徒然日記
毎日がどうしようもなくありふれていて、ただ時間だけがわたしの前を、すうっと通り越していく。
電車の窓越しに外の景観を眺めようとした。しかし、外は漆黒に包まれていて、何があるのかさっぱりわからない。都会だったら人工の星々がきらきらと輝くだろうに、田舎の田んぼを切り裂くように走っているのだから、何も見えないのは当然だ。
まるで流れ星だと思う。何もない真っ暗闇に一筋の光が瞬く間に通り過ぎていく。わたしは乗っているだけなのに、そんなものの一部になれた気がして、ずっと電車に乗っていたいと思った。
そんな思いだけならいいのだが、高速で闇を切り裂いていくのと、わたしのわだかまりがどうも対峙してしまうのだ。電車は次々と、少しの揺れも気にしないでぐんぐん進んでいくのに、時間はのろのろと味気なく、一段一段、階段を確かめながら登っていっているように感じられて、その長い長い行く末々にため息が漏れそうだ。ただ学校に行って、ただ帰宅して、ただ適当に課題をこなす。学校に行ってもすることはいつも変わらない。別にこれといって、喋っている時に、パズルのようにぴっちりはまるような感覚に陥る友達はいないし、かといって上辺だけ微笑みあっているのも、どうも気に食わない。だからわたしの人間関係はとてもあっさりしている。塩気のないそれは、私にとってはなんのスパイスにもならない。
どうして電車はこんなにもすばらしいのに、わたしの世界はつまらないのだろう。毎日同じような、これと言って面白みのあるわけでもないような日々が、数珠繋ぎになって永遠とわたしに訪れると考えると、気が滅入る。
こんな日々なら、電車のように、はたまた新幹線のように過ぎていってしまえばいい。
そこでわたしの思考はがらりと変わる。もし電車というすばらしいものに乗れたとして、すぐに見えるのは出口だ。わたしにはそれがブラックホールに見える。何もわからないが、そこに残るもの、いや残らないと言ったほうがいいだろうか、そんなものだけはわかっている。
死だ。
死とは今のところ、わたしにとって、虚無であり、そしてそれはわたしのうちに秘めたものを全てこの世から取り除いてしまうものだ。
それが怖くて怖くて仕方がない。自分の好きなこともやりたいこともできない。体がもう、動かないから。
でも、、、、わたしは電車の窓を見つめる。
真っ黒いところにわたしが反射して写って、思わず顔を背けてしまった。
わたしのやりたいことってなんだろう。
わたしはわたしが分からない。好きなことやらやりたいことが出来なくなるのが怖いのに、そのやりたいことが、わからない。わたしはなにに成るべきなのか、成りたいのか。
頭の中にもやがかかる。そんなものもはっきりしていないのに、生をもったいぶるのも、死を怖がるのも、少し不思議だ。
だけれど怖いものは怖いのだ。流れ星に乗ってどこまでも加速して行きたくても、何もなくなってしまう死に向かうのは、やっぱり勇気以上のものがいる。
わたしはそんな矛盾だらけの自分に嫌気がさしてきた。世の中矛盾だらけだと、それが世の中だと、どこが納得していても、それが自分の中にあるのだと思うと、やはり異物を飲み込んだような気分になる。
矛盾だらけの自分。
わたしはわたしがこわい。
わたしはわたしが可笑しい。
もうすぐ次の駅に着くとアナウンスが聞こえる。減速していく電車にわたしは一つ、ため息をついた。金属音とともに電車が然るべきところにぴったりととまる。
ドアがゆっくりと開いて、わたしはそこを通らざるを得なかった。まるでわたしはいつも通りここに帰るのだと裏付けしているかのように。
死んだ後、きらびやかな世界が広がってたら。
でもまたずっと生きるってこと?
わたしはもうとても可笑しくなって、鼻で笑った。過ぎ去る電車の音がどんどん遠のいていく。
わたしはそんな音を聴きながら、夏のやぼったい空気をかきわけるように歩き出した。
虫たちのなく声がわんわんとどこまでも響いていた。