【閑話2】ルルシェラ嬢 一夜限りの大冒険
レオニス様が剣を構え、一歩、また一歩……
ゆっくりと近づいてきました。
「助けは来ないーー貴族をなめたことを後悔しながら死ぬといい」
怖い。
怖い、怖い、怖い……
こんなことになるのなら、
夜遊びになんて出なければ良かった。
そんな後悔が胸にしとしとと雪のように降り積もります。助けを求めるように、怪盗さんに回す手を強くしようとしたーーその時でした。
カタカタカタ……
わたくしを支える腕が、小刻みに振動していました。
ーー怪盗さんも、震えていたのです。
怖いのは、わたくしだけではなかったのです。なのにわたくしは、また自分のことしか考えておりませんでした。
それどころか、わたくしが外に出たせいで、怪盗さん達にもご迷惑がかかったのです。
……なんて、愚かな女なのでしょう。
民を守るのが貴族の務めであり、王族としての責務です。この原因を作り出したわたくしが全ての責任を取らねばなりません。
「……もう、よいのです」
ここまで十分、わたくしを守ってくださいました。
これ以上はご迷惑をかけられません。
怪盗さん達にせめて責が及ばぬように、
震える喉を振り絞り、わたくしは言葉を紡ぎます。
怪盗さんの黒い瞳が、わたくしの姿を映しました。
彼の瞳に映るわたくしは、酷く怯えた顔をしています。
「わたくし一人で、済むのなら……」
ーー貴方達を巻き込んでしまい、申し訳ありません
ーーどうか、行かせてください
ーーわたくしは愚かな女です
ーー怖くはありません
ーー貴方達が逃げられるように説得します
ーーわたくしに任せてください
ーー大丈夫です
ーーレオニス様はすぐにわたくしを殺さないでしょう
ーー時間を稼ぎますから
ーーどうか
ーーどうか……
ーー生きてください
……こんな時でも、
わたくしの言葉は絡まってしまうのですね。
己の不甲斐なさを噛み締め、回していた腕を解きます。涙が出そうです。でもグッと堪え、わたくしを見つめる黒曜石のような瞳に、ニコリと笑いかけました。
その時。
パシンッ!
怪盗さんのお友達さんが、怪盗さんを叩いたのです。
結構痛そうな音でした。
何が起こったのか分からず、呆然とおふたりを見上げます。
すると、怪盗さんはわたくしを地面にゆっくり降ろしました。立とうとして、ぺたりとその場に崩れ落ちてしまいます。
……腰が、抜けました……
「ポン子はここで待ってろ」
「っ……!……」
どうして。
どうして、
わたくしをそこまで守ろうとするのですか。
貴方だって、震えていたでしょう?
わたくしと同じく、恐ろしいのでしょう?
どうしてーーかの騎士へ立ち向かえるのですか?
わたくしの疑問に、怪盗さんは口を開きました。
「お前を引き渡しても、どのみち俺達は殺される。なら、出来るだけ足掻いてやるからさ」
怪盗さんはーーニコリ、と微笑みます。
「終わったら、お礼を期待してるからな!」
「っ」
彼の心は、怯えていました。
そして、ここから逃げたいとも。
ですが同時に、彼の心はわたくしを守ろうとしてくださっていました。
そしてーー心配させまいと優しく微笑んでくださったのです。
その微笑みに、胸の奥がきゅう、と締め付けられます。その勇敢さと優しさに、わたくしは彼の瞳を見つめ返すことしかできません。
そしてーー
彼らは平民でありながら、
騎士レオニス様に戦いを挑んだのです。
その戦いは、わたくしの知るものとは違いました。
相手をひたすら翻弄し、
挑発し、
冷静さを失わせ、
魔力の無駄遣いを誘発する。
正々堂々という“正”の欠片も感じません。
決闘とは、戦好きの神々へ戦いを奉納する儀式のひとつです。
これには神様だって、あんぐり口を開けてしまいます。
レオニス様はとうとう、
2つ目の《極地技能》の発動を決意したようです。
とてつもない魔力が練り上げられ、
レオニス様の周辺の景色が魔力で歪み始めます。
怪盗さん達はすぐにわたくしに駆け寄り、わたくしを庇うように折り重なって倒れてきました。
成人男性2人に押し潰されて、結構苦しいです。
瞬間、結界内全てを蹂躙するような炎がわたくし達を襲いました。
最初は全く熱くなかったのですが、段々と空気が高温になり、肌が燃えるようにひりつき始めました。
しかし、怪盗さん達が全身で庇ってくれたおかげ、わたくしはまだ耐えられました。
ようやく炎と熱が収まり、
呼吸を整えようと目を見開くと、
ーー怪盗さんの顔が、手が、酷く焼けただれていました。
お洋服は燃えていませんでしたが、
恐らく高熱で全身大火傷をしているでしょう。
壮絶な姿に一瞬、わたくしは固まりました。
こんな状態で生きている人を、見たことがなかったのです。
「ッあぁ……!?」
痛みに悶絶し、わたくしから転げ落ちて身体を捩らせる怪盗さんですが、そんな時でもお友達さんやわたくしを気遣う想いが伝わってきます。
なんて、お優しい方なのでしょう。
ーー助けたい。この方を、死なせはしません。
わたくしは彼を助けるべく、
たった今、技能を作り上げました。
「《掌上の癒し》」
出来たての技能を発動させ、彼に触れて魔力を流せば、みるみるうちに彼の酷い火傷が治っていきます。落ち着いた彼は、涙目でわたくしを見上げてきます。
「ポン子っ……!助かった……!」
ーーそれは、わたくしの台詞です。
怪盗さん達のおかげで、わたくしは助かったのです。
「悪い……そいつを頼めるか?」
「っ!」
わたくしの上に倒れる怪盗さんのお友達さんも火傷をしているようです。
ーー大丈夫です、必ず救いますから。
わたくしが頷くと、怪盗さんはわたくし達へ手を伸ばしてきました。どうやら、お友達さんに触れたいようなのです。きっと心配なさっての行動でしょう。
わたくしは、彼のこれまでの行動に心が打たれました。
彼の献身を。
彼の勇敢さを。
彼の優しさを。
わたくしはーー心より、彼を好ましく思ったのです。
だからーー
「な、何をーー」
わたくしは、彼の伸ばしてきた手を掴みました。
お父様のご命令無しで能力を使うことは禁じられています。これがバレたら、きっととんでもなく怒られてしまうでしょう。
それでも。
わたくしの能力は、
きっとこの日の為に与えられたのです。
「ーー貴方に、“神々のご加護”があらんことを」
本来ならば、王族でも王位継承が確約されている次期国王のみに与えることを許された、わたくしの“祝福”。逆境を跳ね除け、あらゆる幸運と技能適性が跳ね上がる禁忌の力。
この祝福は、貴方にこそ相応しい。
その瞬間、背後で風がうねる音がしました。
わたくしはお友達さんと共に、怪盗さんに突き飛ばされます。
直後、先程までいた場所に破裂音と土埃が上がりました。
「はぁ、はぁ……燃えカスの平民風情が……まだ動くかッ……!」
レオニス様の憎悪に満ちた言葉に
身体が震え上がります。
……怪盗さんと、離れ離れになってしまいました。
もし、わたくしにレオニス様の剣が向けられたら、ひとたまりもありません。
「あっれぇ?騎士様、もう終わりですかぁ?」
その時。
怪盗さんが、わざとらしく大きな声を上げました。
「アレがお前の本気ぃ?おいおい、涼しすぎるぜぇ?」
笑っていますが、その心の内は、わたくし達を守りたい一心だと分かります。
「下等種族すら燃やせないとか、お前も俺たちと同レベルってことじゃねーの?ダッセェ〜!」
……彼は、
レオニス様の注意を惹きつけようとしているのです。
「ーー貴様ァッ!」
レオニス様は剣を構え、彼に迫っていきました。
……どうか、ご武運を。
今は、わたくしがやるべきことをやるしかありません。
任されたからには、必ず――お友達さんを救います。
わたくしは《掌上の癒し》を使い、まず目に見える火傷を治しました。
ですが、それだけでは足りません。
この方は、重度の魔力欠乏に陥っています。
体内の魔力が枯れかけ、今にも“魔力枯渇”を起こしかけている状態です。
このままでは、呼吸が止まってしまう。
一刻の猶予も許されません。
……体に大きな負担がかかることは分かっています。
けれど、必ず救うと、怪盗さんと約束したのです。
わたくしは、もう一度、新しい技能を組み上げました。
「《魂魄回廊》」
一時的にですが、お友達さんとわたくしの間に、魔力でできた回廊を作り出します。
命と命を、直接つなぐ行為です。
続けて――
「《魔力操作》」
あまり得意ではありませんが、必死に、お友達さんの魔力の波長に合わせます。
慎重に、ほんのわずかずつ、回廊を通して魔力を送りました。
その瞬間――
苦しそうな声が、お友達さんの喉から漏れました。
本来、他人の魔力が体内に入ると、激しい痛みと不快感を引き起こします。
波長が合わなければ、拒絶反応が起き、最悪の場合……命を落とすこともあります。
――気を失っていらしたのは、不幸中の幸いだったのかもしれません。
すぐに魔力の供給を止め、《掌上の癒し》をかけ直します。
体力が少し戻ったのを確認してから、再び、ほんのわずかだけ魔力を送ります。
それを、何度も、何度も繰り返しました。
波長が完全には合いません。
送った魔力のほとんどは拒まれ、宙へと散っていきます。
それでも――
何もしないよりは、ずっと、ずっとましです。
何度目かの往復の末、ようやく、小指の先にも満たないほどの魔力が定着しました。
……これ以上は危険です。
拒絶反応が強すぎますし、これ以上続ければ、命に関わります。
わたくしは《魂魄回廊》を解除し、最後にもう一度、《掌上の癒し》を施しました。
……呼吸が、少しずつ、落ち着いてきます。
峠は――越えました。
ですが、まだ安心はできません。
早く、安全な場所で、ゆっくりお休みいただかなければ。
わたくしは、怪盗さんへと視線を向けました。
怪盗さんは、レオニス様の攻撃を紙一重でかわし続けていましたが――
突如、その動きが変わりました。
まるで、別人のように。
一瞬で距離を詰め、高速で移動し始めたのです。
――おそらく今、技能を授かったのでしょう。
怪盗さんは攻撃を掻い潜り、
レオニス様が、何かにつまずいたかのように体勢を崩した、その一瞬。
背後へ回り込み――
迷いのない、一撃。
レオニス様は悲鳴を上げ、地面へ倒れ伏しました。
しばらくして、その身体は動かなくなります。
――平民が、騎士を倒したのです!
勝ったことが嬉しくて、
みんなが助かったことに安堵して、
でも怪盗さんが無事か心配で――
様々な感情が一気に込み上げ、わたくしは考えるより先に動いていました。
「――っ!」
気づけば、怪盗さんの背中に飛びついていました。
侍女達が見ていたら、「はしたない!」と叱られていたかもしれません。
でも今は、誰もいません。好き放題です。
――この人、またわたくしをお菓子だと思っています!
しかも、ちょっぴり失礼な感じで!
「……ポン子、ちょっと痛い」
「っ……!」
はっとして手元を見ると、怪盗さんの指が折れています。
……わたくし、また自分のことばかり考えていました。
慌ててその手を取り、技能を発動させます。
折れていた指は、みるみるうちに元通りになりました。
……こんなに傷ついてまで、戦ってくださったのですね。
胸の奥が、きゅっと締め付けられ、涙が出そうになります。
「……治ったよ。ありがとな、ポン子」
怪盗さんは、安心させるように、治ったその手でわたくしの頭を撫でてくださいました。
懐かしい感覚に、思わず顔が緩んでしまいます。
「……そういや、■■……俺の連れはどうだ?」
―ーそうでした!
またわたくし、すっかり自分のことばかり……!
急いで、お友達さんのもとへ案内します。
倒れたお友達さんの姿を見た怪盗さんは、ひどく動揺されているようでした。
「……はぁ。迷惑かけてばっかだな、俺」
そう呟いたあと、怪盗さんは、わたくしを見つめます。
「ポン子、お前、一人で帰れるか?」
……。
…………帰る?
ハッとしました。
一体ここはどこなのでしょう?
侍女達に案内をされて貴族街を少し回ったことはありますが、この辺は全く存じ上げません。
お友達さんを介抱したい怪盗さんに、
いつまでもご迷惑をかけられません。
でも……朝まで一人になるのは、
とても心細く感じました。
そんなわたくしの頭に、暖かい手が添えられます。
「……今晩だけ、うちに来るか?」
「!」
「……俺の友達、背負うの手伝ってくれよ」
「っ」
仕方なさそうな口調ですが、
わたくしを心配してくださっているのは、すぐに分かりました。
わたくしは、こくこくと頷きます。
その優しさが嬉しくて、
思わず、また抱きついてしまいました。
――やっぱり、少し失礼な感じで、わたくしをお菓子だと思っているようです。
「ーーさて、」
怪盗さんは、わたくしを引き離すと倒れるレオニス様へ歩み寄ります。
落ちていた剣を拾い、彼はレオニス様を見下ろしました。
……何を、なさるのでしょうか?
「さぁて……お仕置きの時間だ」
その声音は、どこか楽しげで――
わたくしの胸が、ざわっとしました。
――そこから先は、
わたくしの言葉では、とても言い表せません。
ただ、怪盗さんが、ひどく楽しそうに“それ”をしていることだけは、分かりました。
……怪盗さんは、やっぱり悪い人なのでしょうか……?
わたくしは、なるべく“それ”が視界に入らないように、
顔を上げ、星の少ない夜空を見つめていました。
ーー怪盗さんの“お仕置き”が、終わるまで。




