1-4:地下研究所跡
遠くで、滝のような音がきこえる。
「ああくそ、真っ暗で何も見えやしない」
ゴハンが手探りで電気レバーを上げると、水銀灯がまぶし気に目覚めた。
ドアをくぐった先の光景に、MIB一行は思わず目を見張った。
薄暗いそこは、運動場ほどの大きさもある秘密基地だった。廃れた赤いレンガ壁、無骨な鉄筋コンクリート。黒い傘の裸電球。そして、アンティークなキャビネットに、くたびれたレトロなソファ。
見ようによっちゃイカした隠れ家だが、そこが全くイカしてないことはパスタでもわかった。
「……どうして壁の一部が岩洞に繋がってるんだ?」とパスタ。
どこか湿度を感じると思ってはいたが、赤レンガの壁のひとつが丸々ふきぬけ、広大な岩洞が広がっていたのだ。そのせいかライトは闇にのまれ、月明りほどの明るさしかない。
岩洞の水路や穴倉は、大小さまざまなパイプまみれだ。奥は闇に包まれていて、滝のような音が遠くでごうごうと響いている。あちこちで小さな機械音がせわしなく囁くさまは、まるで地球のハラワタのようだった。
「地下研究所跡かね」とゴハン。その目はソファ付近にあった。レトロなブラウン管TVの対面に、ビデオテープの棚がある。みたところ映画のようだった。様々なジャンルのタイトルがずらりと並んでいる。
その並びを、ゴハンはじっと見た。アルファベット順でもジャンル順でもないそれは、ぴっちり隙間なく収まっている。
「周囲を視ろ、パスタ。変わった様子はないか?」
パンの声に、パスタは頷いてすぐレンズをかかげた。すぐに下ろして肩をすくめる。
「これだけ暗けりゃ、真っ暗で何も見えないな」
さてと探索がはじまった。ゴハンがペン型カメラで周囲を照らす。
パスタもわからないなりに事務机を漁った。この事務机の持ち主はアーロンだったのだろうか?
鉛筆はきっちり削られ、長さ順にぴっちりそろえてある。付箋やクリップまでぴっちりそろえてある様子に、パスタはひっくりかえりそうな気分になった。
パンはあちこちカメラに収めながら、姑のようにキャビネットに指先を流し、指先をこすり合わせる。
「……ここ最近まで人がいた痕跡があるな」
その時、ゴハンが「見っけ」と軽く一声。1つのファイルをパンにパスする。
受け取ったパンがファイルを開いた。そそと寄ってきたパスタに半分シェアし、1枚また1枚とめくる。
パンが静かに呟いた。
「これは……12年前の【北条家虐殺事件の計画書】か」
ゴハンはデスクに腰かけ、ビンゴに指を鳴らし人差し指を向ける。
「ああ。それによると〔北条家虐殺事件〕は、育成員と北条ジュリアのクローン達が殺された事件だ。首謀者はサムソンじゃなくて【アーロン】だったってわけ」
断言し、どうよと言わんばかりに両手を広げる。
「この秘密基地はアーロンのクセがよく出てるぜ、あいつは病的なほどぴっちり揃えるんだよ」
それにパンが視線を上げる。
「12年前の〔北条家虐殺事件〕の首謀者がアーロンなら、サムソンはなぜ自身が犯人だと自供したんだ?」
ゴハンとパンは真剣に問答している。話の半分もわからないパスタは、周囲を散策がてら模索することにした。
レンズ片手にうろつくも、暗すぎるせいかレンズは真っ黒で何も視えない。それでも銃が手元にあるというだけで、気分は大きかった。
やがてやや奥まった通路の影にクローゼットを見つけ、何の気なしに開けてみる。そして、頭が真っ白になった。
(なっ……なんだこりゃ……)
クローゼットには、立てかけられたショットガンと、墨で汚れた白いスーツがあった。墨はすっかり渇き、麻布のように硬くごわついている。
触れた感触に、パスタは全身の毛が泡立つように逆立った。
(こりゃ墨じゃない……血の跡だ!)
ゴハン達を呼ぼうとしたとき、滝の音に紛れ遠雷のような音がした。まるで獣の唸り声のような……。パスタは本能的に顔をあげた。
天井の足場の影が、音もなく背に落ちる。突如現れた巨大な影に、パスタは臓器が一気に引き抜かれたような感覚になった。
影こと、巨大な黒豹の瞳がパスタを射貫く。
ベロアのように滑らかな毛、自分の足より太い前脚が、音もなく1歩また1歩とパスタに歩み寄った。
パスタは動けなかった。どうしてここに黒豹が、と思う余裕すらなかった。立ったまま腰が抜けたのか、バカみたいに膝が笑う。
黒豹は、パスタの様子に首をやや下げた。動物の警戒ポーズだ。そのままパスタの周囲をぐるりとひとまわり。
一瞬間があって、ずんと両肩が重くなる。とたん世界が宇宙にほうり出されたように真っ暗になった。暗闇に光る星が2つ……それが黒豹の目の光と悟った時、大きな舌がざらりとパスタを舐め上げる。
味見されたと理解した瞬間、パスタは女の子のような悲鳴をあげた。
★
悲鳴にかけつけたMIBは面食らった。
大きな黒豹が雷鳴のように喉を鳴らし、パスタを舐めまくっているのだ。黒豹はマタタビでも舐めているかのようにご機嫌だ。
一方、ヨダレまみれのパスタは猿のように叫びつつ、死に物狂いでMIBに声をあげる。
「たったったすったすけっ……!」
間髪おかずに舌が顔を洗う。櫛のようにトゲのある舌に、パスタの悲鳴はすすり泣きにかわった。
ゴハンとパンは見合って、あっけにパスタを見た。
「どうしてここに黒豹が?」
その時だった。闇に紛れ、一陣の黒い影がふりかかる。とっさに刃を抜いたパンが弾き、一瞬の火花に敵があらわになった。
「! まさか」
弾き飛ばしたパンが切っ先を一振り、黒い影こと【女】に構える。とたん黒豹が吠えあげ、女を守るように前へ出た。
女は緑のセミロングをかきあげ、斧のようなギター肩に担ぐ。ラバースーツのような戦闘着を弓のようにしならせ、すべてを見透かしたような黒い瞳でMIBを睨んだ。銀のイヤリングが星のようにちらりと光る。
ゴハンが口笛をピュウとひとつ。
「……わお、誰かと思えば~」
それにパンはまさかと続く。「……まさか【北条ジュリア】か?」
怪訝なパンを遮ってゴハンが前に出た。まるで旧友に会ったかのように両手を広げて見せる。
「ジュリアちゃん、久しぶりじゃ~ん! 元気してた? ていうかすっげセクシーちゃん! ね、ね、ちょっとお茶しない?」
ジュリアの視線がチラとパスタに向く。女王のようにヒールを鳴らし、ゴキブリのごとく這う這うの体のパスタをひょいと片手で掴みあげた。
そのあまりの怪力に、パスタが情けない悲鳴をあげる。喚きつつ、宙ぶらりんの四肢を子どものようにぶんぶんに振り回した。
「ひッ! ひああああっはッはなッ離せよぉおおッ……!」
頬に一発ハリテをくらったジュリアが舌打ちひとつ、不快に眉を顰めた。胸元の虹色のレンズをみて、ちらとMIBをみる。
みて、パスタをぶうんと投げた。パスタが壁にたたきつけられなかったのは、間一髪にパンがパスタを受け止めたからだ。
ジュリアは視線をパスタまま2、3歩あとずさり、ピュウと指笛ひとつ。
「チビ」
そう言って身をひるがえした。巨大な黒豹ことチビが応えるように唸り、ジュリアを追って岩洞の闇に消えていく。
突風のように、一瞬の出来事だった。
ゴハンは深追いしなかった。踏みとどまり、袖に隠していた銃をおさめる。
パスタを地面に下ろしたパンが、視線を岩洞まま呟いた。
「やはり生きていたか。年齢相応に成長していたが間違いない、北条ジュリアとチビだ。……追うか?」
ゴハンは手をひらつかせ、踵を返す。
「勝算があるからかかってきたんだよ、深追い厳禁」言って、パスタのケツを蹴った。「いつまで寝てんだよ、仕事しろ」
パスタはヨダレか涙でべちょべちょの顔まま、ひっくり返った声でゴハンに吠え上げた。
「ももももっと早く助けてくれよ! こっこころこ殺されるところだったんだぞ!」
「知るかよ、勝手にウロついたのお前だろ」
いがみあう2人にパンは呆れの溜息一つ、血塗れの白いスーツを手にとった。
「……まずは本部に報告だ」
映画だとここで手を取って立ち上がらせるものだろうが、ゴハンとパンは一切そういうそぶりを見せなかった。
ゴハンは証拠品をまとめにさっさと踵を返し、続くパンが肩越しにちらりと振り返る。
「男なら、自分の身は自分で守れ」
パンはそれだけ言って、とっとと証拠品の回収作業に戻っていく。至極まっとうな言葉に、パスタはぐうの音もでなかった。
ヨダレまみれの顔を袖で拭った時、ふと袖に違和感があった。小石でも入ったかと腕をぶらつかせると、銀色の何かがコロリと地面に転がる。
つまみ上げると、小さな猫の可愛らしいシルバーイヤリングだった。
「これ、さっきの怪力女の……?」
さっき手で突っぱねた時に落ちたのだろう。銀色の猫の首元には、リボンを思わせる小さな赤い石が飾られてある。
「休憩は終わりだ。飛行盤に戻るぞ」
パンの声にパスタはとっさにイヤリングをポケットにつっこみ、慌てて立ち上がった。
「ま、待ってくれ。こんな不気味なとこに置いてかないでくれよぉ……!」