二十三話
午前中の授業をサボってしまい、午後の授業から戻ったセレスティナとジェイクだが、二人が何処かで逢い引きをしていたのでは、と周囲から思われているようでヒソヒソと噂をされている。
実際二人で会っていたのは本当なので、否定も出来ずセレスティナはヒソヒソと噂される現状に恥ずかしさを感じてしまうが、ジェイクは何も気にしていないように今までと同じ態度でセレスティナに接している。
フィオナにああ言われて、それでもセレスティナとジェイクが今までと関係が変わらなければ何か動いてくるだろう、とはジェイクの言葉だ。
恐らくフィオナはセレスティナに話した言葉から、セレスティナとジェイクの関係が壊れると思っている。そして、セレスティナを好きなジェイクを傷付け、自分の元に繋ぎ止めようとしていたはずである。
フィオナは卒業までジェイクを自分に繋ぎ止め、その後卒業と同時にジェイクを手酷く振るつもりなのだろう。
だが、そうしてやろうとしていたがセレスティナとジェイクが別れる気配を見せなかったらフィオナはどう動くのか。
何か、罰せられるような何かを仕出かしてくれればいいのだが、とジェイクは考えていた。
出来れば、自分の思い違いで迷惑を掛けてしまったから波風立たせずそのまま別れたいが、セレスティナに危害を加えようとしているのであれば致し方ない。
「──ジェイク様、本当にレーバリー嬢は動いて来ますかね?」
「ああ、恐らく……。セレスティナよりも、俺に接触してくる可能性が高いだろう……。どう動くつもりか分からないが……この噂を耳に入れればフィオナ嬢も腹を立てるとは思うからな」
ジェイクは、自分の目の前で諦めたように自分に体を預けるセレスティナに話し掛ける。
場所は、学園内の講堂。
授業の一環で、環境の講義があり講師の話を聞く授業だが、ジェイクはセレスティナを自分の足の間に座らせて背後から抱き締めていた。
講堂の後ろの席で、授業の邪魔をするでもなく大人しく講師の話を聞いている為、特に注意される事もなく、二人はその格好のまま授業に出ていた。
セレスティナとジェイク二人の様子を、周囲の生徒達は恥ずかしそうに頬を染めてちらちらと視線を向けて来ている。
「──恥ずかしいから、早くレーバリー嬢が動いてくれるといいのですが……」
「そうだな。だけど俺はこうやってセレスティナとくっついていられるから嬉しいけど」
「っ、こんな風にジェイク様と過ごしていたら心臓がいくつあっても足りません……っ」
ぷりぷりと頬を膨らませて恥ずかしさを誤魔化そうとしているセレスティナにジェイクは破顔するとセレスティナの肩に自分の額をぐりぐりと押し付ける。
「あー……もう、ほんとかっわい……」
「ジェイク様っ、擽ったいからやめて下さいっ」
こそこそと話す二人の声は小さく、周囲の生徒達の耳には届かない。
周囲からは二人が人目も憚らずいちゃいちゃとしているように見えるだろう。
だから、存分に噂をして、フィオナの耳に届けばいい。
そして、怒りのあまりボロを出してくれればいいんだ。
ジェイクはそう考えると、更にセレスティナをぎゅう、と強く抱き締めて仲睦まじく午後の授業を過ごした。
放課後。
全ての授業が終わり、帰宅の準備をし終わったジェイクはセレスティナの元へと向かう。
二人は午後の授業全てを寄り添いながら受け、周囲へ今まで以上に自分達の関係を印象づけた。
きっと、放課後の今はフィオナの耳にも自分達二人の噂は届いているだろう。
ジェイクはセレスティナに声を掛けると、二人で手を繋いで教室を出て、馬車へと向かう。
当日に何か行動を起こしてくるかと思ったがフィオナはまったくと言って良いほど二人の前に姿を見せる事無く、馬車へ向かう道すがらも姿を見せなかった。
(週明けに、何か動くつもりか? まあ、今日は思う存分セレスティナに触れれたから俺は役得だったけど)
ジェイクはちらり、と自分の横を歩くセレスティナに視線を向ける。
セレスティナは、今日の午後の授業の間中ずっとジェイクから暑苦しいほどの愛情を与えられ続け、些かゲッソリとしているようだ。
(まだ、全然足りないのに……これだけの触れ合いで疲れてしまうとは……)
ジェイクは苦笑すると、馬車の前に辿り着いた事からいつものようにセレスティナに手を差し出し馬車へと乗り込まさせる。
セレスティナが乗り込むのに続き、自分も馬車へと乗り込むと伯爵邸に到着するまでの間、再度馬車内で思う存分セレスティナと触れ合い、伯爵邸へと到着した頃にはげっそりと疲れたような表情になってしまったセレスティナに、ジェイクは笑い声を上げると、翌日の休日、セレスティナを自宅の庭園に誘う。
「セレスティナ、もし良ければ明日うちに来ないか? 庭園を気に入ってただろう? 庭園を散策してもいいし、温室でゆっくりお茶を楽しむのもいいし……休みの日もセレスティナと会いたい」
「──うっ、わ、分かりました……私も、その……ジェイク様と共に過ごせるのは嬉しいです。お伺い致します」
「良かった! そうしたら、午前中に迎えに来るよ。昼食もうちで食べて行ってくれ。夕食前には送り届けるから」
ジェイクが嬉しそうに笑うと、セレスティナの頬に唇を落として笑顔で去っていく。
「──……っ」
セレスティナは、今日一日で様々な事が起こりすぎて、頭がパンクしてしまいそうな程混乱しながら、去って行くジェイクにそっと手を振った。
午前中、フィオナと話した時はジェイクとのこの関係を終わらせるつもりだったのに。
それが関係が終わらず、それだけでは済まずジェイクから告白までされてしまった。
憎からず想ってしまっていた相手だ。
告白が嬉しく無いわけがなくて、セレスティナは馬車が完全に伯爵邸から姿を消すと、真っ赤に染まった自分の頬を両手で押さえてその場に蹲ってしまった。
翌日。
午前中にセレスティナは出掛ける準備をして、ジェイクの訪れを待っていた。
訪問用の少し綺麗めなドレスを着て、一息ついた所で、使用人からジェイクの訪れの知らせがやってくる。
セレスティナはその声に返事をして急いで玄関へと向かうと、階下には見慣れた姿のジェイクがいて、セレスティナが姿を表した事に気付くと、ぱっと表情を綻ばせて笑顔になる。
「──セレスティナ……! 迎えに来た。行こうか」
「はい、ジェイク様」
昨日、ジェイクの口から自分への気持ちを告げられてから。
何だかジェイクは吹っ切れたように思える。
以前も距離は近かったが、それでも何処か不必要に触れ合ってしまわないよう、細心の注意を払っているように見えたが、今のジェイクは自分の気持ちを隠す必要が無くなったからか、ジェイクからの視線がとても甘ったるい空気を纏っているし、ジェイクから触れられる指先からも気持ちが溢れていてセレスティナはその感情を向けられる度、触れられる度にどうしても恥ずかしい思いが拭えず、ジェイクに冷たい態度を取ってしまう。
今も、ジェイクから差し出された手のひらに自分の手のひらを乗せて馬車までをエスコートされているが、セレスティナが乗せた手のひら、手の甲をジェイクの指先が何度も愛おしそうになぞっていて、こそばゆい気持ちになってしまって頬を染めながら必死にジェイクから視線を逸らす。
(こ、こんなにレーバリー嬢はジェイク様から甘ったるい態度を寄越されていたのかしら……? ジェイク様は勘違いだった、と言ってはいるけれど、二人で逢瀬を楽しんでいた事もあったのよね……?)
「セレスティナ、足元気を付けて」
「あり、がとうございます」
ジェイクから手を差し出されてセレスティナが馬車のステップに足を掛けると、セレスティナが馬車に乗り込んだ後、続けてジェイクも馬車に乗り込む。
セレスティナの隣に腰を下ろしたジェイクは、馬車の御者に「出してくれ」と声を掛けると馬車が動き出す。
これから、ジェイクのカートライト侯爵家に到着するまでの少しの間、ジェイクと二人きり、と言う事にセレスティナは緊張で体を強ばらせるが、その様子を見ていたジェイクは声を顰めて笑うと、そっとセレスティナの腰に自分の腕を回して引き寄せると幸せそうに微笑む。
「ジ、ジェイク様…?」
「んー……。こうやってセレスティナと寄り添って二人の時間が取れる事が嬉しい……。昨日、あのままフィオナ嬢の言う通りにしてしまっていたらこうやって幸せな時間を過ごす事が出来なかったんだな、と考えると感慨深いと思ってな……」
ふふ、と微かに笑い声を漏らしながら、セレスティナの頭にジェイクは自分の頬をすりすりと擦り付けると侯爵家までの馬車の道すがら、セレスティナを抱き寄せて幸せな時間を過ごした。
馬車が侯爵家に到着して、ジェイクの手を借りて馬車を降りると、侯爵家の庭園へとエスコートされる。
今日、セレスティナが侯爵邸に来る事を予め知らせていたのだろう、庭園には庭を一望出来る箇所にジェイクとお茶の時間を楽しめるようにテーブルとティーセットの準備がされており、恐らく温室内にも同じような用意がされている事が伺える。
「セレスティナ、寒くはないか? もし寒さが気にならなければ、少し庭園でお茶を楽しもう?」
「ええ、大丈夫です。私もこの素晴らしい庭園を間近で眺めたかったので嬉しいです」
セレスティナの言葉を聞いて、ジェイクは嬉しそうに笑うと、セレスティナの手を引いてテーブルへと歩いて行く。
椅子の背を引き、セレスティナを先に座らせるとジェイク自身も席に着く。
二人が椅子に腰を落ち着けた所で、タイミングを見計らっていたように侯爵家のメイドがワゴンを引いて来て、軽食やデザートをテーブルの上にセッティングして行く。
その後、ティーカップに紅茶を淹れると、一礼してテーブルから去っていく。
セレスティナはその姿を目で追いながら、流石侯爵家に雇われているメイドだわ、と手際の良さと優雅さに感心した。
我が家のクロスフォード伯爵家は、困窮しているせいか、使用人も必要最低限しかおらず、セレスティナ含む家族全員がなるべく自分で出来る事は自分で行う、といった精神で育ってきた。
その為、給仕はいるがこんなに穏やかで貴族然としたお茶の時間を楽しんだ事は数えるくらいしかないのだ。
(ま、マナーは大丈夫よね?)
セレスティナはドキドキとしながらジェイクに進められるままカップに唇を付けると、こくり、と一口紅茶を飲み込む。
ふんわりと鼻腔を擽る紅茶のいい香りと、舌触りが滑らかで後味が甘い紅茶に、セレスティナはうっとりと瞳を細めると「ああ、これが貴族なんだなぁ」と漠然と思う。
名門であるカートライト侯爵家の次男であるジェイクと、没落寸前の名ばかりのクロスフォード伯爵家。
今回、ジェイクから声を掛けられていなかったらお互いは決して相容れない間柄だったんだ。
と、セレスティナは改めて実感する。
「──セレスティナ……? 何か良くない事を考えていないか?」
セレスティナの僅かな感情の機微すら見逃さないようになってしまったジェイクが、セレスティナの頬にそっと自分の指先を滑らす。
「え、いえっ。何も考えていないです…っ」
「──本当に? ……何だか良くない表情をしていたから──」
ジェイクがそっとセレスティナの頬をなぞるように自分の指先で触れたその時。
二人が馬車を止めた侯爵邸の門の方向から何か慌ただしく人が話す声と、複数人の足音が聞こえる。
「──なんだ?」
ジェイクが不思議に思い、門の方向へと視線を向けて、一拍後。
驚きに目を見開くのを見て、セレスティナもそちらへ視線を向ける。
「あ……っ」
向けた視線の先で、女性だからか、強く止める事も出来ず、侯爵家の使用人達はおろおろとしながら、セレスティナとジェイクがいる方向へと一直線に歩いて来る女性を必死に声を掛けて静止している。
だが、こちらに歩いて来る女性は、使用人の静止の言葉など気にもとめずお互い顔が見える範囲まで歩いて来ると、その場でピタリと足を止めた。
セレスティナは、唖然とした表情でぽつり、とその女性の名前を信じられない思いで呟いた。
「レーバリー嬢、何故ここに……」