盃と犬―アイドル編―
「アイドルの私を守ってほしいんです!」
「お前ほんっとよえーなあ。」
「犬に負ける屈辱・・・うぐぐ・・・。」
休日の昼下がり。
二足歩行でしゃべる犬・マーブルと、青いジャケットがトレードマークの俺・ルグルストは、オセロを嗜んでいたはずだが、なぜかマーブルがやたら強く盤面は真っ白だった。
「やめだやめだ。さてと依頼がないか確認してこよ。」
「おーいってらっさい。」
革靴に足を通し、引き戸を開ける。
俺達はコンビを組んでいる。
万事屋・ルグル。それが俺たちの仕事。
俺達への依頼の仕方は簡単。
武蔵長城駅南口6番改札の前で、青いジャケットの男にA8サイズのメモ用紙でこう渡してほしい。
『最後のカクテル、あとはない。』
いつも通り改札の前にいると不思議な少女がいた。
「あの、依頼を!」
「いやあ、人違いじゃないかな。」
「あの、助けてください!」
「警察にでも行ったら?」
「あの子さっきから断られてるな・・・。」
青い服の人にばかり話しかけている。
手には名刺サイズの紙が一枚。
もしや、と思って近寄る。
「あ、あなたも青い!すいません!助けてほしいんです!」
「そんなやみくもに探すもんじゃないよ。依頼主さん。」
彼女の手元の紙には間違いなく『最後のカクテル、あとはない。』と。
それが意味することは簡単だった。
「で、連れて帰ってきたと。」
素朴な少女はマーブルの入れた紅茶をおいしそうに飲んでいる。
点けっぱなしのテレビがアイドルの特集をしている。
『アイドルだって片思いするの~♪』
「この子、きらっきらのお目目でくりくりしててさらさらヘアーで可愛いよなー。」
「マーブル最近この子好きだもんな。」
「ありがとうございます。」
「「ん?」」
マーブルと二人顔を見合わせる。
テレビの中の美女と目の前の少女が似つかない。
「え、と、あれ私、柏木真理愛です。メイクした後の。」
「「ええええええ!!」」
そのあと実際にメイクしてもらって本人であることを確認した俺たちは、彼女の話に耳を傾けていた。
「しっかし、えらい美人じゃないか。普段からそうしてればいいのに。」
「よく言われます。でもあの人は素の私を愛してくれたから。」
「あの人?」
彼女が手帳から一枚の写真を取り出す。
そこにはどこにでもいそうなアイドルオタクっぽい男性が映っていた。
「竹宮豊さん。私の10歳上で私の古参ファンの方です。」
「10個も下の女の子にキャーキャー言うもんかね。」
「マーブルだって犬のくせに言ってたじゃないか。」
「で、このおっさんが君のファンなら君を大事に思うのは当然じゃないか。」
「おっさんって言わないでください。豊さんは特別なんです。」
「特別?」
俺の疑問に彼女は黙り込む。
それを見たマーブルは深いため息を吐いた。
「スキャンダルだろ、要は。」
「・・・はい。」
「なんでわかるんだよ。」
「でこぺしっ!」
「いだあ!」
肉球から放たれたデコピンに悶えてるとマーブルは彼女の方を向いた。
「それで依頼はこのおっさんから守るでいいのかな?」
「いえ、違います。」
「ほう、なら何を?」
「アイドルの・・・アイドルとしての私を守ってほしいんです。」
地下にあるライブハウスは彼女の所属してるユニットの拠点だった。
マーブルはペットケージに入れられて運ばれている。
控室に入ると、ケージから出たマーブルが最終確認をする。
「君の依頼は、この脅迫文に書いてある『今夜のステージから下りないと殺す。』から守ってほしいってことでいいね?」
「はい。」
「オレたちは舞台袖にいる。何かあったらこいつで君を守る。」
マーブルが鞄からデザートイーグルをチラ見せする。彼女は2度頷くとマーブルはそれをしまった。
「それから、差し出されたものは口にしない様に。いいね?」
「はい。」
衣装に着替えた彼女が、しっかりと頷いてから控室を出て行った。
そのテーブルの上には仲良さそうに映る2人の写真があった。
ステージの上で歌い踊る彼女は間違いなく最強のアイドルだった。
フロアの方に視線をやる。そして疑問。
「なあ、マーブル。」
「どうした。」
「豊さん来てないみたいだぞ。」
「だろうな。」
いつも最前列で応援してくれるんですと、自慢げに話していた彼女が過ぎる。
なんだろうか、この違和感は。
MCの途中、マネージャーが水を配る。
それを見たマーブルは顔色を変えた。
「差し入れだけ警戒していたがその手があったか!」
「お、おい、何のことだよ。」
「こいつを使わなきゃいけない時が来たってことだよ。」
彼女が水を飲む。マーブルはゆっくりと撃鉄を起こす。俺は立ちつくす。
終演の時間は刻一刻と迫っていた。
「みんなーありがとー!!」
外で行われる特典会のためにファンたちは移動する。
アイドル達も移動した。1人を除いて。
「真理愛ちゃん・・・?なんで立ち止まって・・・?」
「豊さん、来てくれたんですね。」
「は?」
「やっぱりな。」
彼女が微笑む。
誰もいないフロアに向かって。
「竹宮豊は、既に死亡している。」
「えっじゃあ・・・。」
「彼女は彼が死んだ頃から幻覚を見せる薬を飲まされてたんだろうな。そして二人は恋仲だった。それを悪用した奴がいる。」
「一体だれが・・・。」
「豊さん。私がアイドル辞めても、昔の私に戻っても愛してくれる?」
彼女は問いかける。冷たい床は答えない。
「今そっちに逝くね。」
彼女が、ステージから飛び降りる。
その瞬間。
パァン――。
音が響いて彼女は床に倒れた。
「真理愛ちゃん!!」
床に真っ赤なバラが広がるように血だまりが広がった。
近寄ったとき、彼女はすでに息をしていなかった。
その銃の腕の良さは誰よりも俺が知っているから俺は黙った。
彼女は発狂することなくアイドルのまま死んだ。
それでよかった。
「一点を除いてな。」
「俺の心読むな。何が残ってるんだ?」
「出て来いよ、おっさん。」
マーブルの声に拍手の音がする。なんだか嫌な予感がして俺も拳銃に手を掛けた。
「いやあ、素晴らしい腕前だね。」
「お前は・・・!」
そこには死んだはずの竹宮豊がいた。
「お前の本性はアイドルオタクの彼氏なんかじゃない。グリーンテゾーロの社員だろう?」
「ご名答。このことは『社長に』報告させてもらうよ。」
「グリーンテゾーロってあの、会計偽装して寺脇園を追い込んだ!?」
「その会社だ。お前らは裏で何をしようとしている!」
「何も?今はまだね。」
「まてっ!」
追いかけようとするマーブルが慌てて俺の頭を掴んだかと思うと思いっきり床にたたきつけた。
そのうえでガシャンという激しい音がする。
照明を撃たれて殺されかけたのに気づくのは顔を上げた後だった。
「彼女はあの照明での事故死ってことになったんだな。」
「マネージャーもグルだったみたいだな。」
彼女の墓前で手を合わせる。
今はまだ、の言葉が頭をずっと回っていた。