【5】《偽相盗用》
カビ臭い空気の中、俺は目を覚ます。
座ったまま寝ていたので、体がバッキバキだ。
埃まみれのアジトの中で、横になる勇気はなかった。
「目が覚めたかね」
上から声。
見上げれば、まだ埃が少ない梁の上に座ったユーディアが、俺を見下ろしていた。
アイツは一晩、梁の上で過ごしたらしい。
よくあんな所で寝られるな。
「おはよう、ユーディア」
「……あぁ、おはよう」
一瞬の間の後、ユーディアは俺の傍に飛び降りた。
軽い着地音と共に、周囲の埃が派手に舞う。
「ゲホッ、ゲホッ……おい、もっとゆっくり降りろよ!」
「ヴェッホッ!ゲェッホッ!」
お前もむせるんかい。
「ここはたまらん。外に顔でも洗いに行くぞ」
水路に行き、服の埃を叩き、二人で埃まみれの顔を洗う。
タオルなんて無いので、2人ともびしょ濡れだ。
「……技能習得の前に、まずは掃除だな」
「同感だ」
アジトは水路に近く、水には困らない。
飲食店街の裏手なので、比較的食べられる生ゴミ……いや、残飯を漁りやすい。立地はいいのだ。
ちょっと埃っぽいからと言って、ここからアジトを変えるのは勿体ない。
「君に任せておくと、掃除がいつまで経っても終わらなそうだからな。私も手伝ってやろう」
「そーかよ。じゃ、まずは埃を外に出すか」
昨日はさすがにマンパワーが足りなかった。
2人もいるなら、今日中には掃除も終わりそうだ。
俺は路地を少し歩き、街路樹がある場所へ向かった。
落ちていた枝を拾い、束ねる。
――即席ホウキの完成だ。
昨日作った分と合わせて二本。
一本はユーディア用だ。
「はいこれ」
「……なんだ?」
「これで埃をある程度外に出すんだよ。いきなり水掃除すると埃が水を吸って泥になって大変だぞ」
「ふむ。考えたな」
ユーディアにホウキを持たせ、俺達は作業に取り掛かった。
ーー30分後。
「はぁ、はぁ……」
ユーディアは早くも音を上げていた。
床に座り、肩で息をしている。
ようやく埃を外に出し終えて、まだ水拭きの途中だ。
コイツ、体力なさすぎじゃないか?
「お前、いつも寝床はどーしてんだよ」
「はぁ……いつもは……屋根の上や……木の上で……寝ている……」
本当にカラスのような生態だ。
「てか、ユーディアお前、魔法とか使えないのか?」
「……私に魔法適性はない。あったとしても魔力が少なすぎて、一発使ったら魔力切れだ」
そうか……魔法とか使えれば、掃除も楽そうなんだけどな。
「ーーいや、そうだよ!魔法はなくても技能があるだろ!」
「私に家政婦系統の技能はないぞ」
「そっちじゃない!怪盗系統だよ!お前、すげぇ早く動けるじゃん!」
「《怪盗歩行》のことか?あれは早く動くのではなく、相手の死角へ移動する能力だ。それに移動する度に魔力を消費する」
今の私には無理だ、と手をヒラヒラさせるユーディア。
そうか、ならーー
「……俺が使う、ってのは?」
「まさか《偽相盗用》を使うのか?」
「いざって時に使えないとマズイだろ。もともと、練習はするつもりだったんだ」
このまま掃除してたら、日が暮れる。
それなら技能を使って一気に終わらせた方がいい。
技能の使い方は、早めに知っておきたかったしな。
魔力欠乏を起こしても、ここならユーディアも見ているし他のやつが来そうな気配もない。
あの感覚はゴメンなので、今回は魔力欠乏を起こす前に技能を切ることを目標にする。
発動条件が相手との接触なので、俺はユーディアの腕を掴んだ。
「……で、技能ってここからどうやって使うんだ?」
「本当にそこからなのか……」
ユーディアはうーむと唸る。
「こう……内側を巡る魔力を……ぐわっと、外にこう……やっ!とするのだ」
「??????」
「だから、やっ!とするのだ」
教え方下手くそか。
コイツ、師匠としての才能が無さすぎる。
ヤー!としているユーディアを放っておいて、俺は意識を体の中に集中する。
……魔力のようなものは感じない。
「慣れればこれで出来るのだ。慣れないのなら、技能名を声に出すことで発動しやすくなる。魔力が少ない時なども、技能名を口にした方が発動が早い」
「先にそれを言え!」
俺は目を閉じ、意識を集中させる。
初めて発動したあの時と、なるべく同じ状況を再現するようにしてみよう。
脳裏に浮かべるのは、夜空を舞う怪盗ユーディアの姿。
俺は、低く呟く。
「ーー《偽相盗用》」
その瞬間、ずわっと俺の何かが吸い取られた。
それと同時に、今度は全身に万能感が満ちていく。
自己肯定感が溢れて、多幸感に包まれるような感覚。
ーーこれは、なんと、素晴らしい。
「ふ、ふふ、ふははは……」
体が軽い!
世界が眩しい!美しい!
これが、ーー私の技能!
発動成功だ!
私は思わず、ユーディアの後ろへステップする。
彼は驚いた顔で振り向き、一瞬で背後に移動した私を凝視した。
んんー!その驚いた顔!
怪盗でもそんな顔をするのか!
「本当に私の《怪盗歩行》を使うとは……」
呆れ返る師匠に、私は大きく首を振る。
「ハッ!分かっていないようだね、師匠!
今はーーこの私の技能なのだよ!」
「君は、本当にあのアルノー君なのかね?」
私は優雅に前髪をファサァとする。
その目は節穴なのだろうか!
「いやいや、もちろん私が怪盗ユー……んぎぎ……」
「ん?」
「わ、わだじは……おれは……怪盗……んぐぐ……」
私は、歯を食いしばる。
俺じゃない思考が、私の行動と相反して、気持ちが悪い。自分ではない意思を、欲求を、制御できない。
「わだ……おでは、有野……だっ……である……くはは……」
「なるほど、これが自己同一性の崩壊か……憐れな……」
そんな目でこの私を見るな!いや俺だ!
どっちでもいい!今の私は怪盗である!
「ッハーン!師匠、いいからアジトに背を向け給えッ!」
「自己が負けているぞ、アルノー君」
「うるせぇ!」
コートの裾をバッサァ!し、片手で顔を隠してカッコイイポーズをする。
「私ってあんなにアホに見えるのか……?」なんて師匠の声が聞こえるが、今の私には関係ない。
師匠が背を向けた所で、私ーーじゃなくて、俺は技能を発動させた。
「《怪盗歩行》」
ギュンッ!と世界が伸縮し、
1秒が何十秒にも引き伸ばされる。
その超自然的な時空の中、
ーー私の手には雑巾が握られていた。
猛スピードで室内を駆け巡る。
私の読みは、当たっていた。
誰かの死角であれば、
この技能は死角の範囲に限り、
超スピードで移動ができるのである!
なんと、なんと素晴らしい能力!
掃除など、もはやこの私の敵では無い!
「ふはははは!見ろ!埃がゴミのようだ!」
「アルノー君、当たり前の事を言っているが大丈夫かね?」
「無論!私の脳内は春空のように晴れ渡っているぞ!春の訪れを喜ぶ小鳥のさえずり声すら、幻聴で聞こえてきそうだ!ごきげんよう!小鳥達よ!」
「うわぁ……」
「気をつけよう」とぼやく師匠の声が聞こえるが、知ったことではない。
10秒程で、部屋掃除を終える。
雫が洗いたての壁を伝い、なんとも美しい。
「掃・除・完・了!
私は天才だ!商都ミレアスの必殺掃除人とは、この私ーー」
「アルノー君、さすがに技能を連発しすぎだ。そろそろ技能を切りたまえ」
「んんー!?ここから楽しいところなのだぞ?」
「師匠命令だ。今すぐ切れ」
まったく面白みの欠片もない。
ユーモアを忘れた怪盗など、実に嘆かわしい。
しかし、師の言うことに従わぬ弟子も、美しくはない。
仕方なく、技能をーー
「師よ。……技能とは、どのようにして切るのだね?」
「そんなもの、ヤー!っとするのだ」
「まぁ〜たよく分からん擬音を使いおって!」
「技能の発動とは違い、技能を切るのは本当に感覚的なものなのだよ!ヤー!という感じだ!早くやれ!」
訳分からんが、言う通りにするしかあるまい。
「ヤー!」
無理だった。
何やら、身体が寒くなってきた気がする。
この感覚には覚えがあった。
魔力欠乏の直前の症状である。
そこで、ふと私は魔力欠乏になった時のことを思い返していた。
身体から何かが、ふっ……と抜け落ちるような感覚。
今感じているこの万能感に包まれた状態を、下からズルりと脱皮のように引き剥がす感覚。
恐らく、それが技能を切る感覚だ。
「アルノー君!」
師匠が焦ったような声を上げる。
時間がないようだ。
「ーー解除ッ!」
私は身体を満たす万能感を、無理やり引き剥がした。
ーー途端、その場に俺は崩れ落ちる。
生暖かい雫が鼻から顎に伝う感覚。
「お゛ぇぇぇ〜……」
……気絶は、していない。
ただ、身体中を不快感が蹂躙し、脳内にまだうっすら怪盗モードの余波が残ってて、今にも自分を見失いそうだ。とにかく死ぬほど気分が悪い。吐きそうである。なのに、身体が石のように重くて動かない。指1本、動かせない。
……いっその事、気絶した方がマシだったかもしれない。
しかし、魔力欠乏直前に、ギリギリで技能を切れたようだ。
実質の成功である。
「ふは、はは、成功である……」
「君、自我の崩壊が起きてないかね?」
「そんな訳なかろ……ない」
仰向けで倒れる俺の顔を、ユーディアが覗き込む。
少しだけ心配した様子の顔だ。
「君の技能はよく分かった。私の《無名讃歌》と似たような“展開型”の能力だ」
「……パッシブスキルってこと……?」
「ぱ……なんとかは知らんが、発動したら技能を切るまで効果が続くものだ。この類いは魔力消費が多い」
「バフみたいなもんね……」
ユーディアはホウキで私の頭をペシペシと叩く。
やめろ、私の髪が乱れ……じゃなくて、俺の髪が乱れる。
「特に君はそこに重ねがけで技能を使うのだ。魔力消費量は馬鹿にはならん。気を抜けば一瞬で魔力欠乏だ」
「……確かに、お前に言われるまで、魔力残量がヤバいとは全然思わなかった」
今回、一応気をつけていたつもりだったが、魔力の残量が全然感じ取れなかった。魔力を感じ取る器官が俺にはないのかもしれない。
「立てるかね?」
「……ムリ」
「面倒な……」
ユーディアは俺を引きずってアジトの中へ入ろうとしたが、ひょろひょろの彼には無理だったらしく早々に諦め、俺を見下ろした。
「……今日一日、君が立てるようになるまで、ここでこうしていたまえ」
「そんなぁ……」
魔力欠乏の時は、ほぼ丸一日寝ていた気がする。
立てるようになるまでどれくらいかかるんだ。
「いいかね、アルノー君。その技能は危険すぎる。下手をすれば大きな事故になりかねん」
まるで師匠のように、ユーディアは指で俺をピシッとしながら続ける。
「その技能は、私が許可しない限り使うな」
「……」
「返事は?」
「……はい」
結局……俺は、翌朝になるまで野ざらしにされた。




