1-3:北条低
MIBを乗せた飛行盤が、セリオンの森林保護区にゆっくり降りていく。
朝露に濡れた緑の合間から、透き通るような光が落ちる。
鬱蒼とした山奥の闇に、建物がぽつんとひとつ。その付近のちょっとしたスペースで、煙のように濃密な霧がふわりと動いた。
霧に迷彩機能が拡散され、MIBを乗せた飛行盤がライトの瞬きのように現れる。ヒューンという耳心地のいい音とともに、搭乗口の階段がゆっくりと芝生をふんだ。
飛行盤を降りたMIBは、目の前のいかにもなホラーハウスを見上げた。忘れもしないそこは2年前、MIBの目の前でターゲットが自害した場所だった。
ロレンツォことパスタが、湿気に軽く鼻をすする。
「ここが目的地の北条低か。なんだかお化け屋敷みたいな廃屋だな、こんなところにアーロンが出入りしてたのか?」
パンは顔半分を覆い隠すほどのサングラスをはめ、静かに告げた。
「ここは12年前の〔北条家虐殺事件〕の現場だ」
「えっ? 〔北条家虐殺事件〕って……あの?」
パスタは面食らって、改めて屋敷を見上げた。
〔北条家虐殺事件〕……家族全員殺されたかで、セリオン全土の学校がしばらく休校になったのを覚えてる。まさかこんな森の中とは思いもしなかった。
「今はなにかの施設なのか?」
その言葉に、ゴハンもパンもはたとパスタを見た。
パスタはまばたきひとつ。「……なに? 俺の顔に何かついてる?」
「施設だって? なぜそう思った」
パンの質問に、パスタは「ぁあ」と軽く庭を指し続けた。
「廃屋なのにバッファゾーンの整備がかなりしっかりしているから、植物類か菌類の経過観測してるのかなと思って」
パンが腕を組み、ふむと続きを待つ。それにパスタは「ええと……」と、今度はしっかり指さした。
「周囲の枝や葉が屋根にかからないように剪定されてるだろ? あと、あの草はかなり珍しい種だ。地下茎で繁殖スピードが早くて、根もかなり深いんだ。土ごと換えなきゃ無限湧きの要注意外来生物で、定期的に間引かないとあっというまにツタまみれになるんだよ。だから廃屋の割に、整備が行き届いてるなと思ったんだ」
ゴハンがちょっと小ばかに笑う。
「なにお前、造園屋でもやってたの?」
「職業柄もあるけどボーイスカウトやってたんだよ……。臨時のスカウトリーダーも」
ゴハンが軽く鼻で笑い飛ばした。眉を下げ、へらと歯を見せる。
「ボーイスカウトねえ。知ってるぜ、棒にマシュマロぶっさして焼く集団だろ」言って宣誓のように右手を上げ「毎週金曜にクッキーを焼くことを誓います!」
ふざけるゴハンにパスタはちょっとムッとしたものの、かつていじめっ子を言い負かした言葉を反芻した。
「スカウトバッヂも持ってる。1人じゃ何もできない奴よりマシだろ」
ゴハンは銃の弾を装填しつつ、どうということなく軽く言い流す。
「あっそ。じゃそれ見せびらかしてナンパしてこいよ、成功したら土下座して靴を舐めてやるぜ」
いがみあう2人の間に入ったのはパンだった。
「2人とも、仕事の時間だ。これより中に潜入する」
パスタはしっかり頷いて、パンから銃を受け取った。銃はずしりと重く、角を触れば指の皮が切れそうだ。
「弾は入ってはいない」。パンが指さし続けた。「誤射されたらたまったものではないからな。お守り程度だ」
パスタはやや不服に頷いた。弾がない銃なんて、女子供じゃあるまいしと。
「撃ち方くらい知ってる。猟銃ならガキの頃に経験があるし」
それにパンは軽い笑みを返すだけだった。
パンの背からひょいとゴハンが顔を出す。「なあ、動物のクソとかも集めるってマジ?」
パスタはここぞとばかりに無視してやった。
…
長年の月日で風化したドアは、きしむ音をたててMIBを受け入れた。
パンの背に続き、パスタが両腕めいっぱい銃を突き出し、周囲を見渡す。
中はまったくの暗闇だった。ひんやりと湿っぽく、墓場のような気配が漂っている。玄関の水槽は真っ黒だ。窓はすべて木が打ち付けられ、腐った木の隙間から糸のように光がさしている。
パスタは小さく息をのんだ。北条低はホラーゲーム〔バイオモルフ・ハザード〕を彷彿とさせる廃屋だ。
(ゾンビが出てきそうな雰囲気だな……でも、アーロンはこんな所に何をしに来たんだ?)
探索するうち、ふとした違和感が疑問になり、どんどん膨らんでいった。家具や日用品はあるのに、まるで生活感がないのだ。空き家と違った妙ながらんどうさは、お化け屋敷のそれとは違う恐怖に満ちていた。まるで家に擬態したモンスターの口の上にいるような気分だった。
リビングでは、バネが飛び出したソファが主人を待っていた。古ぼけたブラウン管TVがMIBを反射する。廃れた本棚の前には、捨て置かれた猫用キャリーバッグが埃をかぶっていた。
その時だった。パスタの胸元のペンダントルーペがきらりと光る。
『ロレンツォ、レンズで周囲を視てください』
涼やかな声に、ロレンツォことパスタはまばたきひとつ、胸元のペンダントルーペに視線を落とした。レンズの虹色の光が、洗濯機のようにくるくる回っている。
「え、今これ喋った?」
ゴハンがうっとうしそうにパスタの背にボヤく。
「いいからレンズで視ろよ。それ使える以外、能が無いだろが」
戸惑うパスタに、パンが指で輪っかをつくり目元にあてて見せた。こうやって見ろのそれだ。
パスタは見様見真似でレンズをつまみ、あたりを視た。とたん声をあげる。
「うわっなんだこれ」そう言って、レンズを上げては下げる。「えええ……これどういう仕組みなんだ?」
「遊んでんじゃねえ、ちゃんと視ろ」
ゴハンがパスタのケツを蹴る。パスタは蹴られた尻かまわず、やや興奮気味に床を指した。
「あ、ああ。カーペットにその、モヤ? モヤっぽい煙がかかってる」
それにゴハンとパンが見合って頷いた。パンがソファを軽々動かし、カーペットをめくる。カーペットの下は、埃まみれのなんてことないフローリングだ。
パスタはレンズをかかげたまま、作業指導員のように指をさす。
「ここに何かあるみたいだ。隙間から煙が漏れてる」
言って木目柄のボタンを押すと、床が最新家電のようにゆっくりと口を開けた。パスタがおっかなびっくり退く。
現れたのは、地下階段だった。ご家庭によくあるタイプの地下階段ではなく、まるで地下墓地の入り口のようだ。ぽっかり空いた闇に、埃がちらちら落ちていく。
「……不気味だなぁ、地下室に死体とか放置してるんじゃないのか……?」
2人はビビるパスタかまわず、武器を手に降りていく。なんとも頼もしい背中だった。
階段はとんでもなく長かった。下り始めてからどれほどの時間が経ったろう? 冷たい石の壁は氷のようで、上も下も漆黒の闇だ。
やがてたどり着いたどん突きは、車庫程度のスペースと、やや小さめの古びた扉だけだった。その扉に、パスタが呆然に目をしばたたかせる。
「……これ、テレマ研究所のドアと同じだ。まさかここはイルミナ関係の廃屋なのか?」
ゴハンもパンも当然のように頷いた。パンが静かにレンズを指さす。視ろ、のそれだ。パスタは慌てて頷いて、周囲をレンズで視た。
虹色に光るレンズの先……ドアの真横に、一か所だけ色味が違う岩壁があった。
押すように触れると、岩がスライドしてガラススイッチが現れる。三角形のそれは滑らかに回転しながら展開し、三角形3つが三角型に並んだデザインになった。
「なるほど、開閉スイッチか。押してみよう」
まずパンが触れ、押してみた。三角のガラススイッチは無反応だ。
次にゴハンが叩いてみた。蹴ってもみたが結果はパンに同じ、お手上げに肩をすくませる。思いつく限りの方法でチャレンジし尽くした3人は、目で物を言うように見合わせた。ゴハンがひとつ頷く。
「家の中にヒントがあるかもな。探しに戻るか」
踵を返すゴハンに、パスタはウゲッと声をあげそうになった。あの長い階段を、今度は上るだなんて!
さっさと階段を上がっていくゴハン達を横目、パスタが最後の悪あがきでガラス板に触れてみる。なんてことないガラススイッチだが、やっぱり押しても叩いても無反応だ。うんざりなな気持ちまま、ゴハン達の背を追いかける。
「開けゴマ~で開きゃよかったのにさ……」
そのパスタの呟きに応えるように、ブブッという電子音ひとつ。次に、炭酸飲料のキャップを開けたかのような音がした。
ゴハンとパンとパスタは見合って、振り返った。ドアはぽっかり開いていた。