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環はあの世を駆けめぐる  作者: 春原沙羅
終章 プシュケー<生命>

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あの夜を越えて

 一時間ほど新幹線に乗り、三十分以上電車に揺られる。


 環は、三年ぶりに地元の駅に降り立った。


 夕日の中に佇《たたず》む、駅前の店を眺める。ほとんど変わっていないようで、目新しい店も増えている。更地になった場所もいくつかあった。見慣れたはずの景色でも、前に何があったかは思い出せないものだった。


 時刻は帰宅ラッシュの少し前。早めに仕事を終えた人たちが帰路についている。誰かに会ったら泣いてしまいそうで、環は速足になる。


 通っていた高校の前を通り過ぎる。浸りたい思い出は、ここにはない。そこからあっという間に実家に至る。今はまだ、帰れない。


 近所の小さな公園の前を通過する。若い桜が、ささやかな花をつけていた。


 そして、あの日飛び降りた橋にやってくる。


 環はようやく、足を止めた。


 そこは環にとって、新しい人生が始まった場所だった。


 橋から川をのぞきこむ。ちょうど真下が、自分の倒れていた砂利の河原。川沿いには痩せた桜が並び、いっぱいに花を蓄えていた。


 この世に戻って三年。毎日を必死に生きていると、あの世があるなんて嘘なんじゃないかと思えてくる。必死に駆けめぐって、新たな決意を固めた場所なのに。


 もしかしたら、自分が巧妙に作り上げた、夢なのではないか。魔物を退治してから目を覚ますまで、三日ほど目を覚まさなかったらしい。そのとき、ショックのあまり自分の頭が作り出した妄想かもしれない。順序が逆だが、錯乱した頭が時系列を取り違えることもあるだろう。


 でも、自分の妄想にしては、あの世で出会った人たちの感情や人生は、あまりにも生き生きとしてはいないだろうか。


 どのみち、自分もいつか死ぬ。夢だったのか、本当のことだったのか、そのとき分かる。


 もし、本当のことだったら。


 環は、目を閉じて物語をたどる。


 第一の町では、今度こそ観光を満喫したい。その場で友達を作って、案内したらきっと驚かれるだろう。第二の町で、青田はうまくやっているだろうか。神に会えるものか分からないが、一度挨拶をしに行きたい。


 第三の町で愛莉にまた会える。ファッションショーは継続されているだろうか。昨日の失敗も、その日になれば思い出話として楽しく話せるだろう。第四の町では、魔物と戦わなくてはならない。一度ならず二度も経験しているのだ。それに、今度は他の死者たちと共に乗り越えることができる。きっと恐れることはないはずだ。


 第五の町では、どんな来世を設計していこう。リディナのことを許す気にはならないが、町は美しかった。ゆっくりと散歩をしたい。第六の町では、ヘレヌとティエラに会えるだろうか。もう言葉も記憶も忘れているだろうけど、通じ合えるかもしれないなんて奇跡を期待してしまう。


 第七の町では、川をのびやかに泳ぎたい。川から弾かれるような人生には、したくないものだ。


 環は目を開けた。西の空に茜色の夕焼け。春の宵には青い闇が降り、桜のピンク色を際立たせている。温かな春風が川を駆け、花びらを舞い上げる。風は橋の上に届き、環の頬を優しく撫でた。


 再びあの世へ向かうとき、土産話は、多い方がきっと楽しい。


 失敗して、這い上がって、成功するかもしれない。這い上がれなくても、別の道を選ぶかも。歩んだ軌跡が物語になる。


 自分には、それを待ってくれる人がいるのだ。


「私、ちゃんと、生きてきた」


 涙で光る環の瞳に、一番星が映っていた。




【環はあの世を駆けめぐる・完】


 最後までお読みくださった皆様、本当にありがとうございます。


 本作品は、私にとって5年ぶりの長編作品となりました。

 10万字くらいを想定して書いたのは初めてで、世界観の部分から試行錯誤して作っていくのが楽しかったです。

 なにより、作者から見ていても、環がまっすぐに成長していく様はまぶしいものでした。


 私たちが人生にくじけたとき、立ち上がるのは簡単でないこともあります。

 歩いてきた道のりが長くなるほど、体もボロボロになり傷は深くなる。

 それでも、立ち上がってきた経験があるからこそ、どうやって傷と向き合えば良いかが分かってくるものです。  

 繰り返していくうちに「傷が痛むからちょっと休んで、ボチボチ立ち上がるとするか~」と力が抜けていくように思います。


 最終章で、環は仕事において成功をおさめた、という話にしようと思っていました。でもそれだとどうしても筆が乗らず、今のような形に落ち着きました。

 主人公が何かを獲得する物語ではなく、くじけても立ち上がり続ける物語が書きたい。私は心の奥底で、そう思っていたのでしょう。

 過去にどんな体験をしても、人は当たり前にどこかでつまづきます。

 でも、歩みを重ねるごとに、物語が積みあがるごとに、どんどんタフになっていく。

 そう信じたくて、今作を書いたのかもしれません。


 出来に関してはまだまだ課題があるなと思いつつ、私にとってとても大切な作品になりました。

 本作のテーマソングは「君の名前の風が吹く/いとうかなこ」でして、こちらも私にとってお守りのような曲になっています。


 これからも、人が生きるということを真っ直ぐに見つめて、物語を紡いでいきたいです。

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