【8】風呂と噂話
ぶくぶくぶく……
「いぎがえる゛ぅ~……」
俺は湯船に浮かんでいた。
職業訓練所を出た時、俺はほとんどボロ雑巾のような有様だった。このままアジトに連れて行くのは忍びない、というユーディアの判断で、そのまま引きずられて公衆浴場へ直行である。
入浴料は銅貨三枚。痛い出費だが、大衆向けなだけあって中は広く、利用者が多い割にゆったりしていた。
ベレー先生の地獄講義を三コマぶっ通しでやったせいで、腕も足も筋肉痛確定だ。だが今は、とにかく久しぶりの湯船を堪能したい。じんわりと疲れが溶けていく中、技能を解除して姿を現したユーディアが鼻で笑った。
「だから言っただろう。そう簡単に上手くはいかんと」
「こんな地獄だとは思わないじゃん……つーか、お前、寝てただろ」
「失礼な。見張りだ、見張り」
「気配、ピクリとも動いてなかった癖に……」
俺は静かに風呂に入りたい派なんだが、ここは異世界の浴場だ。まるで酒場のように話し声が絶えず響いている。
「おい聞いたか?怪盗ユーディアが出たってよ!」
「あぁ、でもすぐに捕まったんだろ?」
「それがーー逃げたらしい」
「マジか!」
……。
……ぶくぶくぶく……。
俺は湯船に顔を半分付けた。
指名手配犯の俺にとっては、なんとも居心地が悪い。
一方のユーディアはなんて事ない顔で風呂を満喫している。便利技能が羨ましい……。
「さっすが、怪盗ユーディアだな!今回ばかりはもうダメかと思ってたのによ!」
「ほんっと、いつもいつも予想外な事をしでかすよなぁ」
「ま、それはそれで面白いがな。そろそろミレアスにも現れるか?って、商人の間では有名だったからな」
「あの貴族商人のラディックが怯えていたらしいぞ」
「ははっ、いい気味だ」
「おい、怪盗が逃げ切ったんだから賭けは俺の勝ちだぞ」
「捕まったは捕まったじゃねぇか、ノーカンだノーカン」
「……お前、めっちゃ有名じゃん」
「当たり前だろう。天下に名を轟かせる、この私だぞ?称える声が後を絶たないのは、世の摂理だ」
噂話を聞いて鼻高々になりやがって……。
「でも、今回何も盗めなかったんだろ?」
「あぁ、いつもなら俺たち市民の目に分かるような場所に置いて盗んだことを見せびらかすが、今回はそういうのを見たって奴はいないし、領主邸からも公式で怪盗ユーディアの襲撃を阻止したって発表があったらしい」
「うわマジかよ、さすがグレゴール様!」
「そんな発表するとか、怪盗からの報復は恐れてないってか?すげぇな」
「いやこれが実際、怪盗はその後手を出してないらしい」
「グレゴール様に怖気付いたのか?」
「ははっ、ちげぇねぇ!グレゴール様程のお方なら、怪盗だってしっぽ巻いて逃げるよ」
「はぁー、ならミレアスは安泰だな。そのうち怪盗も捕まりそうだ」
「もし捕まったら一緒にその顔拝みにいこうぜ」
「いいぜ!天下の怪盗がどんな面してやがんのか気になるからな!」
「「「がっはっはー!」」」
……。
……ぶくぶくぶく……。
隣のユーディアも、顔を半分沈めた。
高く伸びすぎた鼻が秒で折れたようだ。
「……【師弟契約】さえなければ、翌日にはもう一度忍び込めたのだ……」
言い訳まで始めたぞコイツ。
「指輪だって、アルノー君が領主の書斎にいたから、君を領主と間違えただけで……」
「準備もせず見切り発車しておいて、その言い訳はダサいぞ」
「……(ぶくぶくぶく)」
ユーディアは頭まで沈んでいった。
美学とやらを大事にするコイツにとって、ダサいという言葉が致命傷になったらしい。
湯船に頭まで浸かるのはマナー違反だが、ここは異世界。視界から目立つ赤髪が消えてむしろゆっくり出来る、と思っていると、ザバァッ!とユーディアが勢いよく立ち上がる。飛沫が俺に飛んできた。
「アルノー君!一刻も早く、この契約を解消するぞ!このままでは、私が領主ごときに恐れを抱いて逃げたように語り継がれる!!」
「だったら昼寝してないで、お前も解除方法を探せば良かっただろ」
彼はちゃぽん……としょげた顔で湯船の中に座り込んだ。
やっぱ寝てたんかい。
「お前さー、他に解消方法のアテはないのかよ」
「……一応、呪術師や精霊術師を探している」
「精霊術師はまだマシとして、呪術師?」
なんかヤバそうな職業ではあるけど。
「どちらも、“契約”などに詳しい職業なのだ。系統は違えど、【師弟契約】も契約の一種だ。専門家に聞いた方がいい」
「……で、見つかったのか?そいつら」
視線を逸らす。
ダメだったらしい。
「どちらも希少な職業だ。それゆえに、職業を隠して行動している事も多い。ダンジョン攻略勢であれば、ミレアスにも居るとは思ったのだが……」
「ダンジョン!?!?」
今度は俺が、ザバァッ!と立ち上がる。
ユーディアが迷惑そうに顔にかかった飛沫を払っているが、お互い様だ。
今はそれよりーー
「ダンジョンってあるのかよ!」
「当たり前だろう」
「じゃあ、冒険者ギルドとか……」
「……あるに決まっている」
ダンジョン!
冒険者ギルド!
なんてロマン溢れる言葉だ!
「行こうぜ!冒険者ギルド!ダンジョン攻略で稼ごう!」
勢いよく言い切った俺に対し、ユーディアは湯船の縁に肘をついたまま、冷めた目を向けてきた。
「冒険者活動で一攫千金を夢見る者は多いが、現実はかなり厳しいぞ。特に、ダンジョン探索の収入だけで食っていこうなど、それこそ質のいい技能が10個は必要だ」
淡々と、容赦なく夢を叩き潰してくる。
「仮に技能や職業に恵まれていたとしてもだ。さらに一攫千金に値する宝や素材と巡り会えるかどうかは、ほとんど運次第。冒険者ギルドに登録できる程度の実力があるなら、衛兵にでもなって安定収入を得た方が、まだ現実的だろう」
……ちゃぽん。
俺は湯船に沈み直した。
ちぇっ。夢くらい見させろっての。
「はぁ~……この街、図書館とかないのかよ……」
調べ物といえば図書館だ。
インターネットが存在しない世界で、分からないことを調べる時の定石だろう。
だが、ユーディアからそんな話は――
「図書館ならあるぞ」
「…………は?」
「職業訓練所の裏手にある、ドーム状の建物だ」
「先に言えー!!」
「うわっ!? やめんか馬鹿者!」
俺は思わずユーディアの肩を掴んで揺さぶった。
そういえばコイツ、文字が読めないんだった!
文字が読めなければ、そもそも「図書館で調べる」という発想自体が出てこないのかもしれない。
……だが、それはそれとして。
「報連相は大事だろ!!」
「知るかっ!」
「図書館があるなら、明日にでも行くぞ!」
「私は別に構わんがーー職業訓練所はどうするのだね?」
「うっ……」
簡易講義に支払った銀貨二枚。
あれは安くない。
簡易講義では、今日から一ヶ月間、体験した講義部門であれば自由に参加できる。
その後は、部門ごとに小金貨五枚を支払い、五年契約で本講義を受ける仕組みだ。
つまり――
金のない俺にとって、この一ヶ月が勝負。
財産の半分を叩いて手に入れた猶予期間だ。
一秒たりとも無駄にはできない。
「……お前が文字を読めたらなぁ……」
ぼそっと呟いた、その瞬間。
「――あ」
俺はパチンと指を鳴らした。
「そうだよ。ユーディア、お前が文字を読めればいいんだよ!」
「はぁ? 突然なにを言い出すのだね」
「俺がお前に、文字を教えればいい」
文字を覚えれば、どちらかが別のことをしている間、もう一方が図書館で調べ物をできる。
本一冊読むだけでも相当な時間がかかる。俺一人で図書館での情報収集なんて、そもそも無理な話だ。
だったら、多少時間がかかってもユーディアが文字を覚えた方が、長期的には確実に得になる。
異世界人の俺が、この世界の住人に文字を教えるというのは妙な話ではあるが――
できるなら、やるしかない。
「弟子である君が、師であるこの私に、教えを授けるというのか?」
「俺ばっかりツラい講義受けてるの……ズルいだろ……」
「そっちが本音かね!?」
「お前も苦しめ……」
「完全に私怨ではないかっ!?」
ユーディアは露骨に渋い顔をしたが、これも【師弟契約】解消のためだ。
怠け者の師に代わり、生真面目で有能な弟子が気を回してやっているだけである。
「これから毎日、俺の講義が終わったら文字の勉強だ。いるかどうかも分からない奴を探すより、よっぽど堅実だろ」
「ぐぬぬ……」
師らしいことをほとんどしていないくせに、弟子から学ぶという状況がよほど気に入らないらしい。
無駄にプライドの高い怪盗め。
「……仕方ない。ここは弟子の意志を汲んでやろう」
「お前、俺に教えを乞う立場だということ、忘れんなよ」
「ハッ、言うではないか小僧」
そう言って、ユーディアは不敵に笑った。
「ならば、文字の練習後は、私が簡単に稽古をつけてやろう」
「は? なんの?」
「盗賊系統の技能についてだ」
「……それ、お前の流派を汲むことにならないか?」
「多少は、な」
【師弟契約】の立場を揺るがすため、怪盗技能を避けようとしているのに、似たような盗賊系統を取るのは本末転倒ではないか。
だが、ユーディアは俺に指を突きつけた。
「だが君の技能は扱いづらすぎる。もし再び捕まりそうになった時、私が傍にいなければ《偽相盗用》は発動できまい。発動できたとしても、十数秒で魔力切れだ」
「……ごもっとも」
「だからこそだ。最低限、自分の足で逃げ切れるように――盗賊系統の技能を一つだけ継承させる」
確かに、俺の技能はピーキーすぎる。
便利だが、安心して使える代物ではない。
「……わかった。交渉成立だ」
俺はユーディアと軽く握手を交わした。
と、そこで気がつく。
「……暑いな……」
「……うむ……」
同時に、互いの顔を見ると顔がだいぶ赤い。
どうやら、思っていた以上に長湯だったらしい。
若干、のぼせている。
俺たちはそそくさと湯船を上がった。
ふらふらと脱衣所の長椅子に腰を下ろし、火照った体を冷ましていると、近くからまた別の噂話が聞こえてきた。
「おい、聞いたか?また中毒患者が出たってよ」
「マジか!今度はどいつだ?」
「貴族のエストランド家当主、オルディー様らしい」
「はぁ~……そりゃ大変だ。真面目そうな人だったってのに、何でまた……」
「さぁな。お貴族様の生活じゃ、刺激が足りないとかじゃねぇか?」
「ちなみに、フレデリック様がオルディー様を捕まえたそうだ。もともと密輸疑いで追っていたらしい」
「っはー!さすがグレゴール様の弟君だ!有能だねぇ」
「それなら、グレゴール様にも話は通ってんだろ。エストランド家も終わりだな」
……何の中毒かは分からないが、どうやら貴族が何かやらかしたらしい。
ゴシップ話は、どこの世界でも人を引きつけるものだ。
「アルノー君。まさか、その服で帰るつもりかね?」
ユーディアの視線が、脱衣籠にある俺の服を見る。
「……あ」
そうだった。
ベレー先生の地獄講義で、服は汗と土で見事に汚れている。
着替えなんて、当然持ってきていない。
「……師匠、着替えとか買ってきてくれない?」
「君の金で、私の着替えも買っていいのなら考えてやろう」
「師匠、ケチくね?」
「別に私はこのまま帰っても構わんのだよ?弟子よ」
自分が優位に立った瞬間、途端に調子に乗る。
うちの師匠は、そういうタイプのダメ師匠である。
……洗濯の為にも、着替えは今後必須だ。
俺は深いため息をつき、渋々……弟子のなけなしの全財産を、師匠の手に握らせた。




