七話
「ほら、これ。今日は付き合ってくれてありがとうな、セレスティナ」
「──フィリップ……ありがとうございます」
会計が終わったフィリップは、セレスティナに買ったブローチが入ったラッピングされた包みを手渡すと「どう致しまして」と笑う。
自分の婚約者に渡す髪飾りが入った包みを大事そうに懐に入れると、フィリップはさて、と声を出してセレスティナに視線を向けた。
「後は、今令嬢達に人気の喫茶店だったっけ?」
「え、本当に連れて行ってくれるんですか?」
フィリップが勿論! とにこやかに頷いてくれる。
セレスティナは、申し訳ない気持ち半分、喫茶店に行ける嬉しさ半分、表情を綻ばせると再度フィリップにお礼を伝える。
どの店か分からないから案内してくれ、と言うフィリップにセレスティナは満面の笑みで頷くと、こっちです! と言いフィリップを案内する。
奇しくも、その喫茶店はジェイクとフィオナが待ち合わせをした喫茶店と同じ店で、セレスティナとジェイクはお互い気付かないまま同じ店で時間を過ごす事となる。
フィリップが喫茶店のドアを開けると、扉の上部に付けられた来客用のドアベルがチリン、と高く澄んだ音を立てる。
来客に気付いた店員がフィリップとセレスティナに近寄ると、「二名様ですか?」と声を掛け二人が頷くと席へと案内する。
時刻は午後を少し回った所であるが、軽食しか扱っていない喫茶店の店内には若い男女が多くどうやら婚約者達のデートの場として繁盛しているようだ。
周りを視線で見回したフィリップが関心したように唇を開いた。
「今はこんな小洒落た喫茶店で婚約者達は会っているんだな」
「ええ、そうですよ。落ち着いた雰囲気で、婚約者とゆったり時間を過ごせるからとても人気なのです」
セレスティナの説明を聞いて、フィリップは「俺が学生の時はこんなお洒落なデートなんてしてなかったなぁ」とボヤきながら席に着いた。
「そんなに年齢が変わらないのに、一、二年で流行は変わるんだな」
「フィリップが学生の頃はどんなお店が流行っていたんですか?」
「そうだな、俺の時は──」
何でもない世間話をフィリップと楽しみながらセレスティナは周りに視線をやった。
そうすると、チラホラと学園で見掛けた事がある学生の顔も見受けられる。
セレスティナが見ている事など気付かず、令嬢や令息は自分の婚約者に夢中らしく、誰もセレスティナに気付いていないようだ。
セレスティナは、まさか同じ店にジェイクがいるとは思いもよらずフィリップと笑い合いながら食事を楽しんでいた。
場所は変わって喫茶店内の個室では、フィオナと落ち合ったジェイクは二人だけの時間を楽しんでいた。
隣同士で並び合い、ジェイクの腕にフィオナは自分の腕を絡めて寄り添っている。
「フィオナ嬢、名残惜しいが日が暮れる……もうそろそろフィオナ嬢は家に帰らないと」
「あっという間に時間が過ぎてしまって悲しいですわ」
自分の腕に擦り寄ってくるフィオナに、ジェイクは頬を緩めるとそっとフィオナの頭を撫でてフィオナを抱き寄せる。
(先程までのもやもやとした気持ちもフィオナ嬢と会って、話していたら消し飛んだ……やっぱり俺はフィオナ嬢が好きなんだな)
ジェイクは、先程まで抱いていた不快な気持ちが綺麗さっぱり無くなっている事にほっと安堵すると擦り寄ってくるフィオナをぎゅっと抱き締める。
自分の腕の中から瞳を潤ませて見上げて来るフィオナにジェイクは気が付くと頬を染めてフィオナを自分からべりっと引き剥がした。
「──っ、さあ早く帰ろう。俺達が一緒に居る姿を見られると不味い……フィオナ嬢が先に個室を出ていった方がいい」
「──分かりましたわ、ジェイク様」
フィオナは少し残念そうに唇を尖らせてそう言うと、座っていたソファから腰を上げて入口に向かう。
扉に手を掛けると、ジェイクを振り向いてもう一度ジェイクに駆け寄ると、フィオナはジェイクに抱き着いた。
「フィオナ嬢?」
「……また、次の週末までジェイク様とこうして触れ合えなくなるから充電です」
抱き着いて来たフィオナを咄嗟に抱き締め返しながらジェイクが不思議そうな顔をすると、フィオナが悲しそうににこり、と笑う。
その表情にジェイクは申し訳なさそうに眉を下げると唇を開いた。
「きっと、きっと……堂々と一緒に過ごせるようにするから」
「はい、ジェイク様」
二人はもう一度強く抱きしめ合うと、今度こそフィオナはジェイクに手を振って個室を出て行った。
フィオナが扉から姿を消してから、ジェイクは喫茶店を後にするフィオナの姿を個室から見ようと窓際へと歩いて行った。
この個室は喫茶店フロアの二階にあり、階段下にあるフロア内、店内を見渡す事が出来る。
壁際の大きな窓からは貴族街の景色も眺める事が出来るため、夕方から夜になると夜景を楽しむ為に予約が一杯になってしまう程だ。
夜遅くまで令嬢と共に居るのは外聞が悪い。
その為にジェイクは昼過ぎのこの時間を狙って予約を取った。
比較的予約が取りやすい時間帯の為、フィオナとの時間をゆっくり過ごせて良かった、と思いながら何の気なしにジェイクは階下の店内へと視線を向けて、そして自分の瞳がショックに見開く。
「──セレスティナ嬢……!?」
悲しげに小さく漏れ出た自分の言葉が自分しかいない個室内に響く。
先程、宝石店へと姿を消したセレスティナが今度は仲良さそうに男と喫茶店で一緒の時間を過ごしている。
ジェイクは自分の視界に入ってきたセレスティナの姿に信じられない物を見た、とでも言うように悲しげに視線を細めるとじっとセレスティナを見つめてしまう。
楽しそうに男に笑いかけるセレスティナの表情を見て、ジェイクは何故か自分の胸がきゅう、と軋むような痛みを覚える。
「さっきまでフィオナ嬢と居たのに……」
フィオナと共に過ごし、ふわふわとした幸せな気分だったが、セレスティナを見掛けてその気持ちが一瞬で霧散する。
自分には、あんな風に屈託なく笑いかけてくれた事はない。
いつも「作った」ような笑顔で自分を見上げてくるセレスティナ。
婚約者役として自分の役目を全うしようとしている姿勢。
始めはセレスティナのその態度にとても助かったのだ。
周りの令嬢達のように自分を見つめる瞳に熱がなくて安心した。
家の為、しっかりと自分の役割を自覚してジェイクにとって有難い程婚約者役を演じてくれている。
だけど、それが今では面白くない。
「──面白くない、と感じているのか俺は……?」
ジェイクは自分の額に手のひらを当てると何故? と考え込む。
セレスティナはしっかりと自分の役割を果してくれているではないか。もし、自分に言い寄られてもフィオナが居るのだから困る。絶対にフィオナ以外の女性の気持ちに応える事が出来ないのに、面白くないと感じてしまった自分に嫌悪感を覚えた。
「──つっまらない男ね」
フィオナは、個室から出た後階段を降りながら一階に辿り着くと店の出口へと向かう。
折角個室で、周りの目を気にせずべたべたと甘える事が出来たのに肝心のジェイクは自分にちっとも手を出してこない。
「この学園にいる時だけの恋人ごっこなのだからさっさと手を出して欲しいわ」
フィオナはばさり、と自分の艶々のピンクブロンドの髪の毛を払うとカツカツと自分の足音を苛立たしげに立てながら店の入口へと向かった。
(やっぱり、女性慣れしていない男は面倒くさいわね。顔はいいけど奥手だし……結婚まで手を出さないって言うのを美徳だとでも思ってるのかしら)
フィオナからしたら、目の前にいい女がいるのに手を出さない男等ただの腑抜けだと思っている。
(何も抱け、と言っている訳じゃないわ。キスの一つくらいしなさいよね。いい雰囲気を作ってやったのに!)
フィオナは苛立ちながら店から出ていくと、背後から店員の「ありがとうございました」と言う言葉を背後に聞きながら自宅へと帰って行った。