【閑話2】領主邸にて
「グレゴール様ッ! 夜分遅くに失礼いたします!」
衛兵の切迫した声が部屋に響いた。
だが――グレゴール=ヴァンデスは、窓辺に立ったまま、夜の街を静かに見下ろしている。
「何事かな」
振り向きもしない。
その声音には、焦りも苛立ちも一切なかった。
「ハッ! 怪盗ユーディアの疑いで投獄されていた男が、脱走しましたッ! 恐らく内通者が――すぐに街中へ指名手配を――」
「いや、いい。構わん」
「しま――……え?」
思考が止まったように、衛兵の動きが固まる。
「用は済んだかな。下がりたまえ」
「は……ハッ! かしこまりました!」
慌てて踵を返す足音が遠ざかっていく。
静寂が戻った室内で、グレゴールはゆっくりと振り返った。
「――当てが外れましたな、ラディック卿」
その視線の先。
ソファに沈み込み、額から滲む冷や汗をハンカチで拭っている、ちょび髭の男がいた。
ラディック=アランドール。
「い、いえ……その……」
言葉が、うまく形にならない。
グレゴールは音もなく歩み寄る。
ラディックの背後に立ち、ただ――肩に手を置いた。
それだけで、ラディックの身体はびくりと跳ねた。
「貴殿の提案は、どのようなものだったか」
「は、ハッ……怪盗ユーディアを就任式会場に追い込み……会場を混乱させ、その隙に怪盗が魔物共を先導したよう見せかけ、ルルシェラを強襲……そこをグレゴール様がお助けし、冠型の魔術具で怪盗を拘束するーー」
「では、実際はどうだったかな?」
ゴクリ、と生唾を飲み込む。
ラディックにとって、グレゴールは圧倒的な格上だ。
爵位、技能数、技能の質――すべてが違う。
平凡な下級貴族が生き残るには、知恵を使い、上位者に取り入るしかない。
――ましてや、失敗なぞ、許されない。
計画は完璧だった。
怪盗ユーディアから予告状が届いた時、天が与えた好機だと確信した。
世界各国を股にかける、神出鬼没の怪盗ユーディア。
《定理技能》を持つのでは?と噂をされる、大悪党である。
貴族や大商会を標的にし、盗み、そして――必ず返す。
嘲笑うためだけの犯罪。
だがそれは、貴族にとっては致命的な侮辱だった。
ーー貴族とは、平民より遥かに多くの魔力と技能適性を持つ、神に選ばれた存在である。
貴族の質こそが、国の基盤であり、国力であった。
それを――怪盗ユーディアは、嘲笑う。
一部の平民達にとっては、貴族が怪盗に狼狽える様子を娯楽として楽しんでいるという。
ーー下等な平民の分際で、神々から選ばれし貴族達を、娯楽扱いなど由々しき事態だ。
怪盗ユーディアにしてやられた貴族なぞ、貴族としての技量が疑われる。それにより、貴族の位を落とされた者も少なくは無い。
だからこそーー怪盗ユーディアを捕まえることは、一夜にして名声を得る最短経路だった。
特に、グレゴールの技能をもってすれば可能だと、
ラディックは考えーー彼に商談を持ちかけたのだ。
「アランドール」
貴族が相手を名前ではなく家名で呼ぶのは、格下を嘲る時である。
ラディックは屈辱と恐怖の中、声を絞り出す。
「……怪盗は、まさかの4階から空に飛び立ち……就任式の真上に、落ちました」
「それで?」
「そ、その際に、怪盗捕縛用の冠型魔術具も、こ、壊れました。その騒ぎでルルシェラも近衛兵と共に退避し……機会を逃しました」
「ルルシェラを助け、怪盗も捕まえるという案は悪くはなかったが……まんまと怪盗にしてやられたな?」
ラディックは拳を握りしめる。
怪盗があのまま逃げていれば問題なかったのだ。
魔物を放つ準備は出来ていた。
ーー何故、わざわざ落下したのか分からない。
しかも、こちらが魔物をけしかける前に怪盗は魔力欠乏で倒れ、あっさりと捕まった。
……黒幕となる怪盗が捕まっては、魔物を放つことなど出来ない。
「貴殿は確か、この策が失敗したとしても、次の策を用意していたのだったな?」
「……ッ、は、はい」
「どんなものだったかな」
「か、怪盗を就任式へ追い立てられなかった場合、怪盗が出た騒ぎに乗じてルルシェラを領主邸地下に保護し、その後、怪盗が魔物を主導したように見せかけ、ルルシェラのいる貴賓室に魔物をけしかける予定でした」
「そこで襲われたルルシェラを、私が助け、優しく介抱し、ルルシェラとの深い繋がりを作るーーだったかね?」
「は、はい……」
「実際は?」
分かっているはずなのに、わざわざ本人の口から言わせる……ラディックは、グレゴールの性格を大きく見誤っていた。
……人を侮辱することに、あまりにも慣れている。
市民の間では、“平民にも優しい名領主”という肩書きだが……実際は、相手の尊厳を踏みにじることを何よりも至上の愉悦とする、“悪”だった。
「つ、捕まえていた怪盗は逃げ出し、その騒ぎに乗じて魔物を貴賓室にけしかけましたが……る、ルルシェラは、居ませんでした」
そう。
ルルシェラは屋外の林の中、一人で空を見上げているところを、ルルシェラ捜索で走り回っていた侍女に発見され、保護された。
ーー未婚の高貴な女性が、真夜中に一人ふらふらと林へ天体観測に出かけたと、誰が予測出来るだろうか?
その一件で警備への不信が高まり、
ルルシェラは即日、自邸へ戻された。
グレゴールとルルシェラの結びつきを強くする為の策のはずが、ことごとく裏をかかれ、逆に溝が出来てしまったのだ。
ラディックにとっては、大失態である。
「……怪盗ユーディアが、策の裏側をついたか」
「まっ、まさか!この計画は、誰にもバレないようにと細心の注意をーー」
「派手で、人を嘲笑い、煙のように姿を消す。
……まさに、怪盗好みの展開ではないか」
信じられなかった。
いや、各国の貴族たちを手を掻い潜ってきた怪盗だ。
そんな事も可能ーーなのだろうか?
「時に、アランドール」
「は、はっ……」
「怪盗ユーディアに、“弟子”がいると聞いた事はあるかね?」
突然の脈絡のない質問に、唖然とする。
が、すぐに首を横に振った。
「い、いえ、怪盗は一人です。弟子がいたとは、どの国でも噂には……」
「そうか」
何故、そんなことを聞いたのかラディックには分からなかった。
だが、グレゴールには何かが見えたらしい。
渦中の真ん中にいた自分では気が付かなかったことに、彼は何か気がついたのだ。
彼の洞察力か技能に、ラディックは恐れ、畏怖した。
「怪盗ユーディアは、まだこの街にいる」
グレゴールは深い笑みを浮かべる。
何か、確信めいた言葉だった。
「彼には悪いがーー私の礎となってもらおうか」
そう呟くグレゴールの顔は、まるで生き血をすする獣のようで、ラディックは心の底から震え上がった。
序章はこれで終了です。
次からは第1章の怪盗編が始まります。
市民街での暮らしや世界観重視のお話が初めにあるので、前半はのほほんとした雰囲気がしばらく続きますが、後半からは色々とアルノーがやらかしたりします。
のんびり更新をお待ちください。




