向けになっている俺を、呆れたような顔で見下ろした。
「商業街の路地で、同じことをやってみたいかね?」
「……ここで、お願いします……」
「よろしい」
技能を持っていても、使えなければ意味がない。
騎士と戦った時は、反射的に身体が動いていた。
だが、いざ意識して使おうとすると――力加減が、想像以上に難しい。
「もう一度だ。魔力を加減しろ。技能は止まってから解除するのだ。それから……鼻が折れようとも目だけはつぶるな」
淡々と、しかし要点だけをきっちり押さえて指示を出す。ユーディアは俺から2メートルほど離れ、再び足元に円を描いた。
……《影足》を使うと身体能力が急激に跳ね上がる。
そのせいで、いつもの感覚で動くとどうしても大雑把になるのだ。
遠くへ一瞬で移動するには向いている。
だが、この「2メートル」という微妙に近くて遠い距離が、とにかく難しい。
さすがは同じ技能を使うだけはある。
弱点をきっちり理解している。
俺は一度、大きく息を吸ってから立ち上がった。
――次は、失敗しない。
そう自分に言い聞かせ、もう一度技能を発動させた。
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「はぁっ……はぁっ……きっつ……」
膝に手を置き、荒い息を整える。
《影足》は《怪盗歩行》と違って体力が削られる。
動いた分体力が減るのではなく、“体を使った度合い”によって通常よりも数倍の体力を持っていかれるのだ。
たった2メートル動いただけなのに、体感としては20メートル全力疾走した後のような疲労感がやってくる。
しかも、目標地点を過ぎてから無理やり足でブレーキをかけると、さらに身体に負担がのしかかる。
技能を使うたび、
動くたび、
コートに守られるたびに――
魔力も、体力も、ガリガリと削られていく。
気づけば、2時間以上は練習していた。
魔力はすでに半分以上消費しており、身体の芯がじわりと重い。
ベレー先生の講義とは、まったく別種の疲労だ。
……だが、何度も繰り返すうちに、
ようやく“感覚”が掴めてきた。
俺なりの解釈だが――技能とは、“魔力の形や波長を変換する”ための『型』なのだ。
技能という『型』に、魔力という『材料』を流し込むことで、欲しい効果を、欲しい形で出力できる。
そして、その『型』に魔力をどれだけ詰め込むかで、効果の強さが変わる。
だが、どんな技能にも“容量”がある。
限界以上に魔力を詰め込んでも、それ以上の効果は得られない。
……今までの俺は、完全にキャパオーバー気味に魔力を注ぎ込んでいたのだ。
《影足》という『型』に対して、300パーセント超えになるほど、ギッチギチに魔力を詰め込んで発動させていたのだ。
《影足》が受け止められる魔力充填率の最大値は、せいぜい200パーセント。
余った100パーセント分の魔力は、空中に掻き消えていくのみで無駄遣いとなる。
しかもユーディアの訓練では、魔力充填率100%どころか、50パーセントですら強すぎるのだ。
――なら、とにかく技能に流し込む魔力を調整するしかない。
「……ふぅ。ーー《魔力操作》」
深く息を吸い、魔力を完全に意識下へ置く。
イメージは、おにぎりを握る感覚。
ふわっと、ゆるっと。
それでいて、形が崩れないギリギリ。
「――《影足》」
技能名を口にした瞬間、
ギュンッ!
魔力が、一気に『型』へ引き込まれる。
うぉぉぉっ!?
ストップ、ストップ!!
必死に止めようとするが、排水溝に吸い込まれる水の如く魔力が止まらない。
《魔力操作》をもってしても、勢いが強すぎる。
とにかく、MAXまで満ちる前に先に動いて――
ガッ
「あっ」
足元の石につまづいた。
《影足》によって、転倒すら加速される。
顔面から地面に叩きつけられる――その直前。
コートが、地面に滑り込むように展開し、クッションとなってくれた。
「っだぁぁーー!!難しいぃーーっ!!」
仰向けに倒れ込み、夜空を見上げる。
不安定な足場。
咄嗟の魔力操作の難しさ。
《影足》連発による体力の消耗。
魔力を感じ始めたばかりの俺には、あまりにも過酷だ。
というか、《怪盗系統》の技能、全体的に癖が強すぎる。
「ふぅむ……魔力が多すぎる弊害だな」
「弊害……?」
ユーディアは俺の魔力の流れをじっと観察し、顎に手を当てる。
「君のように馬鹿みたいな量の魔力は、大出力の技能には向いているかもしれん。だが、少量の魔力で効果を引き出す《怪盗系統》とは、どうにも相性が悪い」
「マジか……」
魔力は多ければ多いほど良い。
そう思い込んでいた俺には、少し意外な話だった。
「今の君はな。コップに水を注ぐために、湖を丸ごと流し込もうとしているようなものだ」
「いや、加減はしてるぞ? 一応《魔力操作》も使ったし……」
「止めようとした時点で遅いのだよ」
ユーディアはきっぱりと言い切る。
「湖の水を細い川に絞ったところで、コップ程度なら一瞬で溢れる。君の魔力は、それほどまでに出力が強いのだ」
なるほど……つまり、量の問題以前に、勢いが制御できていない、と。
ユーディアが俺に手を差し出す。
その手を掴み、俺は立ち上がった。
「ユーディア師匠、俺はどうすればいい?」
「ヤッ!とやるしかないのだ」
「……ヤッ?」
「ヤッー!だ」
「わっかんねぇ〜……」
相変わらずの雄叫びに、思わず頭を抱える。
うちの師匠、比喩表現はやたら上手いのに、肝心な説明が致命的に下手だ。なんでだ。大体同じもんだろーが。
ユーディアは腕を組み、何とか言葉にしようとして口を開き――閉じる。
斜め上の空を見つめ、しばし沈黙。
「……ヤッ、というのはだな。ほんの、本当に微かに……こう……」
「こう?」
「かき回すような……かさ増し、というか……」
随分と間抜けな顔で、両手をワキワキと動かしながらなんと説明しようか悩んでいる。
「……うむ。言葉では無理だな。手本を見せよう」
諦めたようだ。
どうやら実演に切り替えるらしい。
ユーディアは2メートル先の円へ向き直った。
「私の魔力の動きをよく見ているように。ーー《影足》」
低く技能名を呟いた瞬間、マゼンダ色の淡い魔力が薄く体を包み込む。
……薄い。
目を凝らさなければ見落としそうなほどだ。
ユーディアは軽く地面を蹴った。
タンッ――
体の周囲の魔力が、先に進むようにユーディアを引っ張り、その後を身体が自然についていく。まるで川の流れに身を任せているようにも見えた。
ふわり、と体が浮かび、夜空へ弧を描いて跳躍する。
空中で身体をひねり、俺の方へ向き直りながら――
そのまま、円のど真ん中へ優雅に着地した。
「おおー……」
思わず拍手をする。
多分、今の《影足》に流し込まれた魔力は20パーセント程度。魔力を動かすのが苦手なくせに、《怪盗系統技能》だけは感覚だけで最適な魔力量を叩き出している。
さすがは、なんちゃってじゃない本家本元の怪盗だ。
「っはぁ……まぁ、こんなものだ」
わずかに息を切らし、ユーディアは肩を上下させる。
コイツ、魔力よりも体力を上げる方が最優先なのではないだろうか。
「分かったかね?私の言う“ヤッ!”というのが」
「えーと……魔力の濃度を極限まで薄めて、それを体の周りに纏わせて動かし、真横に移動するんじゃなくて、弧を描くようなイメージで跳躍して、距離と力加減を調整する……?」
「フッ……そう。それが、“ヤッ!”だ」
やっと分かったか、と腕を組み、ふふんと得意げに俺の方へ戻ってくる。その一言の中にどれだけの情報を詰め込んでいるんだ、この師匠は。
だが、言わんとしていることは理解できた。
俺は円の方へ向き直る。
「《魔力操作》」
魔力を動かすのではない。
薄める。
空気に溶かすように、とにかく薄く、薄く。
小指程度では多すぎる。
もっと少量……爪の先ほどの、極わずかな魔力を、全身を包めるほどに薄く広げる。
集中しなければ、空中に拡散して消えてしまいそうだ。うっすらと紫色の魔力が身体を覆うのを感じながら、それを技能として扱う意識を整え――低く呟く。
「《影足》」
シュンッ、と薄めた魔力が俺の周囲を包み込む。
先程より体は軽くならない。だが、それでいい。
そのまま円に向かって、タンッと地面を蹴る。
ふわり、と身体が浮き上がる。
ユーディアの動きを思い出し、進みたい方向へ川のように薄い魔力を流す。
弧を描くように夜空へ舞い上がり、軌道を微調整しながら――
スタリ、と円の縁ギリギリに着地した。
「――よぉっし!出来たっ!ユーディア!おい、見てたか!?今の!」
振り向くと、ユーディアは口の端をニヤリと上げている。
「うむ。よくやった」
ゆっくりと、ユーディアは片手を上げる。
俺はそこへ駆け寄り、勢いよくハイタッチした。
「サンキュー!何となくだけど使い方分かったぜ」
「フッ。調子のいいことだ。ならば、次に行くか」
「やっとか!長かった!よっしゃ任せろ!」
技能を薄く使う感覚は掴めた。
これなら、今後は魔力を無駄遣いせずに運用できる。
さあ次は何だ、と身構えていると――
ユーディアは、市民街の方角を指さした。
「――では、今の感覚のまま《影足》を継続使用し、アジトまで帰るぞ。今日はもう遅いからな」
「…………へ?」
継続、使用?
今のは、限界まで薄めた魔力を使い、全神経を集中させてようやく成功した一回だ。
それを――技能を使いながら、さらに魔力を薄め続けて、帰るまで続ける?
「む、無理」
「無理ではない」
「今のだって魔力が拡散するギリギリだったんだぞ!?それを……アジトまで!?」
「そうだ。でなければ、技能としてまともに使えん」
「難易度上がりすぎだって!集中力が続く訳ないだろ!もうちょい段階を踏ませてくれよ!」
必死にそう訴えるが――
「簡易講義のテキストから、いきなり難解な図鑑を読まされるよりは……なんてことなかろう?」
ニヤァ……と、ユーディアが悪い笑みを浮かべる。
因果応報。その四文字が脳裏をよぎった。
「…………ひぇ」
今度は俺の口から、魂が抜け出そうになった。
2026/2/10 あらすじを変更しました。
また、導入として「【0】怪盗奇譚」を追加しました。
短いですが、良ければお読みください。




