第68話 この剣を走らせることだけだ
ファルシアと“虐殺剣聖”が無言で睨み合う。
僅かに出来た息継ぎの時間。
ユウリは驚きの声を上げていた。
「『フェイズ・トランス』……イグドラシル隊長と同じ技を、ファルシア・フリーヒティヒが……!」
「ユウリちゃん、あれってどういう状態なの?」
「私も知りたいから教えなさいユウリ。王女命令よ」
ユウリは少し迷った末に、『フェイズ・トランス』について、知る限りの情報を開示することにした。
「あれは精神力が一定レベルに到達した者のみ行使出来る、魔法の一種です」
「魔法? あれが? そうは見えないわよ」
「私もクラリス王女と同意見。あれって魔力による肉体活性化とどう違うの?」
「本質的には変わりません。『フェイズ・トランス』はその者の潜在能力を解放し、戦闘能力を極限まで引き上げると聞いたことがあります」
「潜在能力を解放……」
「はい。リミッターを外し、限界まで身体能力を出力することができます。溢れ出す闘気と共に、魔力も循環するため、魔法に対する防御力も向上するとか」
「そんなとんでもないモンをイグドラシルも使えるのね」
直後、クラリス達は、突風と地割れに襲われる。
一瞬、魔法かと疑った。だが、原因は明白である。
ファルシアと“虐殺剣聖”が放つ、『フェイズ・トランス』由来の力場。それが互いにぶつかり合い、自然現象を生んだ。
(『フェイズ・トランス』。イグドラシルさんの領域だ。すごい……力が無限に溢れてくるようだ)
「この領域にたどり着いても、落ち着いているな」
「ええ。それよりも、早く貴方にこの力を振るってみたいものだなと」
ファルシアの口調が明らかに強くなっている。
“虐殺剣聖”はそれに気づいたが、あえて指摘することはしない。ただ、目の前の敵を斬滅することしか、頭にないからだ。
「俺についてこれるか?」
「追い抜いてしまったら、すいません」
二人は同時に駆け出した。
まず仕掛けたのは“虐殺剣聖”。長剣を三度振るった。
対するファルシア。一度目の逆袈裟斬りは受け流す。二度目の突きは叩いて逸らす。三度目の振り下ろしは剣を横に構え、受け止める。
一度打ち合うたび、大気が揺らぎ、地面に亀裂が走る。
その人外の攻防に、クラリスは唖然とした。
「な、なにこれ……」
「……悔しいですが、ファルシア・フリーヒティヒには元々力が備わっていました。それに『フェイズ・トランス』の力が加われば、あの“虐殺剣聖”にすら届くということなのですね」
クラリスは小さく『頑張れ』と呟いていた。完全に無意識だ。ファルシアを見守る彼女が、心の底から想い、自然と漏れ出た言葉だった。
「ぃぃや!」
ファルシアは跳躍し、“虐殺剣聖”へ剣を振り下ろす。“虐殺剣聖”は受け止め、剣を水平に振るった。長剣はファルシアの胸を掠める。
「ゥ……!」
バランスが崩れた彼女は、全身が斬られた感触を覚えた。
彼の斬撃が『残っていた』場所に飛び込んでしまったのだ。全身から血を流すファルシア。同時に自然治癒が始まる。致命傷には至らないが、いつまでも斬撃をもらい続けること出来ない。
「すごく手堅いや。自分のペースに持っていくのがすごく上手い。攻撃しているつもりが、攻撃『させられている』んだ」
「ならばどうする」
「やることは一つです。貴方に近づいて、この剣を走らせることだけだ」
ファルシアは『その瞬間』を待つことにした。
“虐殺剣聖”に、攻勢を維持することは至難の業。かと言って守勢を維持していてもジリ貧。
数多の攻防を繰り広げた彼女の手のひらには、一つの勝算が握られていた。
「抜かしたな! ならやってみせろ!」
“虐殺剣聖”は長剣を突き出した。その突きは今までのものとは段違いだった。
弓矢の速度、戦斧の大威力、槍のリーチ。この突きには、それらが一つに凝縮されていた。
――それを、ファルシアは待っていた。
「ぐぅっ……ツッ!!」
ファルシアは左手を突き出した。直後、長剣は彼女の左手のひらを貫通する。
ファルシアは激痛に歯を食いしばりつつ、そのまま真っ直ぐ“虐殺剣聖”の元へ走る。
「自分の左手を『盾』にしただと!」
「簡単な話です。攻撃するだけじゃ勝てない。防御するだけでも勝てない。なら――攻撃と防御を『同時』に行えば良い」
長剣を動かされないように、刀身をがっしりと掴むファルシア。左手は血まみれだ。
実力者同士の戦いにおいて、一瞬の隙が勝敗に繋がる。
今、ファルシアは己の左手を犠牲にし、その隙を作り上げた。
チャンスはたった一度。だが、一度だけあれば良い。
「ぃぃや!!」
ファルシアの振るった剣が、“虐殺剣聖”に深々と食い込む。
「ぐ、おおぉ……!!」
何度も何度も、ファルシアは剣を振るう。
ここを逃せば、もう攻撃の手段はない。あとは自分が十分と思うまで、攻撃を叩き込む。
長剣から力が抜けたのを感じたファルシアは、そこでようやく攻撃を中止した。
「はぁ……! はぁ……!」
「……見事」
両者の手から剣が落ちた。
その間にファルシアは左手から長剣を引き抜いた。
互いに血だらけだった。
“虐殺剣聖”の出血は酷いものの、まだ息があった。
『フェイズ・トランス』状態でなければ、既に死んでいるだろう。
「私の……勝ちです」
「お前の……勝ちだ」
“虐殺剣聖”は弱々しく拍手を送った。
これは彼なりの最大限の敬意。
世界は広い――そう感じながら、“虐殺剣聖”はとうとう膝をついた。




