14 この光景には圧倒される (アレックス)
空全体が薄紫色に染まり、あたりもやや暗くなってきた。
遙か彼方に広がる地平線が、くすんだ橙色をした霧のうねりに溶け込むにつれ、もっとずっと手前で、黄金色にきらめく小点が見えてくる。
見逃してしまいそうなかすかな瞬きも、しだいに、ぽつぽつと数を増しその所在を主張してきた。
明るかった空が急速に暗くなると、間欠的な瞬きが無数の光点へと変貌し、やがて、左右の彼方まで続く細長い光の帯を形作った。
それより手前の大地は、すでに深い緑青色の影に覆われようとしている。
アレックスは窓と向き合ったまま目を閉じた。
遠くで行われている消耗戦に伴う揺らぎを取り込むべく、心を研ぎ澄ます。
昼間にはみじんも感じられなかった、ねっとりとした気配が、もだえるように浸透してきた。
あそこで起きていることは、昼も夜も変わらないはず。それなのに、夜の帳に包まれようとする頃合いを見計らって、こちらの感知力を抑圧するように押し寄せてくる。
アレックスの左側、二歩ほど離れた位置に立つ、カティアがささやいた。
「ここから見えるあの無数のきらめきは、どうしてか、とても美しい。あそこで、とんでもないエネルギーが浪費されているのがわかってはいても。まるで、あたしたちを誘惑するかのよう」
カティアは、窓に額をぴったりと押し当てて、明滅する光群を眺めている。
その向こう側に立って、外の景色を食い入るように見つめる若者は、静寂が破られるのを待っていたかのように声を上げた。
「これはすごい! この無数の輝きが全部、トランサーの消滅によるなんて信じられない。これまで、動映では何度も繰り返し見せられたけど、これほどとは思わなかった。あの金色の光の帯、もう言葉にならない」
後ろから咳払いが聞こえたので振り返る。先ほどまでフィルは、テーブルに埋め込まれたモニターに覆い被さるようにして、熱心に何かを調べていた。
今は顔を上げてこちらを見ている。
「なあ、ロイ、あそこには、あの光の洪水の下には、それこそ何千万ものトランサーが、こっちの防御面に食らいついている。もしあのフィールドが崩壊すれば、やつらがここまで押し寄せてきて、このあたりは跡形もなくなるんだぜ。それを寝ても覚めても繰り返し考えないといけない。まあ、おまえさんがトランサーに気に入られるとは、とても思えないからな。たちまち昇華させられて、あとには拾う骨すら残らない」
ロイは窓から顔を引きはがすと、フィルに目を向けた。
「トランサーの進む速度はゆっくりでしょ。人が歩く速さより遅いというから、ここまで来るには、何十日もかかるんじゃないですか?」
「おまえさん、そいつをじかに確かめたことがあるかね? やつらだって、ある時を境に突然進化するかもしれない。今度フィールドを下げる際に、やつらの進む速度を見てみな。おそらく移動はだんだん速くなってるはずだ」
フィルはいやに自信たっぷりに言った。
「それに、やつらは風に乗って垂直方向に動くし、ちょっとなら飛べる。我々を察知したとたんに、どっと殺到してくるぞ」
「え? そうなんですか? そんな話、初めて聞きましたけど……」
「そうかい? やつらには昨日の常識は通用しないかもしれない。覚えといたほうがいいぞ」
ロイは考え深い目つきをしながらうなずいた。
「わかりました。それで、紫黒の海っていいますけど、本当に真っ黒なんですか?」
「そうだな、トランサー自体は、薄い紫色をした甲虫のように見える」
フィルは椅子をギシギシいわせながら応じた。
「だけど、防御フィールドの向こう側の大地は、やつらで黒く塗りつぶされた領域が見渡す限りどこまでも広がっている。どうして集まると黒く見えるのかは謎だ」
「近くで見たことがあるんですよね?」
「そりゃ、戦闘隊の役目は、壁のこっち側に侵入してきたやつを駆除して回ることだからな。でも、すばやく消滅させないとこっちが危ないから、まじまじと見る暇なんてない。それに、今までトランサーの完全な捕獲に成功した試しがないから、実際のところ、我々はやつらを何も知らないに等しい。あれから何十年もたつのに」
確か、トランサーを捕まえるのに成功した話を聞いたことがある。それで何かわかったのかは知らないし、その情報は公開されていないらしい。
フィルは思いついたように付け加えた。
「そうだ。今度、昼間のパトロールに出る船に同乗させてもらうといい。早いとこ、壁向こうの海を自分の目でじかに見ておいたほうがいいからな。壁から遠ざかるにしたがって大地が巨大な谷を形成して、その先は漆黒の闇に落ち込む奈落のように見える。あれを目にすれば、この大陸が、本当に消滅に向かって突き進んでいると、いやというほど実感してしまう」
「はい……でも、それにしても、やっぱり、あれはきれいに見える」
「それがやつらの狙いなのさ、きっと。おまえさんのような若いやつを魅惑して飲み込むんだ」
ロイは顔をしかめた。
「飲み込むってどういう意味です?」
「文字どおりの意味さ」
カティアが静かに言った。
「でもね、フィル、あれをここからじっと見つめていると、すーっと引き込まれるのよね。これだけ離れていても、というか、こんなに離れているからかしら。目が離せなくなる」
驚いて横を見ると、カティアがロイ同様に恍惚状態にあるかのようにさえ見えた。これは珍しいことだ。
ふたりの様子を眺めながら、アレックスは考え込んだ。
トランサーの前進速度が上がっているのはたぶん本当だ。やつらはどこかでどんどんと生まれるが、その際に、少しずつ形態が変わっている可能性はおおいにある。
大群は徐々に前進し、それにつれて、こっちは後退し続けているから、いずれこの場所も放棄することになる。
一年後か二年後かはわからないが。
ここは、中立地帯の北部地域で、唯一のちょっとした山の上だから、あそこから離れている割には、全体がよく見渡せる。
それが、ここに陣取っている理由なのだが。
そのせいで毎夜、あの光の洪水に感動してしまうのはまずいかもしれない。
まあ、山を下りてしまえばこんな眺めは無理だろうが。
そういえば、ロイは一昨日配属されたばかりだった。
どうやら、これを見るのは今夜が初めてらしい。確かに感嘆の声を上げるのはわからないでもない。誰でも最初はそうなる。
それにしても、前線に配属されるにはまだ早すぎないか?
小柄なカティアの頭越しにロイの横顔を眺める。一歩下がって全身をあらためて品定めしてみたが、まだ子どもといっても通るだろう。
ロイとともに送られてきた配属書を見れば、優秀なのはわかっていた。
それでも、オリエノールは、そこまで、作用者の養成が間に合っていないのかとさえ思う。あるいは、この中間地帯の防御を甘く見ているのじゃないかとも勘繰りたくなる。
それぞれの意見を主張し合う三人の言葉を聞き流し、再び、両手を窓に伸ばした。
やや左前方8万メトレにいるはずの、中間地帯の中央を守る第5ブロック隊の方向に手のひらを向け、作用の流れを確かめた。
安定した投射を保っているようだ。次に、防御面に沿って、手を左から右にゆっくりと動かしていく。
数万単位のトランサーのエネルギー転換は、圧倒的な力だ。これだけ離れていても、防御フィールドの波動同様に、感知力で視えてしまうのだから。
紫黒の前線と相対するフィールドの状態は、フィルが見ていたモニターでわかる。
それでも、こうして体で感じるのはやはり違う。
目をあけると、テーブルの上に放置されていた遠視装置を取り上げ、額に押し当てる。
継ぎ目のまったくない半球ドーム窓の左前方に向け、明度をしばらく調整した。
正面に向き直り、同じように観察したあと、左に右にと回してみる。そのままの姿勢で話しかけた。
「カト、第7ブロックのフィールドだが、少し反射が大きくはないか?」
カティアが、窓のそばを離れて自席に戻るのがわかった。ついで、制御装置を操作しチェックするのが感じられた。
「表示では、防御面の安定性に問題はないわ。でも、そうね、確かに第7の負荷は、両隣のブロックよりわずかに大きいことは大きい。アレックス、この些細な違いが見えるの? というか、感じ取れるわけ?」
そのあと、椅子を動かして腰を降ろす軽い音に続いて、ブツブツ言う声が聞こえた。
アレックスとロイは窓際を離れると、フィルの隣に座るカティアの背後に回って表示を眺めた。
カティアは、振り向いてアレックスを見上げるとさらに付け加えた。
「もともと負荷の差が小さかったから、気づかなかったけど、一時間くらい前から、わずかに上昇傾向にあるみたい」
指で問題の転換点を示した。
「もしかして、トランサーはこの隊に集中してきているのかしら?」
カティアの柔らかい声は、小さいのに部屋にいる全員に届いたように思えた。