二十七話
ガタン、と音がして馬車が伯爵邸に到着した事を知ると、繋いでいたジェイクの指先に力が籠る。
「降りようか、セレスティナ。玄関まで送るよ」
「はい。ありがとうございます、ジェイク様」
馬車から降り立って二人並んで歩きながら邸の玄関まで向かう。
「うちの邸がもっと敷地が広ければ、玄関までの距離も遠かったのに……」
「はは。それは仕方ない」
どうしようも無い事を話しながら歩いて程なく、玄関前に到着してしまう。
二人はじっと視線を交わらせると、ジェイクが唇を開いた。
「──明日から、少しの間離れてしまうけれど、待っててくれ」
「はい」
「二年、約束の二年が過ぎたらすぐに迎えに行くから……その時はここに口付けさせてくれ」
「──はい」
とん、とジェイクがセレスティナの唇に自分の指先を当てると、そっと自分の唇にその指先を持ってくる。
最後にジェイクはセレスティナの腕を掴んで強く引き寄せると、ぎゅう、と力一杯抱き締めた。
「また、二年後に」
「はい、待ってますね」
少しの間抱き締め合っていたが、ジェイクは体を離すと、馬車に向かって歩き出す。
最後に一度セレスティナに振り向いて手を振るジェイクに向かって、セレスティナも笑顔でジェイクに手を振り返した。
翌日は、雲一つなくとても晴れていて、セレスティナは自室の部屋の窓からじっと空を見上げていた。
もう既に、ジェイクは侯爵邸を出て騎士団へ入団の為に向かっているだろう。
当日である今日は、元々ジェイクから見送りは断られていた。
会ってしまうと、離れ難くなってしまうからと言われセレスティナは自室からジェイクを想う。
二年間。
言葉にしてしまうととても少ない文字数だが、セレスティナとジェイクには途方もない時間だ。
あれだけ、学園では共に過ごし二人はいつも行動を共にしていた。
それが、今日からは全くと言っていいほどなくなってしまう。
そればかりか、顔を見る事も声を聞く事もなくなってしまうのだから不安になるのは仕方ない事だ。
「騎士団の訓練所にはいつもご令嬢方が見学に来られているみたいだけど……ジェイク様が人気になってしまったらどうしよう……」
学生の時ですら周りの令嬢達から騒がれていたジェイクだ。
騎士団に入団し、体を鍛え、逞しくなっていくジェイクに惚れ込んでしまう令嬢もいるかもしれない。
勿論、セレスティナは訓練所に顔を見に行く事は禁止されている為騎士としてのジェイクがどんな風に訓練をし、過ごしているのかを知る事は出来ない。
何かずるいなぁ、とセレスティナは考えてしまうがそれもこれも自分達がそれだけの事をしてしまった罰なのだから仕方ない。
セレスティナは窓の側から離れると、朝食を取るために食堂へと下りて行った。
朝食の席では、敢えて普段通りを装い両親に心配をかけないように過ごした。
セレスティナの両親は、心配するようにセレスティナに視線を向けるがセレスティナは笑顔でその視線に気付かないふりをする。
これから二年間、やる事は沢山ある。
兄が帰ってくるまでの間、少しでも領地の助けになるよう、父親から領地経営を教えてもらい学び、実家の伯爵家が没落してしまわないように少しでも手助けをしないといけない。
そして、ジェイクと会う事が許される二年後、ジェイクと生活をする為に必要な本格的な家事や、稼ぎ方を少しでも学ばなければいけない。
父親、ルーイドもセレスティナとジェイクが暮らしやすいように、と兄がいつ帰るか分からない為、ジェイクを婿養子として迎えようか? と提案してくれたが、それでは兄が帰ってきた時に大変な事になる。
一時だけでもジェイクがセレスティナの婿として伯爵家に入ってしまえば、伯爵位を継ぐ予定だった兄と変な関係になってしまう可能性も出てきてしまう。
だから、セレスティナは当初の予定通りジェイクと慎ましい生活を送るつもりで様々な事を覚えて行った。
いつかきっと自分達の生活の糧になると思いながら学ぶ事は楽しく、また今までも没落寸前だった事から自分の事は最低限自分でやらなければいけなかった為、学ぶ事も貴族令嬢でありながら家事が出来ると言う事も苦ではなく、恥でもない。
そうして、セレスティナは時折送られてくるジェイクからの手紙に返事をし、頻繁ではないが自分の言葉でジェイクとやり取り出来る嬉しさに、この二年間を何とか乗り越えたのであった。
頻繁では無いが、何度も手紙をやり取りしている内に、騎士団で生活するのは最初は相当大変だった事が分かった。
決してジェイクは弱音や愚痴めいたものをセレスティナの手紙には書かれていなかったが、「今日はこういった仕事をした」「今日は一日中訓練してた」と言う言葉から想像するに、騎士を目指していたとは言え、まともに体を鍛えていなかったジェイクは、入団当初は相当努力し、苦労しただろう。
手紙のやり取りをして半年経った頃からは遠征任務に参加する事が増え、ジェイク自身も忙しかったのだろう。元々少なかった手紙のやり取りが更に少なくなって行った。
だが、任務が終わり遠征から帰還すると、必ずジェイクからは帰還の知らせの手紙と一緒に、その地域のお土産を贈られて来ていたので、その手紙が届く度にセレスティナはまだ自分の存在が忘れられていないんだ、とほっとした。
ジェイクが騎士団に入団して一年。
約束の期間が半分程過ぎた頃から、王都の令嬢の間で「騎士団に所属している男性でとても見目の麗しく、男らしい騎士がいる」と噂になっていた。
どうやら、噂をされているのはジェイクらしく、また仲の良くなった同じジェイクの騎士仲間達も見目が整っているらしくセレスティナの耳には毎日ジェイク達の噂話が入ってくる。
騎士団の訓練を見に行く令嬢も増え、その頃にはジェイクには実は婚約者がいるらしい、と噂されていたが、騎士団の訓練にも姿を表さない婚約者は、あまりジェイクとの仲が良くなくて、実は婚約破棄目前なのではないか? と噂が一人歩きし出していた。
「──っもう! やっぱり思った通り……っ」
セレスティナは自分達の婚約が勝手になくなった物として世間では噂されているのを知り、大いに憤ったが、確かに騎士団に所属しているジェイクの前に一度も姿を表さない婚約者であれば、自分だって仲が悪いのだろう、と誤解する。
会いに行けないのは仕方ないのだが、最近ではジェイクにあからさまにアピールする令嬢も増えてきているらしい。
ジェイクからの手紙にはそんな気配が微塵も感じれず、のほほんとした内容ばかりだが、セレスティナは気が気では無かった。
これでいざ、二年後となって、ジェイクに振られでもしたら自分は立ち直れなくなるような気がする。
「そうなったら、もういいわ……結婚なんて二度と夢見ないわ」
ジェイクの気持ちを疑っている訳ではないが、令嬢達に自分の婚約者がきゃあきゃあと騒がれていればやはり心配はするし、不安にもなる。
もやもやとした気持ちを晴らすようにセレスティナは、一層残りの期間を勉学に集中する事にして、何とか乗り切った。
そうして、意外とあっという間に時間が過ぎて、約束の期間が終了する。
五日後には、約束の二年が終わりジェイクとの接触禁止が解かれる日となる。
ひと月も前からジェイクからの手紙にはこの約束の日は休暇を取っているから、セレスティナに会いに行く、と連絡が来ていた。
午前中にクロスフォード伯爵家に伺う、と書いてあったが、ジェイクと離れる日には見送りが出来なかったのだ。
「──この日、朝早くジェイク様が居る騎士団の宿舎前に行っちゃおうかしら」
セレスティナは悪戯を思いついた子供のように瞳を輝かせると、そうだ、そうしよう! と決めた。
朝早くから馬車で向かい、宿舎前で待機していればすれ違う事はないだろう。
「そうね! そうと決まれば、お父様に報告して馬車の手配をしないと……!」
セレスティナはうきうきとしながら、足取り軽く父親が仕事をしている書斎に向かうと、自分の考えを父親に告げた。
「そうか、二年間良く耐えたのだから、そのまま二人で湖畔にでも遠出して来てもいいぞ? 落ち着いた雰囲気で会えなかった分話す事もあるだろう」
「いいのですか!? お父様っ」
父親から、そのまま遊びに行ってもいい、と許可を貰ったセレスティナは大急ぎで当日の持ち物に軽食を用意してもらう事を厨房へ伝えに行く。
この二年間、セレスティナが父親の仕事を手伝い、学んだ事を活かして来た為没落寸前だったクロスフォード伯爵家は、未だ苦しい生活ではあるが、以前のように没落しかけてはいないし、使用人を雇う余裕も出た事から、料理人を増やす事が出来た為セレスティナは料理人へ軽食を頼むと、当日馬車内に持ち込む荷物を頭の中で考える。
湖畔に行くのならば、敷き布も必要だし、軽装だとまだこの時期は寒いかもしれない。
軽く上に羽織るストールのような物も用意しておいた方がいいだろう。
セレスティナは、約束の日までの間、馬車の座席下に当日の荷物等を弾む気持ちでしまいこんでいった。
そして、準備に忙しくしている間にあっという間に当日がやって来た。
セレスティナは、早朝に起きると、無理を言って用意してもらった軽食の入ったバスケットを大事そうに両手に抱え、料理人にお礼を伝えると駆け足で馬車へと向かって行く。
今までは、ジェイクが迎えに来てくれていたのを待っていたセレスティナだったが、今日は自分がジェイクを迎えに行くのだ。
宿舎から出てきたジェイクは、自分の姿を見て驚くだろうか。
それとも笑ってくれるだろうか。
「ジェイク様にお会いするのが久しぶり過ぎて、とても緊張するわね……」
ドキドキと弾む自分の心臓に手を当てて、セレスティナはきゅっと瞳を閉じる。
手紙ではいつも元気で過ごしているよ、と書かれていたが、大変な事もあっただろう。辛い時もあっただろう。
今日一日はお互い会えなかった期間、何をしていたかどんな風に過ごしていたか、沢山話したい。
セレスティナは期待に鼓動を速める自分の心臓に手を添えたまま馬車に乗り込み、馬車が動き出すのをじっと待った。