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おかあさんと呼んでいいですか  作者: 碧科縁
第1部 第2章

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50 別れ

 やっとシャーリンも踏ん切りをつけたようだ。


「わかった。じゃあ、カル、あとのことは頼むよ。ごめん」

「大丈夫、わたしたちにまかせて」


 カレンはシャーリンの背中に手を回して引き寄せると、ふたりはしっかりと抱き合った。

 ミアとウィルに続いてディードが船に乗り込もうとするのを見て、シャーリンが声を上げる。


「ディード、なんであんたが乗るのさ?」

「ペトラとクリスから、シャーリン国子をお護りするようにと、命じられましたので」


 そう言うなり、シャーリンの横をすり抜けて、舷側から下がっているはしごを足取りも軽く上った。もう、足はすっかり回復したらしい。

 シャーリンが首を振った。


「大げさだね。単にウルブに行くだけでしょ」




 ミアは船の上からこちらを見下ろした。


「それで、クリス、あんたはどうするんだい?」


 ペトラがすかさず声を出す。


「クリスは我が守護者ではあるが、その義務は解いてしんぜよう。いかようにでも」


 ペトラの仰々しい口調に、クリスは口をあけたが、すぐにまた閉じた。少ししてきっぱりと言う。


「何をおっしゃるのですか? ペトラ、わたしはあなたと一緒に行きますよ。なんたって、わたしはあなたの筆頭衛事ですから、離れるわけにはいきません」


 ペトラはじっとクリスを見つめたあと重々しく述べた。


「そこまで申すなら、同行を許可しよう」


 カレンはふたりのやり取りを見て笑みがこぼれるのを感じた。なんとなく気が緩んだように見える。




「それじゃ、カル、ペト、気をつけて」

「わかった。シャルも気をつけてね。いい? また、闇雲に行動してはだめよ」


 カレンは念を押した。

 シャーリンが大きくうなずくのを見ても、カレンは不安を覚えた。でも、ミアと一緒だし、ディードもついている。


 シャーリンはちょっと下がって、ペトラの頭のてっぺんからつま先までを眺める。

 ペトラの腰に手を回し持ち上げるように引き寄せる。つま先立ちになったペトラはさっと両手をシャーリンの首に回した。


 抱き合うふたりは本当に仲のよい姉妹といった感じだわ。そう考えていると、先ほどの言葉が脳裏に(よみがえ)ってきた。

 我が父はすでに彼方。本当にそうなのかしら。だとしたら……。ふたりが話を交わすのを眺める。でもそんなはずはない。国主だよ。


 シャーリンがムリンガに乗り込むと、ディードがすばやくはしごを引き上げた。すでに船はブルブルと震えて動き出している。




 カレンはムリンガが離れていくのを見送りながら口にした。


「それじゃ、わたしたちも出発しましょ。面倒なことになる前に、町を抜けておいたほうがいいから」

「では急ぎましょう。こっちです」


 クリスが先に立った。

 裏道を小走りで進むと、すぐに川辺の一軒家にたどり着く。

 ペトラがあたりをきょろきょろする。


「ふーん、ここが、クリスの家?」

「そうです、もうここには住んでませんけど。今は、祖父がひとりで暮らしています。このあたりで、少しお待ちいただけますか? 中で話をしてきます」

「ねえ、カル? 何か見える?」

「いいえ。空を眺めているだけよ」




 やがて、ひとりの年老いた男が出てきて深々と頭を下げた。


「ペトラさま、いつもクリスがお世話になっております。マイクです」


 顔を上げて、カレンに目をやると続けた。


「して、そちらのお方は?」

「ああ、マイク、こっちはカレンよ。わたしの……客人」

「初めまして、マイク。どうぞよろしくお願いします」

「どうかね? あいつの連れ合いになってくれんかねえ?」

「はあ?」


 いきなりの申し出に、カレンは口をポカンとあけた。

 マイクの後ろから現れたクリスが絶句するのが見える。


「おいおい、何言ってるんだ? すみません、カレン。祖父が失礼なことを申し上げて」

「こいつも、とっくに身を固めてもいい頃合いなんだよ」

「でも、あの、一昨日(おととい)、お会いしたばかりで……」

「おいおい、一昨日でも一年前でも同じだよ。カレンが困ってるじゃないか」

「あー、もったいないなあ。わしはてっきり……」

「さ、早く船を出してくれよ。急がないと町を出られなくなるじゃないか」

「わかった、わかった。じゃ、行くとするか」




 マイクに続いて家の裏手に回り込むと、そこに、こぢんまりとした川艇が係留されていた。皆がぞろぞろと船の中に入る。


 カレンは最後に乗船すると、マイクが出発の準備をするのを見た。振り返って手をかざし、あたりを見回したが、幸いまだ空に船はいない。下流に向かったムリンガの姿はここからは見えない。

 ペトラがまた船内から出てきてカレンと並び、同じ方向を見ながらつぶやいた。


「無事にウルブに着きますように」

「ミアなら大丈夫よ。あの人、とっても有能だから」

「そうなの? カルが信頼しているのなら大丈夫だね」

「さて、わたしたちは船室に閉じ籠もったほうがいいわ。誰かに見られるとやっかいよ」

「わたし、眠い」

「じゃ、ひと休みしようか」




 結局、失敗の連続だった。

 何もかもが後手に回った。このどうしようもない記憶が何とかなればもっと役に立てるのに。

 カレンは今一度、この(まち)を、緩やかな丘の上、遠くにかすかに見える執政館を眺める。また、ここに戻れる日は来るのだろうか?


 結局、街には行かなかった。買い物も外食もしていない。あの大きな森を訪れただけ。

 そういえばミアの服もあそこに置いてきてしまった。そして、いまだに借り物の服を着たまま。

 きっといつかまた、ここに戻れるはず。今はそう信じるしかない。




 船室に入ると扉をそっと閉めた。

 目の前に居心地のよさそうなソファがあり、すでに寝そべったペトラが半分以上を占拠している。この室内は船の外見とはまったく不釣り合いだわ。


 ペトラの隣に落ち着いたとたん、シアがポンと現れた。おなかの上にふわっと降り立つと、しばらく足踏みをする。

 くすぐったいよ。


 場所が決まると横になり両手を上げて大きな伸びをした。

 そのまったく人らしい仕草を、ペトラが目を丸くして見つめている。

 寝たかのように見えるけれど、少しだけ体から光の揺らめきが見える。レイとつながっているのかな。話をしているのかしら。


 カレンはもぞもぞ体をずらすと見上げた。

 今日は、夢を見ない予感がある。

 船の速度が少し上がるのを感じる。前からは、男たちの楽しげな会話が漏れてくる。それに、朝の活動が始まった気配が徐々に感知力に浸透してきた。


 小さな窓からは上り始めた日の光が差し込み、上で灰色の空がしだいに色づいていくのが見える。

 少し開いている天窓からは、ちょっぴり甘い匂いの風が入ってくるし、今日はいい天気になりそう。満足して目を閉じる。


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