門出
◇◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◇
ロキは剣を取り、家を飛び出した。
玄関の扉を開けると、そこには母が立っていた。彼女は叫んだ。
「ロキ、あなたも行ってしまうのですか!外の世界へ」
「僕は行きます。救い主様を救うために。そして、兄さんを探すために」
ロキはそう言い、歩き出した。母はロキの袖にすがりつき、叫んだ。
「なりません。あなたが死んだら、誰が家督を継ぐのですか。ロアンまで死に、あなたまでいなくなってしまったら、私はもう……」
「母さん、心配しないでください。兄さんは絶対に生きています。それに、僕も絶対に死にません。旅の終わりには、必ず兄さんを連れて帰ってきます」
ロキはそう言った。しかし、母は彼を掴む手を離そうとはしなかった。
「母さん、使命が僕を呼んでいるのです。救い主さまをお救いするという使命が。僕も男です。その手を離してはくれませんか」
そういわれて、ゆっくりと、母は彼から手を離した。ロキは、再び歩き出した。しかし、屋敷の門の手前には、執事のクラドールが立ちふさがっていた。
「クラドール、そこをどいてくれないか」
「お断りします。父君が死に、兄上様も行方がわからない今、あなたまでみすみす死地に向かわせるわけにはいかないのです」
「聞いていたろう、僕は生きて帰ると。僕は強くなった。それはあなたが一番良くわかっているはずだ」
「ならば私を切ってここを通りなさい」
そういうと、クラドールは剣を抜いた。シミターの怪しく美しい白銀の肢体が、白日の下に露わになる。
「……本気か、クラドール」
「抜け、小僧!!」
クラドールは凄まじい剣幕で睨みつける。ほとばしる殺気が、ロキの肌を貫く。
ロキは剣を抜いた。父の形見の幅広の直剣が、鯉口を滑りにぶい擦過音を立てる。分厚くそして重い鋼鉄の肉体が、その身を晒す。
ロキは剣を構えた。
途端、クラドールが剣を振りかぶり、襲いかかってきた。
ロキはとっさに剣をかざす。二つの剣が激突し、鈍い衝撃音が響く。その衝撃の重さに、ロキの全身が軋む。
クラドールの剛腕が彼を押し込むと、足元が土をえぐる。しかしロキは踏みとどまり、力を込めてクラドールの剣を跳ね返す。
「シエスタ!なぜここにいる!そこをどけ!」
クラドールが、突然ロキの頭越しに叫ぶ。ロキは、メイドの名を聞き、わずかに視線を泳がせる。次の瞬間、クラドールはロキに肉薄し、その無防備な腹に膝蹴りを入れる。
「ぐはっ!」
ロキは体を折ると、後ろに飛び退いた。
「こんな安い手に引っかかるな!下女などにうつつを抜かしおって、間抜け!」
クラドールはそう叫ぶと、再びロキに斬りかかった。二人の剣が再び交わり、火花が散る。ロキは同じように剣を跳ね返し、今度は横薙ぎに一閃を繰り出した。しかし、クラドールは巧みに身を翻すと、返す刀の突きを放つ。
ロキは剣をかざす。しかしシミターの曲がりくねった刀身は、巧みにそれをかわすと、切っ先でロキの腕の肉をえぐる。
「くっ…!」
ロキは再び後ろに飛び退き、距離を取る。ロキの腕から、血が流れる。彼は手を握っては開きし、握力を確かめると、再び剣の柄を握る。
「どうやらあの下女は、メイドの分際で次から次へと当主を誘惑しているようだ。ロアンが死んで二年もしていないのに、もうこの男乗り換えるとは。まったくこの家は、どいつもこいつもあばずればかりだ」
「……」
「私が誰のことを言っているかわかっているだろう!貴様の母親のことだ!」
クラドールは叫び、ロキに飛びかかった。そして鋭い突きを繰り返す。
わずか五秒の間に、二人の間を十を越える剣戟が舞う。ロキは防御に徹するも、体のあちこちを浅く切り刻まれる。ロキは反撃のチャンスをうかがい、ひたすらに耐え忍ぶ。
そして、クラドールが最後の一突きを放った瞬間、その剣速が僅かに鈍っているのを、ロキは見逃さなかった。
ロキは再び横薙ぎの剣を振るう。鉄の切っ先が、クラドールの手の甲を斬りつける。黒い手袋が破け、皮膚が除き、肉が裂け、赤い血が滲む。
「ほう」
クラドールは右手を確かめると、あえて剣をだらりと構えて見せ、さらなる挑発を繰り出した。
「まったく家主がなくなってからというもの、あのあばずれ女には夜な夜な辟易している。執事の安月給ではとても足りんよ!そうだこうしよう。貴様が去った暁には、私が家督を奪うことにしよう」
母を侮辱する言葉に、ロキは殺気立つ。彼は腰を落とし、致命の一撃のために、剣を引き絞る。
「ほう、ようやく本気になったか」
「……あなたには、そのようなことを口にしてほしくない」
「ほざけ!」
クラドールは叫び、ロキに飛びかかる。そして上段に振り絞った剣を、凄まじい形相とともに振り下ろす。
だがロキは、血に染まるクラドールの右手から、白いなにかが覗いていることを見逃さなかった。それは、ロキが切り裂いた、肉の下の骨だ。
ロキは、渾身の横薙ぎで迎え撃つ。
二つの剣が激突する。キイン、という硬質な金属音が響く。
ロキの一撃はシミターの峰を捉え、クラドールの手から吹き飛ばした。シミターは、クルクルと回転しながら宙を舞い、そして地面に突き刺さった。
クラドールとロキをは、そのまままっすぐ見つめあっていた。やがて暗ドールは肩の力を抜き、姿勢を正すと、言った。
「……強くなられましたな」
「……わざとだ。あなたはわざと負けた」
「なぜそう思うのですか?」
「兄さんがここを出る時、ぼくは窓からあなたと兄さんの戦いをみていたから。あなたの強さは、こんなものじゃなかった」
ロキはそう言いつつ、顔を上げて門柱を見る。その門柱の高い場所には、何本もの太い線状痕が刻まれたままになっていた。それは二人の戦いで刻まれた、刀傷なのだ。
「……少し歩きましょうか」
クラドールはそう言った。
◇◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◇
門から出ると、石畳の一本道がはるか下方まで続いている。
この道は、山の下の街と屋敷とを結ぶ一本道だ。だから、二人が歩いている間にも、行き交う人は誰もいなかった。
クラドールは、静かに話し始める。
「……あの時、お兄様は、私に剣を向けることは出来ませんでした。恩人に剣は振れないと言ってね。あなたも知っての通り、彼はとてもお優しいお方だから……」
「ではなぜ、二人は戦ったのですか」
「わたしはあなたのことを侮辱したのです。ちょうどさきほどのようにね」
「……」
二人はしばらく、物思いにふけりながら歩いた。再びクラドールは話し始める。
「外の世界は欺瞞に満ちています。わたしもかつて冒険者だったからよく知っている。外は、美しいことばかりじゃない」
「わかっています」
「辛いことも悲しいこともあるでしょう。理不尽なこと、耐え難いこともたくさん起きます。それでも、あなたの決心は揺らがないのですね」
「はい」
その返事を聞き、クラドールは足を止めた。ロキも歩みを止めて、彼を振り返った。
クラドールは、ロキを見据えながら言った。
「ロキ様、どうかご無事で」
「……クラドールこそ無事で」
ロキはクラドールに、含みのある目線を送った。クラドールがロキの視線を追うと、果たして、坂の上から、母が、両手を腰に当てて、鬼の形相で睨みつけていた。
二人は顔を見合わせると、大声で笑い出した。
「あははは」
「いやはや、まったく、今晩生きのびれるか」
やがて笑いが止み、ロキは再び歩き出した。その背中に、クラドールは、ふたたび大きな声をかけた。
「ロキ様!」
ロキが振り返ると、そこには深々と頭を下げるクロードがいた。彼は言った。
「どうぞお元気で!」
「クラドール、あなたも元気で!」
ロキは声を震わせながら、大きな声で言った。そして前を向き、歩き出した。ロキは、もう背後を振り返ることはしなかった。
彼は涙を腕で拭いながら、長い坂道を下っていった。
◇◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◇
ロキは長い坂道を下りて、ようやく街までやってきた。
町の広場は浅から活気に溢れており、さまざまな人々が行き交っている。荷物をたくさん積んだ行商人たちが声を掛け合い、競りの大声が通りに響く。屋台からは、肉の香ばしい匂いが漂い、子どもが親の手を引っ張って食べたい食べたいとせがんでいる。買い物客たちは談笑しながらあれやこれやと品定めを続け、そのざわめきが広場を包み込んでいた。
ロキは広場の中央にある噴水へと歩み寄る。澄んだ水が高い弧を描き、陽の光を浴びて虹を架けている。噴水のそばには、三人の男女が佇んでいた。彼らは皆、これから共にたびに出る仲間なのだ。
「遅ぇよ、待ちくたびれたぜ!」
一番初めに声をかけてきたのは、バッツだ。黒い髪をオールバックにし、鋭い目つきをしたたくましい青年だ。彼とロキとは幼馴染だった。ロキは言った。
「悪いな、遅れて」
「ん?おまえどうしたんだ、その腕……」
ロキはそう言われ、今更ながら腕の傷に気がつく。興奮していたせいか、あまり痛みを感じなかったが、袖は流れた血で真っ赤に汚れていた。
「なんでもねえよ。平気だ」
「ほんとか~?つーか、お前泣いてねえ?」
「馬鹿、泣いてねえよ」
「嘘こけ、涙のあとがくっきり残ってるぜ。さてはお前、あの執事にボコられたんだろ」
「うっせーな。ほっとけっての」
ロキは唇を尖らせて、もう一度袖で顔を拭う。
「ロキ、治療するからそこに座って」
メーベルが命令した。彼女は片目を前髪の奥に隠した、長い金髪の神官だった。その手には、十字架の錫杖が握られている。彼女もまた、ロキと共に旅に出る仲間だ。
彼女はロキを噴水の縁に座らせると、彼の目の前にたち、錫杖を高く掲げ、そして呪文を唱えた。
「―――――――大地を濡らす信仰の血 命の果ての殉教の死 聖者を包む月明かり 天国へ往く空の道」
淡く白い光がロキを包む。彼が心地良い浮遊感を感じると同時に、全身の傷は、みるみるうちに塞がっていく。そして光が晴れたときには、傷は跡形もなくなっていた。
「ロキ、顔が汚れてるわよ。血を拭かないと」
紫の長髪をした女の子がそう命じて、濡らしたハンカチでロキの顔を拭う。彼女の名はフレイヤという名の魔法使いだった。
広場の人たちが、ちらりちらりと彼らを見ているが、フレイアは気にせず、ロキの顔を拭う。ロキは、恥ずかしくなって彼女の手を払い除けた。
「やめろって、恥ずかしい」
「だめよ、あなた全身血まみれだもの。これから王様に会うんだから、もっと身ぎれいにしないと」
「大丈夫、あの王様は、そんな細かいことこと気にしないよ」
ロキは立ち上がり、言った。
「じゃ、そろそろ城にいこうか」
◇◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◇
こうして四人は城にやってきた。
青い尖塔を持つ白い城は、いつ来ても美しい。城の前には大きな花畑が広がっている。レンガの敷き詰められた小道を、四人は歩いていく。
大きな城の扉を、白銀の鎧に身を包んだ二人の衛兵が守っている。ロキたちがやってくると、二人はやりを立て、扉を厳かに開く。軋んだ音を立てて、扉は開かれる。
城の中はひんやりとしている。大きな柱に囲まれた赤い絨毯の上を、四人は歩いていく。そして四人は、玉座に座す国王の前まで来ると、跪いた。
「ようやく来たか。待ちわびていたぞ」
王は言った。
「ロキ、バッツ、フレイヤ、メーベル。世界を救うべく、こうしてお前たちが立ち上がってくれることを、王として誇りに思う。お前たちはこの国の誉あり、未来の光だ」
王は立ち上がり、ひざまずく彼らの手前に立ち、続けた。
「お前たちの旅には、幾多の苦難が待ち構えているだろう。敵は悪魔だけではないだろう。魔に魅入られ闇に堕ちた人間や、あるいは悪魔との戦いに機を伺う邪な者など、人の敵は数しれぬ。しかし、忘れないでほしい。君たちが手にした信仰の光こそが、どんな鋼よりも強き力であることを」
王は続けた。
「決して止まることなく進め!民も、私も、お前たちの勝利を信じて、祈り続ける。勇者たちよ、君たちの進む道は、決して孤独ではないことを忘れないでくれ。ここに、王の名において、君たちを勇者に任ずる。」
王はそう宣言すると、剣を抜いた。窓から差す光に照らされて、剣は光り輝く。王は剣の峰で、やさしくひとりひとりの肩を叩いていく。アコレードが終わり、王は後ろの従者を振り返って言った。
「では、ペンダントを」
従者が前に出て、木の箱を差し出す。ビロードのクッションの上に、四枚の銀のペンダントが置かれている。王は、自らの手で、一人ひとりの首にペンダントをかけていった。
すべての儀式が終わると、王は言った。
「今日、君たちはアガスティアの勇者となった。では勇者たちよ、旅立たつのだ!」
◇◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◇
そうして彼らは城をでて、花畑の小道を歩いていった。
ふと、なにやら遠くから、誰かが呼びかける声が聞こえた。
「おーい、まってーー」
振り返ると、それは王女マリアだった。彼女はピンク色の長いスカートをたくし上げ、緑の芝生を突っ切って走ってくる。ウェーブした金色の髪が揺れ、薄緑色の大きな瞳が三人を大きく映している。
「ロキ様、まってーー」
「行きましょう、ロキ」
ステラは、ロキの手を引っ張ってその場を去ろうする。しかし、マリアはゼーゼーと息を切らしながら三人に追いつくと、ステラの手をピシャリと叩き、そのままロキの手を掴んで胸に引き寄せた。
「ロキ様、あなたにどうしても申し上げたいことがあります」
そう言ってマリアはロキに顔を寄せる。
「私は、あなたのことをずっとずっとおしたい申し上げておりました。この想いはどれほど時間が経とうと決して変わることはありません。わたし、誰とも結婚いたしません。あなたの帰りを、いつまでもいつまでもお待ちしていますわ」
そうして、彼女はくちづけをした。
そしてマリアはステラを振り返り言った。
「ステラも元気でね。帰ってきたら、きっと仲直りしましょう」
ステラは唇をきゅっと結んで、ぷいと顔をそむけた、そしてマリアのことを見ないで歩き去っていった。
ロキも、マリアにさよならと言い、そのまま歩み去っていく。
「ステラ!帰ってきたら、また昔みたいにいっぱいお話ししましょうね」
マリアは大きな声でそう叫んだ。そして、三人の姿が見えなくなるまで、いつまでもいつまでも手を振っていた。
◇◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◇
やがて彼らは街まで帰ってくると、港に出向き、小さな帆船に乗り込んだ。そして係留ロープをはずし、櫂を立てて、船をゆっくりと漕ぎ出した。
彼らは、故郷の姿をその目に刻み込もうと、港を振り返った。
するとそこには、いつの間にかたくさんの人たちが見送りのためにが集まっていた。
ロキは、母や屋敷の執事たちが集まっているのを見た。彼らはみな手を前で組み、かしこまって頭を下げていた。母だけが、堂々と腕を組んで、いってきなさいと言うように誇らしげに立っていた。
ステラは、魔法学校の同級生たちが集まっているのを見た。彼女らはみな授業中に抜け出してきたのだろう、みな制服のままだった。彼女たちは笑い合いながら、大きく大きく手を振っていた。
バッツは、群衆の中に師匠を見つけた。師匠は腕組みをして、行って来いと視線を送っている。仲間の冒険者たちも、バッツを見送りるためにやってきて、手を振っていた。
そのときふと、群衆がざわついた。人混みが割れると、その隙間から王様が現れた。王様は高く錫杖を掲げ、彼らを祝福した。
ロキたちは船べりに並んで、静かに頭を下げた。
ふと、再び、群衆が騒がしくなる。皆、なにが起こったのかと後ろを振り返る。すると、人混みの奥から、なにやら女の声が響いてきた。
「みんな、どいてどいてどいて~!」
声が響くと同時に、ふたたび人混みは割れ、奥からマリアが姿を現した。彼女は船に向かって、桟橋を駆け抜けた。
「とうっ!」
マリアはそう叫ぶと、桟橋の縁から跳躍した。彼女は空中を跨いで、帆船に飛び乗った。
勢い余った彼女は、そのままロキに抱きついて止まった。
「うふふ、ロキが受け止めてくれた!」
マリアはロキの首に手をかけながら、くるくるとまわった。
「ちょっと王女さま、どういうつもりですか?」
ステラが叫んだ。
「えへへ、わたしも一緒に旅に出るわ!」
「そんなこと、国王様が許すはずないでしょう!?」
「大丈夫よ、お父様にはもう話してあるから」
ステラが振り向くと、国王は朗らかな笑みを浮かべて手を振っている。
「どうせついて来るなら、なんで別れのキスなんてしたのよ!」
「ふふふ、さあてなんでかしら~ん」
「マ・リ・ア~!!!!」
ステラは八重歯を剥き出しにして、マリアに掴みかかった。マリアは彼女を無視して、港に向かって大きく手を振った。
「お父さん、みなさん、さようなら!!」
マリアがそう叫ぶと、人々は王女に向かって大きく手を振った。マリアたちもまた、それに応えて、さらに大きく手を振り返した。そうして彼らはお互いの姿が見えなくなるまで、手を振りあっていた。
こうして四人は、はるかなる海へと漕ぎ出した。
◇◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◇
◇◆――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――◆◇