十七話
──本当に、もうそろそろ駄目だ。
セレスティナは自分の胸がドキドキと早鐘を打つのを感じながら、そっと自分の視線を足元へと落とした。
勘違いしそうになる。
ジェイクはただ単に、婚約者役である自分に贈り物をしただけ。
仲睦まじく見えていないと、周りを騙せない。
フィオナとの恋愛の隠れ蓑になれないから、ただ単に優しくしているだけだ。と、自分に言い聞かす。
早く、これ以上勘違いしてしまう前にジェイクから離れてしまいたい。
(だって、結局ジェイク様は卒業後はレーバリー嬢と婚約、結婚するのだから)
自分は契約金欲しさにジェイクの話を受けたのだから、こんな気持ちを抱くのが間違っているのだ。
(両家で話をしたばかりだと言うのに直ぐに別れる、と言ったら両親は怒るかしら……)
ジェイクは、先程のカフェではこの契約の終了期間の話はまた今度、と言う事に落ち着いたがやっぱりそれでは駄目だ、とセレスティナは考える。
ジェイクは会計が終わり、セレスティナの方へと歩いてくると、何か考え込んでいるようなセレスティナに不思議そうな顔をする。
「──セレスティナ? どうした」
「へ、っいいえ、何でもないです!」
この件に関しては邸に戻った後にゆっくり考えよう、とセレスティナは目の前のジェイクに視線を戻すと、ジェイクもセレスティナに微笑み掛ける。
先程と同じように、ジェイクはセレスティナの腰を抱くと、店を出て行く。
「セレスティナ、これ。受け取ってくれ……」
店を出て、ジェイクがセレスティナに向き直ると先程購入した硝子ペンの包を手渡してくる。
ジェイクと同じ瞳の色をした硝子ペンが入ったその包を、セレスティナはジェイクの顔と、包とを交互に見つめるが自分の為にジェイクが購入してくれたのだ。
そのジェイクの気持ちは確かに嬉しいし、婚約者、としては断るのはおかしい。
「──あり、がとうございます。大切に使いますね」
「ああ、俺も大切に使うよ」
ふわり、と本当に嬉しそうに表情を綻ばせるジェイクに、セレスティナは困ったように眉を下げて笑うと貰ってばかりだと申し訳ないな、と考える。
「何か、お礼をしたいのですが……あまり高価な贈り物は出来ないですし……」
「いや、俺はお礼が欲しくてセレスティナに贈った訳ではないから、気にしなくていいんだ」
「ですが……うーん、ジェイク様が喜んでくれそうな事……」
ぶつぶつと歩きながら考えるセレスティナに、ジェイクは苦笑しながらセレスティナの顔を見つめる。
本当に、お礼が欲しい訳ではない。
ただ単にジェイクは、自分の瞳の色の何かをセレスティナに贈りたかっただけだ。
先程の男と同じ瞳の色をしたカナリアのブローチがセレスティナの学園用の鞄には付いている。
それがジェイクは面白くなくて。
セレスティナには自分の瞳の色の物を持っていて欲しい。
そして、使う度に自分を思い出して欲しい、といった少しばかりの下心も入っている。
(ああ、本当に早くフィオナ嬢との事をどうにかしないと……セレスティナがあの男にとられてしまう……)
二人は、まだ時間があるから、と貴族街にある時計塔へと赴いていた。
展望台も兼ねたその時計塔は、婚約者達の逢瀬の場所としてとても人気の場所だ。
高い時計塔からは、街並みを一望出来て夕方に差し掛かる今の時間帯は、夕日が海に沈む景色も眺める事が出来てとても美しいだろう。
二人が上昇機に乗り込むと、ちらほらと家族連れや、他の婚約者同士も乗り込んでくる。
「──わ、」
「セレスティナ、こっちに」
大人数が乗れるような広さの物ではない為、十人前後乗り込むとぎゅうぎゅうになってしまう。
ジェイクは、人に押し潰されてしまわないようにセレスティナを自分の方へ引き寄せると、壁際に立たせてセレスティナを潰さないように守る。
「あ、ありがとうございますジェイク様……」
「いや、こっちこそこんなに人が乗り込んで来るとは思わなくて……すまない」
余りの距離の近さに、セレスティナはジェイクから視線を逸らす。
ジェイクが腰を折れば簡単に自分達の顔が触れ合ってしまいそうな距離感に、セレスティナは必死に頬が熱を持ってしまいそうになるのを耐える。
ジェイクは、壁際に付いた自分の両肘の間にあるセレスティナの頭頂部をじっと無言で見下ろす。
ここまで、近付いたのは初めてかもしれない。
ほんの少し自分が腰を屈めれば容易くセレスティナの唇を奪ってしまえそうな距離だ。
ジェイクは、湧き上がる邪な感情を必死に抑えながら、上昇して行く機械の揺れに瞳を閉じた。
上昇機が最上階まで昇りきったのか、ガタン、と一度大きく揺れると乗り降りする扉が開く。
「──わぁ…!」
セレスティナは、ジェイクと共に外へと出ると眼前に広がる光景に感嘆の溜息を零す。
夕暮れに近付いているからか、太陽のオレンジの光が街並みに掛かりとても美しい光景を作り出している。
「セレスティナ、風が強いから羽織っていてくれ」
「──ぁ、ジェイク様申し訳ありません。ありがとうございます…!」
ジェイクは自分が着ていたコートを脱ぐと、セレスティナに羽織らせる。
時計塔は高所にある為、風が強く日が暮れて来た今の時間は少し肌寒い。
ジェイクはセレスティナに羽織らせた自分のコートが落ちてしまわないようにセレスティナの肩を抱き寄せると隣に寄り添う。
キラキラと瞳を輝かせて嬉しそうに微笑んでいるセレスティナを横目で眺めながら、ジェイクも幸せそうに笑う。
(──あぁ、その笑顔が見たかったんだ)
セレスティナとジェイクの間に会話はないが、何故かその時間も苦痛では無く、暫くの間時計塔から眺められる美しい光景にただ寄り添いながら時間を過ごしたのであった。
「──暗くなってしまったな……遅くまで連れ回してしまってすまない、セレスティナ」
「いいえ、大丈夫ですよ。両親も、ジェイク様と一緒の事は分かっておりますので」
二人は、セレスティナの伯爵邸に戻る最中、馬車の中で会話をする。
にこにこと笑顔でそう答えるセレスティナに、ジェイクは困ったような表情を浮かべると苦笑する。
「いや、まあ……信頼してくれているのは有難いのだが、セレスティナも不用心過ぎるのは良くないぞ……?」
ジェイクがもごもごと言葉を濁してセレスティナに伝えてくるが、セレスティナは不思議そうにきょとんと瞳を瞬かせているだけだ。
(こんな時間まで年若い男女が共に過ごすのはあまり良くは無いんだがな──)
ジェイクがそんな事を心配しているとは露知らず、セレスティナはまさか自分がジェイクからそう言った気持ちを向けられているとは思っておらず平気そうに馬車の窓から景色を眺めている。
ちっともジェイクの事を男として警戒も意識もしていない様子にジェイクは頭を抱えたくなる。
どうやってこの先、自分を男として意識して貰うか。それを考えると頭が痛くなりそうだ。
ジェイクは近付いてくるセレスティナの伯爵邸の姿を視界に入れると、「まずはフィオナ嬢だな」と心に決めて馬車が止まるのを待った。
馬車が止まり、いつもの様にセレスティナを邸の玄関口まで送っていくと、ジェイクは唇を開く。
「セレスティナ……、明後日の学園への登校だが、この日だけ迎えに来れない。早めに学園に行って、やる事があるから明後日は別々に行こう。帰りはいつも通り一緒に帰ろう、だから行きに乗ってきた馬車は返してしまって大丈夫だ」
「──そうなのですね。分かりました、その日は一人で向かいますね?」
「ああ、すまないが。宜しく頼む」
ジェイクは不思議そうにしながらも、こくりと頷くセレスティナの頭をそっと撫でると、ちらり、と邸の上階へと視線を向ける。
二階の窓からは、セレスティナの両親が嬉しそうに表情を綻ばせて自分達を見ている。
ジェイクは少し悩んだが、そっと腰を屈めると窓に背を向けていて、両親の姿に気付いていないセレスティナの耳元でそっと告げる。
「──セレスティナ、ご両親が俺達を見ている。仲睦まじく過ごしているか心配しているんだろう……少し触れるぞ」
「え、……わっ」
ジェイクがセレスティナに告げると、次の瞬間セレスティナの前髪を優しく退かして、露わになったセレスティナの額にそっと唇を寄せる。
ジェイクがセレスティナの額から唇を離すと、真っ赤に頬を染めてこちらを見つめるセレスティナの表情に耐えきれなくなって笑ってしまう。
「急にすまない、また、学園でな」
もう一度ジェイクがセレスティナの頭を優しく撫でると、セレスティナが頬を真っ赤に染めたままこくり、と頷く。
「ええ、ジェイク様……。また学園で」
セレスティナに背を向けて馬車へと戻って行くジェイクの後ろ姿を見つめながら、セレスティナはいつまでも自分の顔から熱が引かず、自分の頬を両手で抑えると暫しその場に立ち尽くしてしまった。
馬車の中に戻り、ジェイクは侯爵家へと帰る間、どうフィオナに別れを切り出そうか、と頭を悩ませる。
この間の話し合いでは上手くフィオナに言いくるめられてしまった。
フィオナから不誠実な男だと、噂を流されてしまっても仕方がない。
それでも、自分はこれから先セレスティナと共に過ごしたいのだ。
「邸に戻ったら、フィオナ嬢宛に手紙を書くか……」
ジェイクはぽつり、と呟くと馬車の揺れに瞳を閉じて明後日、どうフィオナと話そうか、と考えを巡らせた。