魔物退治
「武器、全部集められたんだぁ。途中で諦めると思ってた」
真夜中の橋の上から、自分の体が手を振っていた。
最早、自分の顔とは思えない笑顔を浮かべている。その目は、魔物が入り込んでいるにふさわしく、赤く光っていた。真上に輝く月も、申し合わせたかのように赤銅色をしている。
「月食の日にやってくるなんて、あなたもつくづく運が悪い」
橋の手すりに魔物が座る。
「私の力が高まる日なの。満月だし、太陽と地球と私が一直線に並んでいるし。太陽や地球の力まで借りることができるのよ。すごいでしょう」
口が耳まで避けたような笑みを浮かべる。
「その、下品な笑い方やめてくれない?私の顔が台無しじゃない」
環は魔物を睨み上げ、ダクティリオスを首から外す。先手必勝とばかりに、魔物に投げつけた。
「ぬるいわぁ」
魔物は飛んできた輪を容易く掴むと、環に投げ返す。
「遊んでるつもりなの?キャッチボールならぬキャッチリング?笑えない」
魔物が、手すりの上に立つ。
「体が死んでしまったら、あなたに帰るところはなくなるわよねえ」
環は、魔物の魂胆を覚りながら、黙ってじっと見上げている。
「私に攻撃したら、飛び降りてあげる」
「ああ、そう」
今度は力を込めて、ダクティリオスを投げつけた。
肩に命中して、魔物がふらつく。
「ほ、本当に飛び降りるわよ?」
「やってみなさいよ」
環は冷たい視線で言い放つ。
「ふん、馬鹿な人間ね。後悔しても知らないから!」
環の体が、橋から飛び降りた。
どしゃ、と嫌な音がする。おそらく、足の骨を折っている。
環は剣を持ち、つかつかと魔物に近づく。
「一発逆転の名案を考えたつもり?やっぱり魔物って中途半端なのね。私は、こんなところじゃ死なないの」
痛みに顔を歪める魔物を、環は見下ろした。
「私の人生は、八十九歳まで続くのよ!」
魔物にサイフォスを振り下ろした。転がってよける魔物に、剣を浴びせ続ける。魔物の赤い目が一瞬閃光を放つ。環は目に突き刺さるような感覚に、まぶたを閉じた。
「往生際の悪い魔物ね!」
目を開くと、魔物は肩を押え、足を引きずりながら河原を歩いている。環はサイフォスを鞘に戻し、ピストリを手にした。
「これで終わりよ!」
背中めがけて、トリガーを引く。
カン、と間抜けな音がした。
「ん?」
何度も引き金を引いてみるが、一向に発砲は起こらない。
弾が入っていないのだ。
リディナの『タダで渡すはずないでしょう』という美声が頭に浮かぶ。
「まったく、性根の悪い神なんだから!」
ピストリをホルダーに戻す。
環はダクティリオスを、魔物の足に向かって投げた。見事に当たって、魔物が膝をつく。鞘からサイフォスを抜いて、環が走り出す。
一気に終わらせる。倒れた自分の背中に向けて、刃を振り下ろそうとした。
「待って!」
不意に魔物が振り返る。その顔の悲痛さに、環は思わず動きを止める。先ほどまで魔物にしか見えていなかった顔が、自分の片割れに見えたのだ。
一瞬の隙を、魔物は逃さなかった。
環の左手をつかむと、かみついたのだった。
「いっ」
慌てて手を引っ込める。中指から小指までが、なくなっていた。
「うわ」
「あはははは」
魔物がおいしそうに顎を動かしている。
「魔物は魂を食べるのよ。魂が少し欠けたから、八十九歳まで生きられなくなったかもしれないわね」
うっとり笑う魔物から、飛び上がって離れる。環は耳のソピアに触れた。
「鎧は機能しないの?」
『はい。摂食に悪意はありません』
「違うわね。私が強くなっているのよ」
魔物が立ち上がる。骨折も、ダクティリオスの打撃も、なんともないとでもいうように。
「月食だけじゃない。私は遥の憎悪を毎日浴びている。だから強くなった。そんな輪も別に効かない。それに、鎧くらい破れるわよ」
空を飛ぶ環に指をさす。
「だから、あなたはその剣でかかってくるしかないのよ。言っておくけど、戦闘の経験は私の方がはるかに上。武器を持っていたって、いくらでも隙をつける。今度は片方の手も食べてあげる。そしたらあなた、おしまいね」
環は唇を噛む。どうしても、ヒネの恐怖がフラッシュバックする。自分の姿かたちをしていることさえ、巧に使ってくるのだ。
「あなたの魂を食べて、少し回復したし……。痛みを和らげることくらいは簡単よ。まあ、あなたの肉体を癒すことまではできないけど。骨折、ひどくなっちゃって一生治らないかもねえ」
軽快に飛び跳ねる。
「やめて!」
環が叫ぶと、魔物は高笑いを放つ。
「どうしよう」
ソピアに触れる。
『ダクティリオスで隙を作り、サイフォスでとどめを刺すのが有効でしょう。またピストリに弾がないことを、相手はまだ知りません。ハッタリには使ます。またどこから攻撃がこようとも、私がお伝えしますのでご安心を』
魔物に聞こえないよう、小声で言う。
「またコソコソ相談してるの?無駄なんだから諦めなさいよ。私は、夏生の魂も少しずつ食べているの。あなた、もう彼のこと嫌いでしょ?私が腑抜けにしてあげるわよ?」
まだ夏生に人質としての価値があると思っているのだ。環は顔を歪める。
「もう、嫌いでも、なんでもない」
「あら、あなたがだらしないから、浮気なんかされたって理解した?」
「あんな奴もうどうでもいいって言ってるのよ」
怒気をはらんだ声で言い放つ。
「他人。ただの同じ町の住人。だけど過去のよしみで、魂が食われるのは止めてあげたい……何より、あんたがいい思いするのがムカつく」
「ふうん。で、あなたに何ができるの?御大層に神様の武器なんか借りてきたって、空に浮かんでるだけで何もできないじゃない」
図星ではあった。
環はソピアに打開策を問いかけて、口をつぐむ。どう対戦するか、というよりも、どう戦うかが大事な気がする。
環は高度を上げる。ひとまず距離を置いて、考えた方がよさそうだ。
遠くから、救急車の音が近づいてくる。真夜中の静まり返った町に、けたたましい光が明滅している。
「もしかして」
橋から飛び降りる姿を、誰かが見ていたのかもしれない。
環は高度を落とす。魔物も同じことを思ったのか、橋から逃げるように河原を走っていた。だが骨折した足ではうまく砂利の上を走れないのか、何度も転ぶ。
救急車が、橋の上で止まった。環はソワソワしている女性の横に降り立つ。
「患者は?」
救急隊員が女性に尋ねる。
「それが、向こうに走っていってしまって。ほら、あそこ!」
「たしかに、飛び降りたんですよね。動けていますが」
「ええ。私、すぐそこに住んでるんですけど、窓から見て。慌てて救急車を呼んだんですよ。夜見さんのとこのお嬢さんなんじゃないかって……ついひと月前に飛び降りたばかりで、今も記憶喪失で苦しんでいるみたいなんです。走れるくらい元気なのかもしれませんが、心配で」
「環ー!!!!」
橋の両側から、自分の名前を呼ぶ声。
夏生と、両親だった。
「環はどこに?」
「あっちに」
女性が、走っていく環を指さす。夏生が、すぐさま橋の脇の階段から河原へおりる。
「環!」
「錯乱状態なのかもしれない。救助の必要がありそうだな」
「我々も向かうぞ!」
救急隊員たちが、担架を手に走り出す。
「どうか、環をお願いいたします!」
「二度も、あの子を失いたくはないんです」
母は顔を覆って涙し、父は涙をこらえて頭を下げた。
誰もが、自分を救出するために、必死になっている。
ように見えるだけ。
「あなたたちが助けようとしているのは、本当の夜見環じゃないんだよな」
環がつぶやく。
しかし、もう、空虚な絶望には襲われていなかった。
「チャンスを作ってくれて、ありがとう!」
再び空へと飛びあがった。
環は滑るように空を駆け、魔物の元に向かう。既に夏生と救急隊員たちが追いついていた。
「大人しくしなさい!」
「離せ!」
隊員たちが環を取り押さえようとする。が、魔物の戦歴も伊達ではないようで、うまくかいくぐって逃げていく。
「環!」
夏生が正面から、魔物を抱きしめた。
「どうしたんだ!俺が守るから、落ち着いて話をしてくれ!」
「うるせーぞ浮気野郎」
環が、上からダクティリオスで頭をぶったたく。当然空振りするが、何かを感じたのか、夏生が環を見上げる。
そのアホ面に、環は思わず噴き出した。
「最後にいいもの見せてくれて、ありがとうね」
環は、隙をついて再び逃げ出した魔物の、正面に回る。パニックに陥った魔物は、驚いてしりもちをついた。
「私の体、返してもらうわ!」
環は、切っ先を魔物に向け、頭めがけて一息に振り下ろす。魔物の断末魔が響き、サイフォスから光がほとばしる。
『退治完了です。お疲れ様でした』
ソピアの声が聞こえる。
魂が、体に吸い込まれる感覚。光の中で、目を閉じる。
ようやっと、旅が終わるのだ。
久しぶりの鼓動にびっくりしてしまうかもしれない。骨折の痛みに耐えられるだろうか。他にも打ち身が増えていそうだ。しかしそんなのは些細なこと。環は、激痛が走るのを待ってさえいた。
が、そのときは一向に訪れない。
「?」
いつしか光も消えている。環は目を開けた。
瞳に映るのは、ペンキで塗りこめたように真っ暗な空間だった。




