ひとつめの武器
「このたびは、大変申し訳ございませんでした」
コバルトブルーの衣をまとった男の神が、深く頭を下げる。銀の長い髪が、肩から滑って垂れ下がった。
「いえいえそんな」
環は慌ててへりくだる。後光のまぶしい神に頭を下げられると、こちらが悪いことをしているような気分になった。
神の居場所は、駅のずっと上にあった。環は、巨大な柱が両脇に並んだ大広間に迎えられていた。神と向い合せのテーブルについている。環の前には、ねぎらいのスイーツがたくさん並んでいた。
「タヒトゥス様、あまり頭を下げると環殿の方がお困りになるかと」
神の後ろに控えたマティナが、厳しい声で言う。
「たしかに、それもそうですね」
タヒトゥスが顔を上げる。穏やかそうな顔が曇っていた。
「後光も、もう少しお控えになった方がよろしいですよ」
「ああ、すみません」
とまた頭を下げる。
「タヒトゥス様」
天使がとがめるような視線を向ける。
「ごほん、失礼いたした」
神は椅子に座りなおす。
「改めて、ご迷惑をおかけいたしました。調子はいかがでしょう」
灰色の瞳が、心配そうに歪む。
「まあ良くはないですけど……」
正直、落ち着く時間がほしかった。さっきまで首を絞められていたのだ。ひとまず無事でよかったという安堵の他ない。神がもっとちゃんと取り締まっていれば殺人者に会うこともなかった、というのは理解しているのだが、怒る余裕もなかった。晴山への怒りさえも、最早ない。
「第一の町では殺人者を取り締まっているのですが、少しここで過ごしてもらってから刑場へ送ることにしておりまして」
「入口ではじいた方がいいと思いますけど」
とがめるつもりがあるというよりも、素直に効率が悪いと感じる。
「おっしゃる通りで……。ですが、たとえ殺人を犯した者でも、ひとまず生の苦労があったはずだというのが私の考えで。癒す間もなく魂を消した場合、何らかの負のエネルギーが発生してしまうのではないかと思うのです。取りこぼしが発生することも重々承知しており、天使たちを町中に配置するようにはしております。そのためこういったことはほとんどないのですが、たるんでおりました」
服屋で天使たちがコソコソしていたのは、晴山に気づいていたからなのだろう。しかし「色んなお店で天使さんが働いてましたけど、なんですぐ捕まえなかったんですか」というところが問題だった。
「はい、そこにたるみがございまして……。殺人者を刑場に送る槍を持つのは限られた天使だけなのです。連絡をし、駆けつけてくるのを待つ間に捕らえておけばいいのですが、それを嫌がる天使が多くて」
「再教育を徹底いたします」
マティナが頭を下げる。
「さらに、かの殺人者はこの町から抜け穴を発見し、あの世の入り口に戻っていたようで……。出入りを繰り返すことで我々をかく乱していたのだと思いますが、そもそも抜け穴があったのも町のメンテナンス不足でした」
よく見ると、タヒトゥスは疲れをため込んだサラリーマンのような表情をしていた。
「先ほども申しましたが、私はどのような者であれ、まずは生の疲れを癒していただきたいと思って町を運営しております。景観の良い町を作り、美食や娯楽を用意し、旅行気分を味わっていただいているのですが。なにぶん未熟なところがあって十全な運営ができておらず……」
「未熟?」
「タヒトゥス様は神になられてまだ百年も経っていないのです」
マティナがフォローする。
「そうなんです。マティナの方が経歴が長いんですよ」
タヒトゥスが照れ笑いを浮かべる。
「神様にも寿命があるんですか?タヒトゥスさんは、元々天使で昇格したとか?」
「神に寿命はありませんが、裁かれることはあるのです。神が横暴だと、あの世はうまく回りませんから。私は元々人間だったのですが、先代の神が何らかの罪を犯したタイミングであの世に来まして……。なりゆきで神になってしまいました」
なりゆきで神になることがあるのか。
「すごいパワーワード」
「皆さん驚かれます。あの世はこの世からは想像できないようなことがたくさん起こる場所ですので、この先も妙なことの連続だと思いますよ。……どうぞ、召し上がってください」
タヒトゥスが、環の前のスイーツを示す。
「……いただきます」
環はレモンのシャーベットを手に取った。あの世はアイスも溶けないらしく、出来立ての状態を保っている。口に運ぶと、ちゃんとひんやりしているのが不思議だった。
「タヒトゥス様、そろそろ本題を」
「ああ、そうでした。魔物退治の武器の話ですね」
「武器、くれるんですか……?」
環が上目遣いで尋ねる。
「ええ、もちろん。今のあなたに最も持っておいていただきたいものです」
タヒトゥスが両手を合わせると、手の中からポオッと光があふれる。ゆっくりと開いた手のひらに、金色のバングルが乗っていた。
マティナがタヒトゥスからバングルを受け取り、環にうやうやしく渡した。
「ありがとうございます」
バングルには、草木の模様が彫られていた。真ん中には、楕円の白い石がはまっている。少しサイズが大きい気もするが、悪くないデザインだった。
「こちらはパノプリアというものです。あなたに物理的な危険が及んだとき、攻撃を跳ね返してくれます。鎧のようなものだと思っていただけると」
「つけてもいいですか」
「どうぞ」
左手首につけると、意外と肌になじむ。
「これからしばらくは、防御や戦術にまつわる武器を授かることでしょう。これらは、あの世でも使用することができるものです。使用には十分ご注意ください」
「分かりました」
環は長い溜息をつく。ひどい目にはあったものの、本来の目的は達成できたのだ。
「ありがとうございました」
深々と頭を下げた。