ヒロト10
「いやあ、なんか、悪いことをしたかなあ」
ガロが頭を掻きながら言ったけれど、ヒロトの中には入って来なかった。熱い血が頭の中でグルグルと回っていた。
「……いや、大丈夫です。真剣勝負なので」
吐き出すようにそれだけ言った。
「飲みものを買いに行ってきます」
ヒロトは会議室の外に出た。
一階のエントランスに置いてある自販機でコーラを買い、一口飲み、それから深呼吸をした。
その時、リキが入って来た。
「オークション、もう終わったんですね。出来レースだから、やっぱ早いですね。決まらない時は途中休憩しながら何十回もジャンケンする時もあって、体力消耗甚だしいけど」
リキは笑いながら近づいて来た。
「いや、それが落札出来なかった……」
「え、なんで?」
驚くリキにヒロトは事情を説明した。
「そうなんだ。たぶんそれは嘘ですよ。ガロさんはそういうことをする人で、みんなから顰蹙買っているんです。まい姐も熱心な推しだから口には出さないけど、内心は嫌がっているのではないかな。評判悪いよ。来週もきっと何事もなかったかのように、しらっとオークションに参加すると思いますよ」
「そんな評判の悪い人なんだ。ガロって本名ですか?」
「そんな訳ないですよ。牙に狼で牙狼。有名なテレビドラマがあるでしょ。そこから取っているんだと思う。あと、まい姐のバイヤーには虎次郎さんもいて。まさに前門のトラに後門のオオカミですね。あ、龍一さんという人もいるんですよ。狼、虎、龍。……猛獣、神獣ぞろいで濃いキャラばかりだな」
リキはケラケラと楽しそうに笑った。
ヒロトは溜息をついた。笑える気分ではなかった。
これまでこういうアクの強い過激な連中とは付き合ったこともないし、そういう奴らと今後も競わなければならないのかと思うとうんざりする。
人と争うのは嫌いである。小さな時から人と意見や考えが違っていたら、すぐに自分を引っ込めて、相手に譲ってきた。
母親からは情けないとか、しっかりしなさいとか、もっと自分を出していいのよと注意されたことが度々あったが、人と争ってまで、自己主張したり、我を通したりするのは、心が消耗して疲れるだけだ。
それほど執着したいことも固執したいものもない。それなら、早々と諦めて、譲る方が楽である。
ファンを止めようかと思った。
それを察したのか、慌ててリキは言った。
「あ、でも、銀縁の眼鏡をかけた丸顔のおじさんがいたでしょ。あの人はまっさんと言って、良い人ですよ。癒し系というか。
あと、メンバーによってバイヤーさんも違っていて、色があるというか。タクさんが好きな茉由さんのバイヤーはイタイ、メンヘラ系の人が多いし、多田さんの推しのみな子さんは年齢が上だしメンバー歴も長いからか、バイヤーも年配の人が多い。
僕の推しのルビたんはギャルだから、女性のバイヤーが多いし、軽いノリの人が多いですね。僕みたいな」
そう言うと、リキはまたケラケラと笑った。
よく笑う奴だ。人の気も知らず、楽しそうに笑うのに、少しムカついた。
「ふーん、そうなんだ。面白いね」
嫌味で言ったつもりだったが、それとは通じず、
「でしょ?ヒロトさんはエリートだから、今まで出会ったことのない人種がいっぱいいますよ」
またケラケラと笑った。
「ヒロトと呼んでくれていいよ。それにタメ口でいいよ」
「ヒロトさんはいくつですか?」
「23です。大学2年だけど、三浪したから」
「それだったら、僕は19なので、やっぱりさん付けで呼びますよ。タクさんとはタメですね。タクさんは大学4年だけど、留年しているから」
リキはまた楽しそうに笑った。
リキの屈託のない無邪気な笑い顔を見ていると、腹を立っている自分が小さく思われ、なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。
残りのコーラを一気に飲み干し、ヒロトは元気よく言った。
「さあ、行きますか。そろそろライブも始まる頃だし」
「おっ、いいですね。行きましょう」
親指を立て、リキは弾むような笑顔で答えた。
ライブ会場に戻ると、30人くらいの客が集まっていた。タクがすぐに気がついて、歩み寄ってきた。
「事情は聞いたよ。大丈夫?」
「うん、全然大丈夫だよ。ありがとう」
多田さんもそばに来た。
「おお、エリート君、今週も来たのだね。楽しもうね」
「ええ、楽しみます」