116 みんなで頑張る
シャーリンには意味がわからなかった。何をするつもり? クリスが惚けたようにこちらをただ見ているのを目の隅で捉えながらも、一瞬時間が止まった。
気がつくと、カレンはしゃべり続けていた。
「……わたしに手はふたつしかないのよ。だから……」
三人まとめて何とかするつもり? いくらカレンでもそれはむちゃすぎるでしょ。
「ほら、急いで! 時間がないの」
せっつくような声に慌ててうなずく。すぐに、右手を伸ばしてカレンの細い体に回すとぐいっと引き寄せる。
その結果は、さっと振り向いたカレンのあきれ顔を間近に見上げることだった。
「あのね、シャル。服の上からじゃ意味ないでしょ」
慌てて手をほどく。ああ、もちろんそうでした。何をやっているのか、情けない。
あらためて手を伸ばしたが途中で動かなくなる。でも……この場で、相手の服をめくって手を突っ込むのはちょっと……。
向こうには、トランサーに銃を機械的に叩きつけているモリーたちがいる。エメラインもクリスも見ているし、と思い横を向くと、クリスの体はいつの間にか前のめりになっていた。
どうやら座っているのさえしんどいらしい。
一つため息をついたカレンは、メイとクリスをつかんでいた手を離して引っ込めた。すばやく自分の服をたくし上げて、やりやすいようにしてくれる。感謝して腕をカレンの腰にさっと巻き付けた。
おなかに手が触れたとたんに声が上がる。
「冷たい!」
体の震えが伝わり、驚いてまた手を離す。フィールドが激しく揺らぐのを感じ、慌てて力を入れ直す。
バランスを崩してドサッと尻もちをついたカレンは、足を引っ張り伸ばして手で押さえた。あの足の状態だと、膝を折って座るのはとても無理だ。
血だらけの足を眺めながら提案する。
「ねえ、足にする? そのほうが……」
足首を掴まれるときっと痛いだろうな。でも……。
こちらを見上げたカレンは首を何度も横に振り、手を動かした。
「遠すぎる。力はここから出るの」
作用者は心臓の左下に力髄を持っている。そこから伸びる力絡は両手と頭までは太いがそれ以外は細いらしい。確かに、以前、足から力を入れようとしてカレンは苦労していた。
「この近くじゃないとたぶんできないと思う」
カレンは下がってしまった服をまとめて首の下までくるくるとめくり上げて、そのまま顎で押さえた。両手を伸ばしながらこちらに背中を向ける。
おそるおそる腕を回してカレンのおなかに密着させた。
「もっと上!」
「はい」
おとなしく彼女の指示どおりに腕を滑らせると、何か堅いものに当たった。
ああ、ペンダントか。
場所が決まったところで、指先を脇の下にあてがいぎゅっと押さえた。
何度か体をよじるのを感じたあと、突然気づいた。自分がただの変質者と化していることに。
しかも、カレンの肩越しにメイと目が合ってしまった。
慌てて、クリスは、と横を見ると……下を向いている。ほっとした。まだ疲れてまったく動けないようだ。
そういえば、ロイスに来たばかりの頃、カレンは服を着ないで歩き回ることがよくあった。そのたびにアリッサたちは慌てていたっけ。
今でも彼女はそういったことに無頓着だし、人目を気にもしない。
だが、見るのと……つかむのは別だ。……妹を襲う異常者という言葉が頭をよぎる。
なぜか手のひらが急に温かくもじっとりと湿ってくる。一度手を離して指先を擦り合わせてから再び手と腕をぐっと押しつける。腕にペンダントの角が食い込むのを感じた。
「痛い……」
聞こえた声に慌てる。
急いで、左手をカレンの肩越しに伸ばしてペンダントを探り、それをつかむと首元から服の外に押し出す。もう一度腕を押しつけしっかり抑え込むと、体をひくつかせるのが伝わってきた。
これじゃ、ただの変態だ。この寒さの中でもどっと汗が吹き出てきた。
「ごめん」
そう言いつつも右手はそのままに我慢し、息をついて寄りかかってきたカレンの背中を胸で支えた。
体はまだ小刻みに震えている。そりゃこの冷たい風にさらせば凍えてしまう。
やっと体の震えが治まると、カレンはクリスとメイの手首を握り直した。ついで何事かブツブツ言い始める。
間もなく、カレンがおなかに力を入れるのが感じられ、それに続いて、力強い流れが手から一気に入り込むのを感じた。
目を閉じて、その熱い放流をそのまま受け入れると、体の力がしだいに抜けていく。
なぜか疲れが徐々に遠のき、防御面が持ち直されるのを人ごとのように感じた。見上げると、フィールドの変色はすでに消えている。
カレンは目を閉じたまま、早口で何か言い続けていた。何をしゃべっているのかまるで聞き取れない。
クリスはどうなったのかと見ると、すでに復活しており、その場で座り直していた。でも、その顔だけは下を向いたままだ。カレンの肩越しに大きく開いたメイの目を見つめる。
彼女がわずかに首を縦に振るのが確認できた。よかった。
その時、モリーたちがもはや銃を振り回すのをやめて座り込んでいるのに気づいた。全員が口をポカンと開いてこちらを見ている。その真ん中に仁王立ちでこちらに向けたエメラインの視線が険しい。
これはまずい。いったいいつからこっちを見ていたんだ?
カレン自身がこの状況をどう考えているのかわからないけれど、これは、あとでモリーにちゃんと説明しないとだめだ。
作用者ではない人たちには、どうしてこんなことをしているのかは絶対にわかってもらえない。いや、作用者でも理解できないだろう。最悪だ。
とりあえず、クリスは紳士だからこのことは誰にも話さないだろうし、エメラインは……わたしたちの衛事だ。
ああ、いったいわたしは何を考えているんだ? ここから生きて帰れるかどうかもわからないのに、何の心配をしているのか。
それにしても、もはや、自分で防御フィールドを展開している感じはまるでない。それはたぶん、カレンが、自分の力を使って、代わりに三人分の防御作用を発動させていることを意味している。
しかし、どうやってそれを実現しているのだろう?
カレンに聞いたとしてもきっと、何か前にやったことがあるように思うの、とかいう拍子抜けの答えが返ってくるだけだろうな。
もっとも、記憶がないのだから、本当に、単に体だけが覚えていることが、何かの拍子に現れるのだろうけれど。
ふと、ペトラならわかるかもと考えた。今度、聞いてみよう。
いやいや、それには、この状況を彼女に説明する必要がある。それは……絶対だめだ。
こんなことをしているのが彼女にばれたら、きっと、ことあるごとに話のネタにされそうだ。とてもまずい。エメラインにも絶対に口止めしないと。
なぜか突然ひらめいた。これは、メデイシャのすることと反対のことをしているに違いない。その原理はまったくわからないけれど……すごいな。
これでしばらくは支えられるだろうけど、こちらの三人にはあまり力は残っていないし、カレンの力もどんどん失われているはずだ。根本的な解決にはまるでなっていない。




