十一話
温室内にいる自分達の両親からはこの庭園は丸見えで、しかも自分達は温室へ戻ろうと移動し始めた最中。
そこまで距離が離れていない為、中からこの庭園は良く見えるだろう。
あちらからは自分達の姿がどのように見えているのだろうか。
先程までは辛うじて庭園の方向が見えていたが、何故かジェイクが抱きしめ直してしまったので今ではセレスティナの体はジェイクの大きな体にすっぽりと収まってしまっている。
「ちょ、ジェイク様……っもう、仲のいい婚約者の振りは十分だと思いますっ」
たしたしとジェイクの背中を叩いてこそこそと声を潜めてそう主張するセレスティナに、ジェイクがはっとしたような視線を向けると、じわじわとジェイクの頬に熱が集まってきているようで頬が朱に染って行く。
「す、すまない。セレスティナ嬢……ついっ」
ジェイクは恥ずかしそうに口元を自分の腕で隠すと、ぱっと体を離す。
「──段差がこの先にもあるから、手を……」
「あり、がとうございます」
照れながらそう言われて、セレスティナも若干気恥しさを感じてしまうが、ジェイクから差し出された手のひらにそっと自分の手を重ねた。
セレスティナが手を重ねた瞬間、嬉しそうにふにゃり、と表情を崩して笑うジェイクに、セレスティナも嬉しい、と言う抱いてはいけない気持ちが胸に湧き上がってしまった。
しっかりとジェイクの大きな手のひらに包まれて、二人はゆっくりと温室へと戻って行った。
「戻りました」
「とても素敵な庭園でした。見せていただきありがとうございます」
セレスティナとジェイクが温室へと戻るなり、両家の両親──特にジェイクの母親である侯爵夫人が嬉しそうに表情を綻ばせている。
セレスティナの両親も、始めはセレスティナ同様、緊張で体を硬くさせていたが、二人が庭園を散策している間に緊張が解れたのか、優しい表情でセレスティナを見つめている。
セレスティナは何処か居心地の悪さを感じてしまい、そわそわとしていたが、ジェイクの母親である侯爵夫人の口からとんでもない言葉が飛び出てきた。
「本当にお互い想いあっているのが良く分かるわ。もう正式に婚約を結んでしまわない?」
セレスティナが驚きに目を見開くと、カートライト侯爵も乗り気なのかそれはいいな!と豪快に笑っている。
「ジェイクも年頃なのに、今までてんでご令嬢に興味がなく、どうした物かと思っていたが、セレスティナ嬢がいたから他のご令嬢に目がいかなかったんだなあ」
本当に嬉しそうに笑い合うジェイクの両親に、セレスティナは騙している、という申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
こんなに喜んで貰っているのに、自分は契約金に飛び付いた薄情な人間だ。
だが、今更誤解ですとも本当は違うんです、とも言えずにただ嬉しそうに微笑む事しか出来ない。
心配そうにこちらを伺ってくるジェイクの視線を感じるが、その視線には繋がったままのジェイクの手を軽く握る事で返事を返す。
ジェイクからも強く手を握り返されて、何とも言えない気持ちになっていると、お互いの両親はどんどんと話を進めていく。
予め、自分達が庭園に居る間にある程度話はしていたのだろう。
「では、正式に我が息子ジェイクとセレスティナ嬢の婚約を進める事にしようか」
「ええ、そう致しましょう」
「私、可愛い娘が欲しかったのです、セレスティナさんなら大歓迎ですわ」
「まだまだ子供ですが、宜しくお願い致しますわ」
両親達が和気藹々と話している中、当の本人達がポツンと置いていかれているような状態になってしまう。
ジェイクもまさか今回、婚約が正式に決まるとは思っていなかったのだろう様々な感情を綯い交ぜにしたような表情を浮かべている。
そうしている内に、ジェイクに視線を向けた侯爵がほら、と自分の息子に声を掛けた。
「ジェイクも、正式に申し込んだらどうだ?」
どうせ、恥ずかしがってきちんと申し込んでいないんだろう。と朗らかに笑いながら言われて、ジェイクははっと瞳を見開くと、セレスティナに視線を向ける。
温室内の視線が集中して、恥ずかしそうに視線をさ迷わせるセレスティナに、ジェイクはセレスティナに向かって跪き、セレスティナの手のひらを恭しく掬い取る流麗な仕草にセレスティナは頬を赤く染め、思わず感嘆の溜息を自分の唇から零してしまう。
「セレスティナ・クロスフォード嬢。私の婚約者となって下さい」
美しく自分の目の前で微笑み、婚約を申し込んでくるジェイクに、セレスティナはこの場で断れるはずが無く、微笑みを浮かべるとジェイクに応える。
「──ええ、喜んで。ジェイク様」
偽物の婚約者ですが、何とか穏便に婚約解消致しましょうね。と、セレスティナが考えている事など温室内にいる誰も知る由もない。
とんでもない事になってしまった。
何が、「ええ、喜んで」なのだろう。
セレスティナは、先程自分が返した言葉に深く後悔をして頭を抱えた。
「──過ぎた事だ、あまり深く考えない方がいいぞ、セレスティナ」
「ジェイク様……」
しれっと、気にした様子のないジェイクの態度に、セレスティナは恨めしそうにじとっとした瞳でジェイクを見つめる。
馬車の中に、二人きり。
ここでの会話は外に漏れる事は無い事から、セレスティナはまさか今日の食事会で正式に婚約を結んでしまうとは思わなかったのだ。
まだ成人前の身分の自分達は、両親のサインでもって婚約手続きの書類が作成される。
何故か、その場で用意していたのだろう、婚約の書類を取り出してサラサラとサインをしてしまった侯爵に促されて自分の父親もサインをしてしまった。
控えていた家令に、出来上がった書類を渡し「明日提出しておくからね」とにこやかに侯爵に言われてしまえば、セレスティナは「はい」と言う他なかった。
そして、食事会がお開きになるとそのまま両親と共に帰るかと思いきや、何故かジェイクが送りに来て馬車も両親と別々となってしまった。
何処か楽観的に考え、明るい表情をしているジェイクに、セレスティナはもう!と声を荒らげると向かいに座っていたジェイクがびくり、と反応してセレスティナに視線を向けた。
「ど、どうしたんだセレスティナ?」
「──ジェイク様はこれで良かったんですか?」
ジェイクからの慣れない名前の呼び捨てに、セレスティナはほんのりと頬を赤くして問う。
正式に婚約者になるのだから、とジェイクは今までのようにセレスティナ嬢呼びからセレスティナ、と呼ぶように呼び方が変わった。
ジェイクから呼び捨てで名前を呼ばれるだけでどきり、と胸が騒いでしまうのを誤魔化すようにセレスティナは敢えてじっとりとした視線を作ると唇を開いた。
「正式に婚約を結んでしまうのは時期尚早だったのではないですか? レーバリー嬢とのこれからを考えると先走ってしまった感が拭えません」
「ああ──」
(しまった、すっかり忘れていた)
ジェイクは、今まであんなに自分の頭の中を占めていたフィオナの事をすっかり忘れていた事に愕然とする。
あれ程これから先、フィオナと共に過ごしたいと考えていたのにセレスティナと共にいるとフィオナの事をちっとも思い出すことがない。
「そうだな、それは追々……」
追々どうにかするのだろうか、自分は。
ジェイクは誤魔化すようにセレスティナに笑いかけると来週の学園での過ごし方について話を変えた。
食事会が終わり、ジェイクに伯爵邸まで送って貰った後。
ジェイクは両親の前でしっかりと立派に婚約者役を務めあげてくれた。
馬車から降りるセレスティナに手を差し出し、違和感なく完璧にエスコートをすると、伯爵邸の玄関の前で両親がにこやかに見守る中セレスティナの手のひらを掬い上げて恭しく指先に唇を落とした。
傍から見れば文句のつけようがない程の出来た婚約者だ。
だが、セレスティナはそのジェイクの行動一つ一つに動揺して頬を染める事しか出来ない。
「これでは婚約者役失格になってしまうわ」
セレスティナは、自室のベッドに俯せに倒れ込んだ体制のまま小さく呻いた。
ジェイクは完璧な婚約者役を演じきってくれているのに、ちっとも自分はその役に応えられていない。
来週の学園生活ではしっかりと務めあげねば、とセレスティナは気合いを入れ直した。