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1

 幼いころ、私は“完璧な人形”であることを求められていた。


 大理石の床を踏む靴音が、静まり返った屋敷の空気を鋭く裂く。

 背筋を伸ばし、正面を見据え、言葉は淀みなく、笑みは作り物であることが美徳とされた。


 母は、私の頬の筋肉がわずかに緩むのを見ると、紅く塗った爪で顎を持ち上げて言う。

「公爵家の娘たるもの、感情を顔に出してはなりません。弱さは醜いものです」


 父は私を誇りに思っていた。

 だがそれは、“エレオノーラ・フォン・ルヴァン公爵令嬢”という称号を忠実に背負っていたからにすぎない。


 愛されたという記憶は、おぼろげだ。

 けれど、期待された記憶は、痛みとともに鮮やかに残っている。


 泣いた記憶も、笑った記憶も、思い出そうとすれば霞んでしまう。

 それでも私は、完璧な娘として、完璧な令嬢として生きてきた。

 そうすることが、私に与えられた“価値”だと教えられてきたから。


 ――ほんの短い時間、そんな私の心に温もりを灯してくれた人がいた。

 王太子、アレクセイ殿下。


 彼は微笑むたびに光をまとっていた。

 婚約が決まったのは十歳のとき。

 厳しい教育の中で王太子の婚約者という立場を勝ち取ったことに、父も母も、ひどく満足していたのを覚えている。


 幼い婚約者として寄り添った最初の数年、殿下は誰よりも優しく、時に私の硬さを笑ってくれた。

「肩の力を抜いてもいい。誰も君を責めたりしないよ」


 その言葉が、どれほど嬉しかったか。

 誰にも見せなかった涙を、夜の枕の中でこぼしたこともある。

 ――あのとき、私は彼に、希望を見たのだ。


 私は、彼の隣に立つことが運命だと疑わなかった。

 幼いころから共に学び、共に育った王太子・アレクセイ殿下。

 優しく、気高く、そして誰よりも国を思う心を持った人。

 その人の傍に立つことが、私の誇りだった。


「エレオノーラは、どこまでも完璧だね」


 あれは、十四の頃だっただろうか。

 学問で優を取り、舞踏の稽古でも賛辞を受けたその日。

 廊下で追いついてきた殿下が、そう言った。


「……だから、たまには弱さを見せてほしい。僕にしか見せない顔が、あってもいいだろう?」


 その言葉の意味を、私はその時、理解できなかった。

 強くあらねばと思っていた。

 婚約者である私が、彼を支える柱でなくてどうするのだ、と。


 ――あの時、なんと答えればよかったのだろう。

 その答えは、今も見つかっていない。


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― 新着の感想 ―
ますますひきこまれる…。話の切り方が上手
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