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ぶっ殺される

作者: 雉白書屋

 …………は? は? え、は?

 おれは驚いた。タイトルを見た瞬間、思考が硬直した。センスもひねりもない、あまりにも直球すぎるその文字列。

『ぶっ殺される』。

 は? は? なんだよこれ……なんなんだよ。

 状況を整理しよう。まず、主人公はおれだ。おれがこの物語の主人公だ。それで、『ぶっ殺される』って、誰が誰に?

 ……おれしかいない。

 おれがぶっ殺されるのだ。

 なぜならこれは一人称視点で、おれが主人公だからだ。それで、誰に殺されるんだ? ……作者か? 違う。いや、まあそうなんだろうが、そういうことじゃない。話として、構造としておれを殺してくるのはいったい誰なのか。

 それにしても、『ぶっ殺される』って、ははは……いや、いやいやいやいや、嫌だ。ちょっと待ってくれ、そんなことがあるか? あるんだろうな。そういうタイトルなんだから。

 でも、どんな殺され方をするのだろうか。普通の『殺される』とは違い、『ぶっ』が付いているわけだから、何か違うのだろう。

『ぶっ』ってなんだ? 勢いか? 荒々しさか? おれは暴走車に轢かれるのか? ダンプカーか? それともナイフで滅多刺しか? 日本刀で袈裟斬りか? 

 ああ、『ぶっ殺す』ならまだよかったのに。きっと復讐劇になっただろう。だがこれは『ぶっ殺される』だ。……待てよ。じゃあこの場合、おれは復讐される側ってことか? いったい誰に? もしそれが分かれば、生き延びる道も見えてくるかもしれない。

 こんなところでぐずぐずしている暇はない。おれはズボンを上げ、トイレの個室から飛び出し、オフィスへと戻った。

 同僚がパソコンに向かっている。友人でもある。ひょっとしたら、おれを恨んでいる人物に何か心当たりがあるかもしれない。おれは声をかけることにした。


「な、なあ……」


「おお、よう。お前ぶっ殺されるらしいな」


「えっ!? な、何か知ってるのか? 誰だ? 誰かがそう言っているのか? おれを殺すって……」


「ああ? だってタイトルに書いてあるだろ。『ぶっ殺される』って」


「え! お前も見えてるのか!?」


「ははは、そりゃそうだろ。……あっ、そうか、お前は俺が何か知ってると思ってるんだな。そうだなあ、えーっと……東に向かえ。そうすれば、えー」


「いや、今さら匂わせても無駄だ。お前はただの同僚Aだ」


 おれは驚いた。てっきり、この世界が物語だと知っているのは自分だけだと思っていた。だが、違うらしい。ということは、おれには何の優位性もないということじゃないか。

 同僚Aだけじゃない。どうやら、おれがぶっ殺されることは、この世界では周知の事実らしい。他の同僚はもちろん、母親も知っており、電話越しに『あんた、ぶっ殺されるのねえ』と、まるで息子の成長を感慨深く思うかのように、しみじみと語る始末。

 それだけでなく、びくびくしながら街に出れば、通行人までもがおれがぶっ殺されることを知っており、「ママー、あの人ぶっ殺されるんだよー!」と幼児がおれを指差して笑い、若者がスマホでおれの写真を撮り、それをSNSに投稿し、「ちくしょう、何でお前なんかが……。なあ、おい、おれがぶっ殺してやろうか?」と、嫉妬心を剥き出しにして絡んでくる中年男まで現れた。

 だが、どうして誰も動じていないのだ。おれが死ねば、この物語――つまりこの世界は消滅するんじゃないのか? それとも、それは思い上がりであり、実際にはおれが死んでも、世界はそのまま続くのだろうか。

 ……わからない。だが、どうにかして死なずに、この物語を終わらせる方法はないのか? 

 駄目だ。考えれば考えるほど、吐き気が込み上げてくる。頭がぐらつき、足元がふらつく。すでにおれは殺されかかっているのかもしれない。

 顔を隠しながら電車に乗り、なんとか家にたどり着いたおれは、ドアに鍵をかけ、すべてのカーテンを閉め、台所から包丁を持ち出した。

 それを手に、布団にくるまる。

 暗い部屋、時計の針の音だけが響いている。

 やがて、笑いが込み上げてきた。

 こんなことをしても、なんの意味もない。おれは殺される。ぶっ殺されるのだ!


「いひひひひひひ、おえっ、おえええっ!」


 おれは嘔吐した。昼に食べたコーンパンが、ぐちゃぐちゃになって出てきた。だが、コーンが少ない。糞のほうに混じっているかもしれない。そう思った瞬間、今度は脱糞した。ついでに小便も出た。いや、正確にはほぼ同時だった。

 小便は、昼に飲んだコーヒーの匂いがした。ズボンに吸われ、色は見えないが、きっと濃いに違いない。おれはズボンを脱ぎ、逆さにして振った。すると、糞がボトボトとフローリングに落ちた。ズボンは股から裾まで、ぐっしょりと濡れていた。

 悪臭が立ち昇り、喉がひゅっとなって嗚咽した。脇汗を大量にかいていたので、おれは糞と脇の匂いを交互に楽しんだ。おれはソムリエだ。

 なぜ、こんなにも不潔な描写が続くのかと言うと、それは読者への嫌がらせ以外の何物でもない。

 おれの命をエンターテイメントとして消費する、その冷酷な神経に、ほんの少しでも不快感を与えてやりたかったのだ。

 まだまだやるぞ。この糞を食ってやる。

 ほら、想像しろ! コーンが混じっているぞ! 見たことがあるだろう、自分の糞に混じった、あのコーンを! 淡黄色に染まった便器の水の中に沈む、あの糞を! それを手づかみで、ゆっくりと口へと運ぶ光景を思い浮かべろ! ほうら、指の間から、温かい湿り気が滴るぞ。うーん、このコーンのコリッとした触感……。ビスケットのようにしっとりと崩れる感覚。下の上で混ざるに苦みと酸味。

 どうだ? 感じるか?

 そんなことしないって? ああ、そりゃそうだ。そちらには選択肢があるものな! おれにはない! おれはただ、ぶっ殺されるしかないのだ! 糞くらいなんだ! 食えよ! 糞食らえ! 読者は主人公に感情移入するものだろう? だったら、おれの気持ちを、体験を共有しろ! おれは食ったぞ! ああ、糞を食った! そうだ、食ったんだ! 食っちまったよ、クソ! 糞死だ、糞死! 違う、憤死! そうだ、それがおれの終わり方だ! どうだ、満足か!?


 おれは泣いた。涙が止めどなくあふれ出した。ぶっ殺される……こんなことは、あるまじき行為だ。許されていいはずがない。非人道的だ。

 へへ、へへへへ……へへ……。あの、ご相談なんですけど、あえて、おれを生かすというのはどうでしょう? 裏をかくのは、ほら、定番の手法でしょ? ねえ、面白いでしょ? 読者の皆さん、いかがですか? いやあ、さっきは口が悪くてすみませんね。なにせ、ウンコを食ったものですから。そりゃ、口も汚くなりますわな! おあとがよろしいようで、ちゃんちゃん! へへへ……。ねえ、ほら、へへへ……ああほら、そうですよ! ウンコを食ったわけですし、人間としての尊厳が“死んだ”ということで、どうかここはひとつ……。あ、またウンコを食いましょうか? 

 へへへへ……へへへ……嫌だ! 嫌だ! 死にたくない! あああああ! なんでだよ! お前がこっちに来いよ! ぶっ殺してやるよ! 


 躁と鬱の波が交互に押し寄せ、酔ったような感覚のままに、おれは再び嘔吐した。さっき食った糞が、そのまま出てきた。それを見て、おれは笑った。笑って、震えて、涙を流して――そして、おれはそれを舐めた。

 胃液混じりの糞をぺろぺろ。

 甘かった。糞のことじゃない。おれの考えが甘かった。メタフィクションなら、こちらから現実に影響を与えられるかもしれないと思ったんだ。でも、駄目だ。何も変えられない。おれはぶっ殺されるしかない。

 へへへ……へへへへへへ……ぺろぺろぺろぺろ……へへへ、おいしいなあ……ぺろぺろ……いい気分だあ……。

 フーン、フフン、フーン……



「……昨日まで、面倒なことなんかすべて、僕にとっては遠くの――」




 ※歌詞の著作権保護のため、この物語はここで打ち切りとさせていただきます。

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