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八話


「──え?」


 セレスティナは、自分の背後を通り過ぎた女性の悪態をしっかりと耳にしまって自分の耳を疑った。

 自分の目の前にいたフィリップもしっかりとその声を聞いてしまったらしく、苦笑している。


「凄い女性も居るもんだな……」


 フィリップは、女性が出て行った先を見つめながらそう呟くのを聞いてセレスティナは困ったような表情を浮かべる。


 自分の背後で聞こえた鈴を転がすような可愛らしい声から信じられない言葉が聞こえて来て驚いた。

 あんな可愛らしい声でつまらない男だなんて言われるお相手の男性が少し可哀想に思えてくる程だ。

 セレスティナは背中を向けていたから分からなかったが、セレスティナの向かいにいたフィリップはしっかりとその女性の顔を見たのだろう。


「あんなに可愛い顔して言う事は辛辣だな」


 そう呟いて、自分の目の前にあるコーヒーを一口含んだ。


「あら、そんなに可愛らしいお顔立ちをしていたんですか?」

「ん? んー、ああ。まあ確かに可愛い顔はしてたが性格はあまり良くなさそうだな」


 ぽりぽりと自分の頬をかきながら眉を下げてそう言うフィリップに「へえ」と言葉を零してセレスティナはフィリップが話す言葉を聞く。


「自分の容姿が人より優れてるって言うのを自覚していて、思い通りに動かない人間や、男に腹を立てているようだな……しかも手を出されない事を自分に原因があるとは思っていなくて相手のせいにしてる所がどうもなぁ」

「そうなのですか? 手を出されない、と言うのは先程の女性の自尊心を傷付けたと言う事?」


 セレスティナの言葉にフィリップはうんうんと頷くと笑いながら言葉を続ける。


「男は、自分が好きな女性には感情を抑えられない単純な生き物だよ。好きな人から至近距離で見つめられでもしろ。俺だったら即座に手を出してる」


 自信満々にそう言うフィリップに、セレスティナは若干呆れながら言葉を返す。


「……すぐに手を出す、なんて軽薄な行動なのでは? 軽い男の人だと思われてしまうんじゃないですか?」

「誰彼構わず手を出すのは馬鹿野郎だが、好きな人にだけは我慢が出来ないんだよ、男は」


 セレスティナにはまだ早かったかな? とにやにや嫌な笑みを浮かべながらフィリップに頭をぐしゃぐしゃと撫でられてセレスティナは「もう!」と声を荒らげるとフィリップの手をぺしん、と払い除ける。

 昔からフィリップは年下のセレスティナを妹のように可愛がり、時たまこうやって頭をぐしゃぐしゃに撫で回して来るのだ。


「ちょ、フィリップ……! 髪の毛がぐしゃぐしゃになってしまいますっ」

「髪型を気にするなんてセレスティナも大人になったなぁ」


 ははは、と笑いながら未だに自分の頭を撫で続けるフィリップに、セレスティナは抵抗を諦めるとフィリップの好きにさせる事にした。


 そんな仲の良さそうな二人を、個室からの階段途中で足を止め、複雑な表情でジェイクが見つめていた事等知りもしないセレスティナはフィリップと楽しげに時間を過ごした。






 時刻が夕方に差し掛かる頃、フィリップに伯爵邸まで送ってもらいセレスティナは今日ジェイクがフィオナと過ごしていると言う事をすっかり忘れていた。

 これも、フィリップが沢山笑わしてくれたからね、とフィリップに感謝しながらセレスティナは来週からまた始まる「婚約者役」に気合いを入れて臨めるわ。と呟くといつも通り夕食をとり、その日は早めにベッドに横になった。






 翌週、学園へ向かう為いつも通りジェイクが迎えに来てくれるのをセレスティナは伯爵邸前で待っていた。


 先日、従兄弟のフィリップからお礼にプレゼントして貰ったブローチは学園用の鞄に付けさせて貰った。

 可愛らしいカナリアをイメージしたそのブローチを指先でつんつんとつついていると、ジェイクが乗る馬車がセレスティナの視界に入った。

 程なくして、セレスティナの目の前までやってきた馬車からジェイクが扉を開けておはよう、と挨拶をしてくれるのにセレスティナも笑顔で言葉を返すと、ジェイクが自分の手を差し出してくれる。

 ジェイクの手を取るのに一瞬躊躇いを感じた物の、セレスティナは婚約者としては普通の事よね、と納得すると婚約者役としてしっかりとジェイクの手を取り馬車へと乗り込んだ。




 馬車に乗り込んですぐ、セレスティナの鞄に先日までは付いていなかったブローチに気付いたのだろうか。

 ジェイクが不思議そうに尋ねる。


「セレスティナ嬢、それは? この間まで付けていなかったような……」


 ジェイクの視線を辿り、セレスティナは鞄に付いているブローチの事を尋ねられたのだ、と気付くと満面の笑みでジェイクに答える。


「カナリアのブローチなのです。実は、人から頂いたのです、可愛いでしょう?」

「──人から、」


 セレスティナのその言葉に、ジェイクは表情を歪めるとぽつり、と呟いた。


「ええ、そうなのです。お礼で頂いたのですがとても可愛くて気に入ってますの」


 にこにこと嬉しそうに伝えてくるセレスティナに、ジェイクはじっとそのブローチを見つめて、ある事に気付いてしまった。


 先日、セレスティナと一緒に居た男の瞳がカナリアの瞳に使用されている宝石と同じローズピンクであった事を。


「──とても、大事にしているんだな。セレスティナ嬢は」

「ええ、とっても可愛くて素敵なのです」


 にこにこと嬉しそうに笑うセレスティナから、ジェイクは顔を背けると唇を噛んだ。


(やっぱり、あの時セレスティナ嬢と一緒に居た男の事が……)


 ジェイクは自分が勘違いしている事など気付かず、こんな婚約者役を頼んでしまった自分を悔いる。

 もし、セレスティナのクロスフォード伯爵家が困窮していなかったら。

 もし、自分がセレスティナに目を留め婚約者役を申し込まなかったら。

 そうしたら、もしかしたらセレスティナは本当に心から想う人と本当の婚約を結べていたかもしれない。


 自分がセレスティナに婚約者役を頼んでしまったが為に、セレスティナの幸せを潰してしまっている、という事にジェイクは苦しそうにセレスティナに視線を戻した。


(婚約者役を頼んだばかりだが、やはりセレスティナ嬢を解放した方がいいだろうか)


 不思議そうにジェイクを見上げてくるセレスティナのくりくりとした大きな緑色の瞳に見つめられ、ジェイクは開いた唇から声を出そうとしたが、「偽装婚約を辞めよう」という一言が喉に突っかかったかのようになり、発せない。


「どうしましたか? ジェイク様。具合でも悪いのですか?」


 大丈夫ですか? と心配そうに見上げてくるセレスティナに、ジェイクは視線を逸らした。


「──何でもないよ、セレスティナ嬢」


 解放しなくてはいけないのに、ジェイクの唇からはその一言を伝える事が出来ずに誤魔化すような言葉を告げた。


 それならいいのですけれど、とまだ納得していないようなセレスティナにジェイクは自分の胸元をぎゅう、と制服の上から握り締めると心の中でセレスティナに謝罪した。






 学園に着いて、いつもの様にジェイクの手を借りて馬車から降り立つと学園へと二人並び合い、向かって行く。

 以前は周囲からの嫉妬の籠った視線がビシビシとセレスティナに注がれていたが、ジェイクが共に居てくれるようになってその視線も若干緩和された。


(けれど、だからといって完全に油断は出来ないわよね)


 ジェイクと行動を共にしているとは言え四六時中一緒に居るという事は出来ない。

 油断した頃にこの間のように何処かへ連れ出される可能性だってまだあるのだ。


 無事、自分とジェイクが婚約を解消するその時まで油断は出来ない。


(婚約解消した後にまでこの間のような事は起きないわよね?)


 そうなってしまったらジェイクに助けてもらう事は出来ないし、自分の身は自分で守らねばならない。

 セレスティナは解消後の事にまで考えが及んでおらず、不安になって来るが今不安になっていてもどうしようも出来ない。

 セレスティナは隣のジェイクに見えないように拳を握ると気合を入れた。






「セレスティナ嬢、今日は庭園で昼飯を食べよう」

「ジェイク様。分かりましたわ」


 昼休憩の時間になって、セレスティナの席にジェイクがやってくると優しく微笑みながらセレスティナを誘う。

 あれから、本当にジェイクは学園に居る間はしっかりとセレスティナを守るように常に行動を共にしてくれている。


 ジェイクの微笑みに、こっそりと二人の様子を伺っていた同じ教室の令嬢達は見蕩れて頬を染めている。

 そして、見蕩れてぽうっとしていた態度から一変、セレスティナを嫉妬に狂った恐ろしい瞳で睨みつけてくるのだ。

 いつも、昼休憩の時はこのような視線を受けるのが日常となってしまってセレスティナは始めは怯えていたものの、今ではジェイクに微笑み返す余裕まで出てきた。


 二人で今日室を出て、庭園まで和やかに会話をしながら向かう。

 今日は何処で食べましょうか、と話しているとジェイクがセレスティナに微笑みながら唇を開く。


「今日は噴水の近くのベンチで食べようか。あそこは花壇も一望出来るし景色がいいから」

「そうですね、綺麗な景色を眺めながら食べる昼食はきっととても美味しいですね」


 ふふ、と笑い声を零しながら自分の口元に合わせた両手を持って行くセレスティナがきらきらと輝いているように見えて、ジェイクはぼうっとセレスティナを見つめる。


(こんな風に俺にも笑いかけてくれるのか……可愛いな)


 自然とそんな事を考えてしまって、ジェイクはハッとすると自分の口元を押さえた。


 セレスティナの可愛らしい仕草と笑顔についつい自然とそんな考えに至ってしまったジェイクは、自分はフィオナが好きなのに、何故。と大きく狼狽えた。




 庭園に出て、二人がベンチまで辿り着くと他の生徒達もちらほらと庭園で昼食を取っているようで、セレスティナとジェイクは程よく距離が離れた場所にあるベンチに二人して腰を下ろした。


 昼食のお弁当は殆どがセレスティナが用意してくれていて、ジェイクはセレスティナの家の料理人はとても料理が上手いんだな。といつも関心していたが、実はお弁当はセレスティナが毎回自分で手作りしているとは知らない。

 セレスティナは、安価で質のいい食材を自ら仕入れ料理人達と料理を作っている内にいつの間にか料理の腕を上げていた。


 通常、貴族の令嬢は料理等しないのだが、セレスティナの伯爵家は生活に困窮していた事から複数の料理人を雇えずそれぞれが出来る事をしていたのだ。

 セレスティナは料理を手伝い、母は邸の掃除を手伝う傍ら不要な品が無いか屋敷内を探し少しでも家計の足しになる物を売っている。


 自分に刺繍の腕でもあれば良かったのだが、そちらの腕は壊滅的であった。

 だが、セレスティナは自分が作った料理を「美味しい」と言ってくれ、笑顔になってくれるだけで料理が出来て良かった、と教えてくれた料理人に感謝した。


 お弁当の蓋を開けて、ベンチに敷いたハンカチの上にお弁当箱を乗せると、ジェイクにフォークを手渡す。


「今日もどれも美味そうだな」


 笑顔でそう言ってくれるジェイクに、セレスティナも自然と笑顔になる。


 二人で和やかに昼食を取ろう、とした瞬間、二人の近くでぶーん、と何か大きな虫の羽音がした。



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