第8話─真紅
シャンデリアの光に照らされた大理石の床は靴音をよく響かせる。
ここは細長い通路だから尚更だ。
毅然と歩くペドロの後ろ姿はまるで美の女神だ。
きっちりと伸びた背筋、それに引き締まった体は真紅のドレスによってさらに魅力を増している。
これはかなり鍛えているな。
そんなことをヤコブが考えているとペドロは通路の一番奥にある扉を開いた。
ヤコブは鍵がないことに驚いた。
ペドロがどうやって外部と連絡を取るのか知らないが、それなりに機密度は高いはずだ。
ペドロはヤコブに扉を閉めるように指示した。
重い。 これは…鉄か?
その扉はかなりの厚みがあり女性一人で開けられるとは到底思えない。
これをあっさり…やはり只者ではない。
「一体こんな扉、何に使うんですか?」
ペドロは答えないだろうが、一応聞いておく。
「それにこの部屋は何もありませんよ? 一体どうするのですか?」
そう。この部屋には面白いほど何もないのだ。
真っ白な壁に真っ白な床、おまけに真っ白な天井だ。
「耳を塞げ」
ヤコブの至極真っ当な質問には答えずにペドロは言った。
言われた通りに耳を塞ぐとペドロは怪訝な顔をした。
「何をしている。 私の耳を塞げといっているんだ。」
「はあ」
言われた意味が一瞬理解できなかったからか、ヤコブにしては珍しい間抜けな声を漏らした。
親しくもない女性の顔に触れるのは抵抗を覚えたが本人が要求しているのだ、仕方あるまい。
ヤコブがペドロの両耳を塞ぐと、ペドロは左手の指に嵌めていた指輪を弾いた。
鋭い金属音とともに、指輪は小さな拳銃のような物に形を変えた。
しかし流石に拳銃の弾が出てくるようなことはないと願いたい…
ペドロは口元に左手を持っていくと、指輪を嵌めている人差し指の腹ごと指輪の拳銃の銃口に似た部分を咥えた。
突然ヤコブの両耳に激痛が走る。
甲高い音だ。そして凄まじい音量。
まるで悪魔の断末魔だ。
突然音が聞こえなくなったかと思うと、ヤコブは両耳から液体が流れ出すのを感じた。
鼓膜が敗れたのだ。
ペドロはヤコブの両手を振り払って、ヤコブの方へ振り向いた。
(いつまで触ってんの!)
ヤコブは訓練しているため、音が聞こえなくても口元さえ見えるなら会話はできるが…
しかしまぁ、口が悪いなぁ。
痛む耳を両手で軽く押さえているヤコブの姿はまるで母親の説教を嫌がる子供のようだ。
そんなヤコブを無視して、ペドロはドレスをめくり太ももに括り付けていた袋から1枚の鈍色の紙と筆を取り出した。
ヤコブに背を向けて、ペドロは壁を使ってその紙に文字を書いていく。
「私にも一言書かせてください」
ペドロが書き終わる頃合を見計らって、そう声をかけると彼女は怪訝な顔をして答える。
「まさか、この行き先まで知っているわけじゃないでしょう?」
「まさか」
本当に知らないんですと必死にアピールすると、ヤコブは一体何に使うのかと言いながらも渋々渡してくれた。
「すみません、ペンもお借りできますか?」
「いいわよ」
ペンを渡す時、ペドロが少し笑った気がした。
ヤコブはペドロに倣って壁を下敷きにして一文を認めようとした。
しかし、それは叶わなかった。
真っ白な部屋を真紅の血飛沫が染め上げた。