2-5:元イルミナ佐官さんよ
マホガニー製の柱時計が、ぼうんと時を刻む。
「ご苦労だった」
ジャッドは執務室の椅子に深々腰かけ、大きく足を組んだ。やり手のコンサルタントのように指先を合わせる。
「北条ジュリアには逃げられたが、パスタの記憶が再生されるのは大きな収穫といえる」
ゴハンとパンを一瞥し、一言一句迷いなく続けた。
「生存が確認された北条ジュリアは〔北条家虐殺事件の全貌を知る重要人物〕だ。事件の裏付けとしてまたとない生き証人となるだろう。アーロン捕獲にもいっそうの気合が入るというものだ」
ジャッドがかっこよろしく指先を鳴らすと、空中パネルに画像がいくつか展開された。それには、MIBが秘密基地で回収した証拠品一式が映っていた。
「貴様らが回収した白いスーツ、手袋やその微物、ショットガンやワッズ……。いくつもの鑑識の結果、この白いスーツは半年前アーロンが着ていたものだと確定した。アーロンはこのショットガンで、パスタの頭部を打ち抜いたというわけだ。これは単なる目撃情報とは違い、パスタ殺害の確固たる証拠となるだろう」
黙ってきいていたゴハンが軽く片手をあげる。
「上官殿、ちょっといい?」
チラと視線が合うも、ジャッドの視線はすぐパネルに戻った。適当に喋れといわんばかりに片手をひらつかせて。
そんなジャッドにゴハンはややイラつきつつ、つとめて冷静に質問を投げた。
「今回の件で、気になる点がいくつかあったんだよ。現場側としちゃ報連相の徹底をお願いしたいとこなんだけど」
ジャッドの椅子がくるりと向き直る。
「ほう。言ってみろ」
ゴハンはずいと1歩前にでた。
「イルミナ戦闘員のミリアム、イルミナの前会長の愛娘エレナちゃん、聖イルミナ医院の院長サムソンと、その恋人ジュリアちゃん。で、……イルミナ系列のテレマ研究施設にいたロレンツォ・パッツィーニ、そいつを殺したイルミナ上層部の男アーロン。アーロンは俺たちの元同胞とはいえ、どいつもこいつもイルミナに繋がってやがる」
ゴハンは手振りをつけて、やり手の弁護士のように続けた。
「イルミナは俺達の敵組織だ。今はARの教官として教鞭をふるってるけどさ、偶然にしちゃ無理があるんじゃない? 元イルミナ佐官さんよ」
それにパンが前に出た。汚いものでも見るかのように眉間にしわを寄せ、壁のように立ちふさがる。
「不敬にもほどがある。口を慎め」
ゴハンはかまわず、パンの背のジャッドに声を投げた。
「エレナちゃんと俺らを遭遇させたのもお前の差し金だろ? 裏でこそこそと何企んでんだよ」
張り詰めたような静寂があった。ふいに、ジャッドのくつくつと喉を鳴らす音が響く。そしてすぐ、吹き出すような一笑に変わった。
「仕事に感情を挟むな、か……くくく」
アイスティーの水滴がコースターを濡らしている。ジャッドはアイスティーを一口、笑い呆れるように長嘆息ひとつ。その顔は苦みを含んだ、言いようのない笑みをたたえていた。ジャッドは余裕綽々に肘をつき、こめかみに指をあてゴハンを見る。
「いや……マスからハミ出す駒があるか、だったかな? 上手いこと言うじゃないか、実に良い言葉だ。裏でこそこそ嗅ぎまわってるとは思えないほどな」
ゴハンの眉尻がぴくりと動く。ぴんと空気が張り詰めた、その時だった。
隣室の休息室のドアが勢いよく開け放たれた。
「今何時だッ!?」
目覚めたパスタがドアを開けるなり叫んだ。面食らうゴハン達に構わず、ジャッドが柱時計をちらと見る。
「15時だ」
「15時!? うそだろ!?」
パスタはガッデムに両手で髪をかきあげ、旅行鞄に飛びつくなり携帯を叩いた。
「14時に交通整備のバイトが……ああ~くそっなんで携帯のパスが違うんだ! やばいやばい、今月シフト全部まわさないと携帯が止ま……、あ」
ふと抜け落ちたような顔になり、呆然とした視線がMIBに向く。
「俺、あれ……? そうだ」
夢の内容を思い出そうとするかのように、パスタはあやふやな指先をMIBに向けた。
「えーと、確かお前らに無理矢理連れてこられたんだ……。アーロンの捕獲、だっけ? ……ツンツン頭がゴハンって名前で……あれ? 俺、MIBになった?」
ゴハンがちらとジャッドを見た。
「なんか記憶戻ってなくない?」
ジャッドは視線をパスタまま、ふむと顎先を揉む。
「どうあれ修復はできているはずだ。完全復活には何らかのきっかけや、時間が必要なのかもしれん」
パスタは携帯を鞄に戻し、問い詰めるような足取りでジャッドのデスクに手をついた。
「なあ、現場責任者はあんただよな。このMIBの仕事って日当いくらなんだ?」
「日当?」とジャッド。驚いたのか、ちょっと両眉を上げて。
パスタは苛立ちまま、小刻みに頷いた。
「ああ。俺には金がいるんだよ。実家に送金しないと借金の返済日が……」
言葉尻が消え、今にもクシャミをしそうに顔を上げる。「……ああ~だめだ、気持ち悪い、なんだこの感覚……!」
言うなり、落ち着きなく歩き回る。その姿はまるで電柱まわりを嗅ぐ犬のようだ。
「急がなきゃ、ああでも何に? 課題忘れてる? バイト忘れてる? いや俺もうMIBだって」
せわしなく歩くパスタに、ゴハンが呆れにパンにふる。
「なんか貧乏学生の末路みたいなこと言ってんね」
その瞬間だった。パスタの靴先がゴハンに向く。問い詰めるように歩み寄り、ゴハンの胸に指先を向けた。
「誰が貧乏学生だ、このウニヘッド!」
ウニヘッドことゴハンは吠えるパスタをじろりと睨みあげ、その手を軽く払った。
「んだよ、高級食材のウニ様なめんな」
手を払ったのが火に油だったか、パスタはさらにいきり立ち、激昂にまくしたてる。
「うるっさい! 俺だってキャンパスライフを充実させたかったっての! 皆がサークルだスキーだバーベキューだ騒いでる時に! 同期がサークルの可愛い後輩とやりまくってる時に! 俺は……ばっ……バイトとッ勉強ばっか……ッ!」
言うも涙 語るも涙か、声を潤ませ悲壮に歪むパスタの顔に、ゴハンがウゲッと顔をしかめる。
隣のパンは心中察するように目を伏せ、ゆっくりと頷いた。
「……人生は長い。誰にでも苦労話はあるものだ」と。
そのとたん、パスタが怒りをあらわにパンに吠えあげた。
「ハンサムマッチョに俺の苦悩がわかってたまるか! 死に物狂いで勉強して、やっとの思いでセリオン大の理学部に入って、金のために将来性ある研究職についたのに、お前らの起こしたテロでクビ!
その上〔貧乏でブサイクなのに、職がないとか将来性なさすぎ〕って彼女にこっぴどくフラれて! 家族に迷惑かけないよう実家への振込だけは滞らせることなく、毎日その日暮らしのバイトで食いつないでるんだよッ!」
唾を飛ばす勢いでつっかかるパスタに、ゴハンが心底楽しそうに大口開けて笑った。
「ははは、なんだこいつ面白」
笑うゴハンに、パスタは開き直ったピエロのように大きく両手を広げてみせる。
「ああ笑えよ、バカ面晒して笑ってろ。こちとら家賃払えず宿なし車中泊だ、なのに手元に残るのはいくらだと思う!?」
言うなりジャッドに指をさす。まるでクイズ番組だ。
ジャッドはちょっと考えて、「……15万くらいか?」
「ハイ残念3万でしたッ!!」
パスタはバキュンと指先を上げてみせ、両手で3を作ってコメンテーターのように回って見せる。その目はヤクでもキメたかのようだ。
「3万ぽっちだよォ~ガソリン代含め~! 休憩中コンビニ弁当食べてるときに、リア充どもがゴミを自分の足元に捨ててきた経験あるか!? ないだろ、クソッどいつもこいつもいい面しやがって! やりまくってんだろ、爆発しろ!」
何もない空を蹴るさまに、思わずジャッドが笑って、パンもたまらず顔をそらしふきだした。
パスタは宙を馬鹿みたいに蹴ってまた、早歩きで歩きはじめる。苛立たしさを体現したような足取りに余裕はない。
「くそ、ざわざわする。なんだこの感覚……!」
ため息のように笑い終えたジャッドが、手元のTVリモコンをポチと押す。
TVパネルに映るは、ワンダフルTVの特番だ。ピアノ演奏とともに、イルミナの会長マラークの結婚祝いの報道が流れる。
同時、パスタの歩みがぴたりと止まった。MIBがはたとパスタをみる。パスタはしばらく棒立ちでTVを見ていたが、視線そのまま近くの椅子に腰かける。その目は論文を査読する研究員のようで、真剣な面持ちでTVを見つめていた。
いつまでそうしていたろうか。特番がCMに切り替わる。パスタは憑き物が落ちたかのように、さてとジャッドに向き直った。
「……で、給料はいくらだ?」
「歩合制だ」
ジャッドの言葉に、パスタはうんざりに肩をすくめてみせ、挑むように膝に肘をついた。
「言うと思ったよ! 必要経費も自腹って、このご時世に狂ってんのか? 足元みて言葉巧みにやりがい搾取するな、労基に訴えるぞ」
ぴしゃりと言って、警告のように指先をジャッドに向ける。
パンがじろりとパスタを睨むが、ゴハンは「そうだそうだー」と拳を上げてヤジを飛ばすばかり。
ジャッドは小ばかに鼻息ひとつ、挑発するかのようにパスタに顎をあげた。
「うちは信賞必罰。努力・能力・実力のある者へ、正当な報酬を与える。ゆえに半日で何百万も稼ぐ奴もいる。アーロンを生け捕りにできれば、一生遊んで暮らせる金を土産に、大手を振って家に帰ることができるだろう」
金の匂いにパスタがぴくりと反応する。さっきまでの舐めた態度は消えうせ、賞金稼ぎのような笑みで口角を上げた。
「OKOK、アーロンの捕獲は任せろ」
「いい返事だ」
さてと切り替えるように、ジャッドの椅子がくるりと回る。MIBを順にしっかり見て、指揮官らしく指揮を執った。
指を一つ鳴らし、空中パネルに画像がいくつか展開される。パネルにはいずれも、ビル街のチャイナタウンが映っていた。
ジャッドがペンライトでパネルを指す。
「回収した弾丸と線状痕から、ショットガンの出所が特定できた。アーロンがパスタを撃ったショットガンは、チャイナタウンの闇市で売られた密造銃だ。闇市場は桜連合の縄張りだが【 桜蘭 】に会うことができればスムーズに事が運ぶだろう」
パスタが真面目に片手を挙げる。
「質問いいか? 桜蘭って誰だ?」
「桜連合直系カデンツ頭目、桜連合次期総帥の女だ。平たく言えば中国マフィアの愛娘」
パスタはカデンツという名称にぎょっとした。カデンツといえば、知らぬ者はいない有名な中国マフィアだ。有名すぎて国外問わずゲームや漫画にも登場するほどだ。無論、悪役として。その代表格に会うだなんて想像を絶する話だ。
パスタは思わずゴハンとパンを見た。2人はマフィアに一切全く動じる事なくパネルを眺めている。その目は数々の修羅場を乗り越えてきた男の目だ。
ジャッドがペンライトを胸ポケットに挿す。
「しかし桜蘭は1年前のロレンツォ殺害事件以降、表舞台に出ていない。……が、貴様になら顔を出すはずだ」
ジャッドとパスタの目が合う。パスタは振り返って誰もいないことを確認し、自らの胸に手をやった。
「え、俺? 俺はアーロンだけじゃなく、中国マフィアとも関係があったのか?」
「桜蘭は事件当日、アーロンをその目で見た生き証人だ。殺害当時の証言は、有力な証拠の一つとなるだろう。顔見せついでに調書をとってこい」
ジャッドは淡々と告げ、パスタにピストルのようなハンドサインを向けた。
「桜蘭は、パスタに関する情報を保有しているはずだ。その中に、アーロンへと繋がる何らかの手がかりがあるかもしれん。【 アーロンの捕獲】のため、【桜連合の桜蘭に会って、アーロンの情報を抜いてこい 】」
MIBは敬礼ひとつ、飛行盤を飛ばした。
相変らず、窓から見える景色はかなりの絶景だ。
遠くなる本部を見るパスタは、トランペットを欲しがる黒人の子供のように窓に張り付いている。
ゴハンは丸めた地図でその頭をポンと叩き、デスクに地図を広げた。
「桜蘭ちゃんか、なっつかしいな。飼育部からの依頼にかこつけて、俺達に接触してきた女だ」
パスタは頭をかきつつ、ふぅんと頷いた。
パンがタブレットをスワイプし、それぞれの服を発注する。するとすぐに、クローゼットから電子レンジの呼び出し音が響いた。服を取り出したパンが、ぼんやりするパスタに衣装袋をつきだす。
「じきに到着する、さっさと着替えろ」
パスタは頷いて、衣装袋を受け取った。脱いだり着たりと忙しいモンだなと頭半分思いつつ、ふと胸元のレンズに目がいく。
レンズ。あの女の子がつけていた、虹色のペンダントルーペだ。
弱々しく涙を落としていたあの顔を、忘れた事は1日だってなかった。……でももう、過去の話なのだと。
幸せそうな笑顔に、妙な焦りは萎れるように消え失せた。どこか遠くにぽつんと置き去りにされたような気持ちだった。
パスタは寂しさにも似た胸の痛みに蓋をして、目前の目標に意識を集中させる。
目指すはセリオンのビル街、チャイナタウン。
MIBを乗せた飛行盤は、セリオンの空を矢のように抜けたのだった。
──3話へ続く