可憐な後輩
振り返ると、再び僕は動けなくなった。そこにはセーラー服の少女が一人立っていた。長い髪と長袖の黒いセーラー服が、雪の様な白い肌とスカーフを際立たせている。ぱっちりとした大きな瞳は僕を真っ直ぐとらえて離さない。金縛りにかかった様に動けないでいると、少女は整った顔を笑みの形に変える。春のような温かい笑顔だ。
「先輩、おはようございます」
鈴のような声と会釈の仕草が少女の愛らしさを引き立てる。大切そうに抱えている色とりどりの小さな花々も彼女に合わせるように揺れ動いた。彼女の一挙手一投足が周囲を彩り、先ほどの重苦しさが嘘の様に軽くなった。
動かない僕を変に思ったのか、僕の目を下から覗き込むように彼女が距離を詰める。すると今度はにやりという擬音が聞こえそうな笑みの形に表情が変わった。
「ああ、なるほど! 先輩ったら私に見とれちゃったんですね!」
「いや、まあ、そうだけど……」
彼女につられてどうにか声が出た。目前の後輩こと冬野要さんに初めて話しかけられた時以来の衝撃と動揺。端正な顔立ちに目まぐるしく変わる表情と話題に圧倒されて、相槌を打つこともできなかったことを思い出す。今となっては懐かしくて暖かい思い出だ。
冬野さんが照れくさそうに目をそらす。
「事実とはいえ、そんな直球で言われると照れますね」
その仕草も妙に合っているのが彼女のすごいところだ。
「ところで、その花はどうしたの?」
硬直が解けた僕は、冬野さんが抱えている花に水を向ける。
「――ええっとですね、先輩の机を飾ってあげようと思いまして!」
考え込むような表情を一瞬見せた後、また華やかな笑顔を見せる。花の精だと言われたら思わず信じてしまいそうなくらい可憐な笑顔だ。
「気持ちは嬉しいのだけど、これはもういじめの領域だから……まだ僕は楽しく生きてるから……」
冬野さんは僕の言葉にふふんと胸を張る。小学生かな?
「それもこれも私のおかげですよね! いつもこんな子に会えるなんて幸せ者です!」
自信満々なことには少し納得がいかないけど、事実でもあるのが複雑だ。
「えっと、とりあえず怖いから持って帰ってね?」
机上の花瓶を手渡すと、少しむくれながらも冬野さんは受け取った。なぜむくれるのか。朝からあんな重苦しい雰囲気を味わわされた僕の方こそ怒ってもいいのでは。
「それなら部室に飾るのはどうかな? ね?」
言い聞かせるように提案すると、一転して嬉しそうな顔になった。
「やったー! どこに飾りますかね~」
嬉しげな鈴の音が目の前で鳴るのを見て、少し安心する。彼女は笑顔がとてもよく似合う。
それに折角持ってきてくれた花なのだ。無駄にならない方が良いだろう。
しかし冬野さんがよくわからない行動をするのはいつものことだけど、僕のクラスにまでわざわざ来るというのは珍しい。今年の4月、僕に入部宣言をしに来た時以来だろうか?
花々を花瓶にさして、両手で持ちながらくるくる回る冬野さん。愛らしいけれど何を考えているのかを悟ることはできない。
「わざわざ僕の机を飾り付けるためだけに教室まで来たの?」
と問いかけると、回るのをやめてにこにこ眩しい笑顔をこちらに向ける。太陽か君は。
「そのつもりでしたけど、細かい理由は忘れちゃいました!」
先輩が暗いからですかね~? と失礼なことを言ってのけてもあまり叱る気にならない。我ながら甘いと思う。
「まあいいや。とりあえずまだ時間はあるし、部室に飾ってきたらどうかな?」
「わっかりました!」
ビシッと右手を斜めに挙げる敬礼のポーズをとると、花瓶を両手にとことこと教室外に歩き始める。ほっと一息ついて、鞄を机の上に置く。
――いってらっしゃい。頑張ってね!
幼い子を見守る親のような気持ちで見ていると、彼女は教室を出たあたりで何を思ったのかひらりと振り返り、こちらに戻ってくる。どうしたのだろう?
「何してるんですか! 先輩も行くんですよ?」
「ええっ⁉ どうして⁉」
せっかく寒気から逃げてきたのに!
「先輩が言い出したんですから、当然ですよね? はい、行きますよ~」
左手に飾り立てられた花瓶、右手には僕のコートの袖を持つ。白く細い指から感じる力強さには従う他ない。
柔らかな物腰の割には強引な後輩だった。
机の上の鞄の金具が僕らを見送るようにきらきらと輝いていた。
「やっぱり寒いですよね~」
花を持った後輩と廊下を歩くというのは初めての経験だ。元から華のある後輩ではあるけれど、両手に抱える花々がより冬野さんの明るさを引き立てている。彼女の友人と思しき生徒たちは軒並み話しかけていたし、面識のない生徒たちは遠巻きにちらちらと窺い見ている。花をか冬野さんをか、それとも両方だろうか。そんな子の隣を歩くのは、どことなく居心地が悪い。
そんな僕の気持ちはなんのそので、冬野さんは堂々と行進している。後ろ姿からその表情は見えないはずなのに、機嫌が良いことが伝わってくるのはどんな技術なのだろう。肩口から顔を出す花々もどこか嬉しそうだ。
「冬野さん、どうしてそんなに楽しそうなの?」
「ん~なんとなくですかね? 自分でもよくわかりませんけど、すごく楽しいんです!」
日々を全力で生きている冬野さんらしい、感覚的だけど真っ直ぐな答えだ。
「それにもう少しで冬休みですからね~」
なるほど。学期末テストという壁を乗り越えた高揚感は、冬野さんにも例外なく作用していたらしい。校舎内でなければスキップでもしてしまいそうな姿は、サンタクロースを楽しみに待っている小学生のようだ。
「はい、到着でーす。それにしても久しぶりですねえ」
僕の目の前には「文芸部室」と書かれた紙が貼られているドアと後輩の後ろ姿。彼女は部室の鍵らしきものを取り出している。準備のいいことだ。
「そんなこと言ってるけど、割といつも部室にいるでしょ」
むしろいない日が少ない。活動日じゃなくてもお昼を食べに来ていたりするし。
「それもそうでした」と言いながら冬野さんは鍵をあける。いつもは僕が開けているので新鮮な姿だ。
冬野さんが扉を開けると、本の匂いが僕たちを出迎える。部屋の大きさは教室の四分の一程度。部屋の中心には生徒に馴染みのある机と椅子が四台四脚集まり、奥の窓から入る太陽光に照らされている。左右は大きな本棚に囲まれ、中には数々の本や雑誌、漫画類が置かれていて、部屋の使用者たちの好みの移り変わりが見て取れる。過去の先輩たちが残してくれた宝物だ。
冬野さんは入口で少し考えるように立ち止まると、左奥の机の上に丁寧に花瓶を置いた……その机いつも僕が使っている机なんだけど。
「冬野さんは僕のことが嫌いなの?」
「え、何でですか?」
きょとんとした表情で僕を見る後輩。首を傾げている姿は子犬みたいだ。机の上に花を置く意味をわかっていないのだろうか?
「冬野さん、机の上に花を飾るっていうのは亡くなった人のためにすることだよ。それだとまるで僕が死んじゃったみたいでしょう?」
「た、確かに、言われてみればそうですね……」
「どうして気づかなかったんだろう」とひとりごちる冬野さん。できれば僕の教室に行く前に自分で気付いてくれるとよかったのに。
花瓶を慈しむ様に隣の机に置く。その半分くらいでいいから、僕への気遣いもして欲しかった。
「寒いし、そろそろ自分のクラスに戻ろうよ」
そう提案すると、冬野さんも「そうですね」と応えて出入り口に立っている僕の横を抜ける。ふんわりとしたいい匂いがして、少しドキドキする。
机の上にある花々は冬野さんに感謝するように頭をたれ続けていた。