十三話
最近、セレスティナとの時間を優先している為か、フィオナと過ごす時間をすっかり取れていない事を思い出し、ジェイクはしまった。と馬車の中で頭を抱えた。
「すっかり後回しにしてしまっていたな……以前はあれ程フィオナ嬢と会うのを楽しみにしていたのに」
ジェイクは馬車の椅子に座ったまま足を組み直すと、この先のスケジュールを頭の中に思い浮かべる。
学園内ではこれからも変わらずセレスティナと共に過ごす時間を大事にしたい。
学園が休みの日、週末も仲の良さを周知させる為に家族は勿論、学園の生徒達が居そうな場所にセレスティナを誘い出掛けようと思っていたのだ。
そこで学園の生徒達に目撃されれば、自分達の関係が磐石なものとなるだろう、とジェイクは考えていた。
「週末も、フィオナ嬢に会う時間が取れそうにないな……」
あれ程、フィオナと時間を共にする為に色々と画策して動いていたのに蓋を開けてみれば考えていた事と真逆な事になってしまっている。
だが、ジェイクはそれが不思議と嫌ではない事に戸惑った。
最近ではセレスティナの笑った顔を思い出す事が増えて、街に出ると「セレスティナに似合いそうだ」とついつい宝石店を覗いてしまう。
セレスティナと話す時間が楽しくて、ついつい時間を忘れて一緒にいてしまう。
特殊な始まりだったからか、セレスティナからは他の令嬢達からのような熱の籠った視線を向けられない事にジェイクはとても安心感を得ていた。
自分を"男"として認識していないようなセレスティナの態度に、隣で共に過ごして落ち着ける女性が居るとは思わなかった。
セレスティナと過ごす時間がとても穏やかで、安心感の得られる時間になったのだ。
それなのに、最近はセレスティナの笑顔を見るだけで自分の胸がざわついてしまう。
先日、休日の日に自分以外の男に見せていた笑顔にとても苦しい思いをしたと同時に酷く嫉妬した。嫉妬、してしまったのだ。
あのセレスティナからの視線は俺だけが得ていたのに、と醜い感情が込み上げて来てそんな感情を抱いてしまった自分にとてつもなく混乱した。
「俺は、なんと言う間違いを──」
本当にどうしたらいいんだ、と頭を抱えたままジェイクは低く呻いた。
今更、気付いてしまった。
先日、セレスティナと一緒にいた男に何故嫉妬したのか。
何故フィオナとの時間よりセレスティナとの時間を優先してしまったのか。
セレスティナと共にいる時間がもっと欲しくて、馬車での送り迎えも邸宅前まで行くようになったのは何故。
セレスティナと触れ合いたくて学園での移動の際は常に指を絡ませ手を繋いでいたのは何故。
「そんなの、全部セレスティナが好きだからに決まっているじゃないか──」
今更、セレスティナに何て伝えればいい。
フィオナにどう説明して詫びればいい。
ジェイクは途方に暮れたように馬車の中で上方を仰いで目を閉じた。
翌日。
セレスティナと学園に登校して、それぞれ自分の机に腰を下ろした後。
ジェイクは自分の鞄の中身を机に入れようと手を入れて、かさり、と紙が自分の手のひらに当たる感覚にふと視線を下ろした。
「何だ……?」
四つ折りにされた真っ白い紙を何の疑問も抱かず取り出すと、自分の手のひらの中でそれを広げた。
「あぁ──……」
手紙には時間と場所が記されており、最後に小さくフィオナの名前が記されている。
以前まではフィオナからの呼び出しに喜びを感じていたが、自分の気持ちに気付いてしまった今、フィオナと会うのが億劫になって来る。
だが、フィオナとは話をしなければいけない。
好きだ、と告白されて友人の延長線上から始まった交際ではあるが確かに一時でも自分はフィオナに想いを寄せていた事は事実だ。
誠実に、正直にフィオナに話して謝罪しよう。
ジェイクは、席に着いているセレスティナに視線を向けると放課後、フィオナと話がある事を正直に伝えようと考えた。
昼食の時間になって、ジェイクとセレスティナは今日も庭園で二人寄り添いながら食事を楽しんでいた。
食事の時間が終わり、食後の紅茶を楽しんでいるとふいにジェイクがセレスティナの耳元に顔を近付けて来る。
びくり、と肩を跳ねさせるセレスティナにジェイクは朝にフィオナから机の中に入れられていた呼び出しの件を伝える。
「セレスティナ。今日の放課後、フィオナ嬢から呼び出しがあった。──私も、彼女には話があったので応じて来るが、帰りは共に帰ろう。昨日のように教室で待っていてくれるか?」
「──レーバリー嬢から……、分かりました。お待ちしてますね。私もジェイク様にお話したい事があるので帰りの馬車の中でお時間を下さいませ」
「話? それは今、この場では駄目な事?」
「ええ……、出来れば周囲に学生がいない場所が好ましいです」
こくり、と頷くセレスティナにジェイクは分かった。と言葉を返すと、そのまま自然とセレスティナの頬を自分の指先で撫でてから離れた。
「──ジェイク様、撫でるのはやり過ぎかと」
「そうか? 愛する婚約者相手だったら俺はこうする」
撫でられた箇所を抑えて頬を染めるセレスティナに、ジェイクは愛おしそうに瞳を細めると笑った。
ジェイクはまさか、フィオナとの話の後にセレスティナから婚約解消の日時について相談されるとは思っておらず、上機嫌で昼食の時間を終えた。
学園での授業が終わり、放課後。
ジェイクはセレスティナの元へと歩いて来るとそっとセレスティナの髪の毛を自分の指先で掬い取る。
「セレスティナ、これから少し用事があるからここで待っていてくれ」
「ええ、分かりましたわ。ジェイク様」
ジェイクは掬い取ったセレスティナの髪の毛を指先で遊びながら、最後にそのまま唇を落とした。
周囲で二人の仲睦まじい様子を見ていた生徒達、特に令嬢がジェイクのその行為にきゃあきゃあと色めき立っている。
教室を出て行くジェイクの後ろ姿を見送って、セレスティナはふうと息を着くと令嬢達の嫉妬に満ちた視線を見に受ける。
学園で過ごす間、ジェイクはしっかりと「セレスティナを溺愛している」と言う演技を徹底して行ってきてくれたお陰で、先日のように表立ってセレスティナに直接嫌がらせをしてくる令嬢は居ない。
ただ、先程のように嫉妬や羨望に満ちた眼差しを向けてくるだけでこうしてセレスティナが一人で過ごしていても身の危険を感じなくなったのはとても有難い事だ。
だが、この平穏も一時的なもので終わるだろう。
(きっと、婚約を解消すれば今までよりも令嬢達からの風当たりが強くなりそうね)
しかも、ジェイクは本当の想い人と婚約を結び直すのだ。
きっと周りからは面白可笑しく色々と噂されるだろう事が予想出来る。
だが、そう言った事も含めて自分はこの偽装婚約者役を引き受けた。
その為の契約金であり、セレスティナが今後受ける誹謗中傷を鑑みてのあの破格の金額だったのだろう。
若干の恐れは感じるが、そう遠くない未来に起きるであろう事を考えてセレスティナは溜息を一つ零した。
「フィオナ嬢……?」
人気の無い学園の別棟の非常階段に赴いたジェイクは、呼び出した本人であるフィオナの姿を探す為周囲をきょろきょろと見回した。
余りセレスティナを待たせてしまうのは避けたい為、早めにフィオナとの話し合いを終わらせたいと考えていたジェイクは辺りを見回すが、早く着きすぎてしまったのだろう。
まだフィオナは待ち合わせ場所に現れていない。
ジェイクは溜息をつきながら、階段へと腰を下ろすとどうやってフィオナとの交際を断ろうか、と頭を悩ませる。
一度フィオナの気持ちを受け入れた手前こちらの身勝手な考えで断ってしまうのに申し訳なく思ってしまうが仕方ない。
フィオナとの関係に蹴りが付かないとセレスティナにも自分の気持ちを伝える事が出来ないのだ。
上手く説明出来るだろうか。
「傷付けて、しまうだろうな──」
いくらでも罵られてもいい。
軽い男だと言われてもいい。
どれだけフィオナを傷付けるか、自分でも分かっている。
だが、フィオナを傷付けてでもセレスティナを諦める事なんて出来ないのだ。
「──ジェイク様っ」
「──っ!」
突然聞こえてきたフィオナの甘ったるく媚びを売るような声と同時に自分の背中にドン、と衝撃が走る。
「フィオナ嬢……っ、離れてくれっ」
背後から自分の背中に抱き着いて来たフィオナに、ジェイクは焦って自分から離れるように伝えるが、「お付き合いしているのに何故?」と不思議そうに聞かれてしまう。
自分に甘えるように擦り寄って来るフィオナに以前なら幸せな気持ちになっていたはずなのに、今ではゾッと背筋に悪寒が走ってしまう。
かつて嫌悪していた他の令嬢達とまったく同じような行動、言動を取るフィオナにジェイクは嫌悪感を覚えてしまう。
自分の容姿や家柄にしか興味が無い他の令嬢達。
そんな令嬢達とはフィオナは違う、と思っていたのに。
友人として過ごして、フィオナから告白されて。
あの時第一印象で、表向きの自分じゃなく「ジェイク・カートライト」と言う人間を見てくれたと思って嬉しかったのだ。
ただ、それだけでフィオナの気持ちを拒絶すること無く受け入れてしまった浅はかな過去の自分を殴りたくなる。
「フィオナ嬢っ、真面目な話があるんだ──!」
ジェイクは自分に後ろから抱きついているフィオナに顔だけ向き直ると、自分の腹に回されたフィオナの腕を掴み、剥がす。
きょとん、と瞳を瞬かせてこちらを見つめてくるフィオナに、ジェイクは申し訳ないが、と前置きをしてからフィオナに向かって話し始めた。