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環はあの世を駆けめぐる  作者: 春日野霞
第ニ章 ソピア<知恵>
15/63

海の底には町がある

「すみませーん」


 青年に声をかけるが、聞こえなかったのかピクリとも反応しない。


「すみません!」

 近づいて、大声を出す。


「はい?」

 やっと顔を上げた青年は、神経質そうな顔をしていた。


「あの、トンネルでも本を読んでましたよね」

「ええ」

「本、お好きなんですね」

「好きだよ。用件はそれだけ?」

「いえ、ちょっとうかがいたいことがございまして」

「今いいとこだから、手短にお願いしたい」

「本は、この世から持ってきたんですか?」

「用件って、もしかしてそんな質問?」

 青年が、悪気はなさそうに首をかしげる。


「違いますよ。興味持っただけ」

「第一の町で買った……というか、もらった。プルーストの『失われた時を求めて』。生きてる間に読み切れなかったからありがたいよ」

「はあ」

 聞いたこともない本に、尋ねておいて生返事をする。


「面白いんですか」

「そりゃ、死んでからも読むくらいだから。で、用件は?」

「すみません、これも前提として確認しておきたいことなんですけど、ゴールには向かわなくていいんですか?七日で次の町につかないと発狂するらしいですよ」


 もし彼が晴山のように掟破りな人間だったら困る。環は一応確認をはさんだ。これで目を泳がせたりしたら、頼らない方がいい。


「何その話。聞いてないんだけど」

 青年は目を見開いた。


「トンネルでアナウンスしてたじゃないですか」

「アナウンス?」

「もしかして、魂が消されていたのも知らない?」

「そんな恐ろしいことがあったの」


 両目をさらに見開く。晴山のような人間ではなさそうで、内心ホッとする。


「トンネルに入ったときからずっと本を読んでたんですか」

「うん。ランタンの灯で。歩きながらでも意外と読めるから、あの世は読書環境としては最高だ」


 環は唖然とした。寒々しいあのトンネルで本を読むなんて、気が滅入りそうだ。


「じゃ、俺は行かなくちゃ。教えてくれてありがとう」

 青年がボートを漕ぎ始める。

「ちょっと待ってください。本題はここからです」

 環は彼を追う。


「七日しかないんでしょ?距離もわからないのに。すでに出遅れてるから巻き返さないと」


 話も聞かずに青年はボートを漕ぐ。この人もマイペースだなと環は必死についていく。


「ですけども!神にも解けない問題に興味ありませんか?」

「神に解決できない問題……?」

 青年が急に止まる。勢いよく進んでいた環のボートがぶつかった。


「うわ!」


 二人のボートが横転し、海に落ちる。


 資料が散らばってしまう。目を開いた環は、海中に広がる光景に瞠目した。

 海の底には、町があった。ナルディラが、忙しさのあまり町を沈めてしまったと言っていたことを思い出す。石造りの建物の上で、光のカーテンがゆらめいている。光が届かない場所には凝縮した青が溜まり、青だけの濃淡で視界がいっぱいになる。


 しばらく見とれていた環は我に返る。資料がどこかへいってしまう。慌てて探すが、どこにもなかった。

 青年にも手伝ってもらおうと、海から顔をあげる。


「自殺教唆の重大性について再定義したい、と……」

 仰向けに浮かんだ青年が、資料を読んでぶつくさ言っている。

「すみません、拾ってくれたんですね」

 集中しているのか、彼は答えない。環はボートに戻る。魂だからなのか、少しも濡れていなかった。


 青年が紙をめくる音が響く。瞬く間に読んでしまうと、環のボートに上がってきた。一人乗り用のため、かなり狭くなる。

「あなたのボートあっちですよ」

「あ、そうか。これありがとう」


 青年が環に資料を返し、自分のボートに戻ろうとする。


「うわっ」

 滑って海に落ちた。


「あれまあ……」

 けっこうどんくさいのかもしれない。


「ぷはっ、下が町になってるんだね」

 青年が顔を出す。ズレた眼鏡をかけなおした。


「今気づいたんですか」

「さっきは資料を拾うのに必死だったから」

「その件はありがとうございます」


 環は手を差し出す。青年が環のボートに上がってくる。今度は落ちずに、自分のボートに戻ることができた。

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