第67話 ありがとう
「『フェイズ・トランス』……! これは、イグドラシルさんと同じ……!?」
「やはりお前もこの存在を知っていたか。ならばすぐに死ぬなよ!」
“虐殺剣聖”の姿が消えた。直後、無限とも思える斬撃が襲いかかってきた。
「速い……!!」
ファルシアの全身に斬撃が走る。致命傷を避けるので精一杯だった。
今までよりも重さと速さが段違い。一瞬でも力抜ければ、防御ごと切り裂かれる未来が見えた。
「ファルシア! お前はまだこのステージへ上がっていないのか!」
「くぅ!」
辛うじて“虐殺剣聖”の身体へ刃を走らせても、重傷になり得ない。
防戦一方になってしまったファルシア。いくら反撃しても、有効打にならないもどかしさ。
“虐殺剣聖”は剣を振るいながら語り始める。ファルシアは決してミスできない防御をしながら、それを聞く。
「『フェイズ・トランス』は、心の奥義。誰もが到達できて、最も到達が難しい領域だ」
「そう、です……。だからイグドラシルさんは到達できた」
「お前のことを聞いている。お前は『まだ』か!」
「――!」
ファルシアはもう防御行動に限界を感じていた。
現に彼女は、『フェイズ・トランス』状態のイグドラシルに完敗した。
しかし、それで諦めるファルシアではない。
敵はイグドラシル・クレイヴァースじゃない。もしもこの死闘の相手が彼女ならば、もっと速く意識を飛ばしている。
やれるやれるやれる。
ファルシアはまだ、希望を手放していない。
防御を愚直に繰り返し、来たるべき好機を――。
「嫌だ」
ファルシアは前に踏み込んでいた。
一瞬でも安全策に逃げていた自分を殴り飛ばしそうになった。自分はあのクラリスの近衛騎士だ。
こんな危機、幾度もぶつかるだろう。それに対し、ファルシアは無意識に逃げを選択していた。
ただ守っていて得られる経験は皆無。前進して、失敗して得られる経験こそが何よりも尊い。
これで死ぬことになったら、それは仕方ない。だが、こうして前に進むことでのみ得られる経験というものがある。
ましてや相手は未知の力、『フェイズ・トランス』を行使する。
これほどの相手と戦えることなど、あと何回あるだろう。
ファルシアは絶対的な死の予感よりも、“虐殺剣聖”の一挙手一投足に興味津々だった。
明らかな格上。
そんな相手と全力で戦えていることに、ファルシアは喜んでいた。
「そうだ、良いぞ。お前は臆さなかった。それだけで良い!」
“虐殺剣聖”はそんなファルシアの行動に、喜びを見せていた。
「ファルシア! 俺に殺されるなよ! 全てを出し切れ!」
「“虐殺剣聖”さんの攻撃が更に激しく……!」
いくら魔力による肉体活性化を行っても、限界は来る。『フェイズ・トランス』状態から繰り出される攻撃は、もはや物理攻撃といって良いか怪しい。
ファルシアの握力が低下していく。もはや剣を握れているか自信はなかった。
(夢の中にいるようです……。生きているのか死んでいるのか、分からなくなる。でも、ほんの少しでも剣の感触があるなら、私は生きているんだ)
永遠とも思える斬撃を捌いている内に、ファルシアの思考が澄んでいく。
(振りたい。まだ剣を振っていたい。ずっと、振っていたい)
集中しすぎているのか、剣が遅く見えた。そのため、ファルシアは無意識で剣を弾けるようになり、その分思考することに時間を費やせた。
対する“虐殺剣聖”は顔には出さなかったが、驚きの感情が滲み出ていた。
「俺の攻撃に対する反応速度が上がったか」
フェイントを織り交ぜて攻撃しているにも関わらず、その全てを見切り、打ち落としてくるファルシア。
明らかに成長している――そう、“虐殺剣聖”は断定した。
発する闘気の質も向上している。一度剣を交わすたびに、彼女の動きが変わっていた。
“虐殺剣聖”の独り言も耳に入らないほど、ファルシアは深く集中している。
(あぁ、私は幸せだ。これだけ本気になれる相手がいて、そして守りたいと思える人がいて)
ファルシアは一つの感情にたどり着いた。
――心からの感謝。
喜びでも、怒りでも、哀しみでも、楽しさでもない。
剣に出会えたこと、強くなりたいと思えること。
ファルシアの内の内。魂とも呼ばれる部分に小さな火が灯った。
彼女が感謝を深めるたび、その火は大きくなっていく。
“虐殺剣聖”はその『変化』に気づいた。
「澄み切った闘気が全身に渡り、やがて洗練化されていく。ははは! そうか! 案外と早かった! お前もか!」
ファルシアの中からこみ上げてくる言葉がある。
魂に灯った火は最大限大きくなった。
あとは、その火と言葉を、口から吐き出すだけ。
「ありがとう」
ファルシアの内側から、力が放出された!
「ファルシアの姿が……!?」
やや逆立った赤髪、そして蒼いオーラが迸っていた。
この姿はそう、イグドラシルと酷似している――!
“虐殺剣聖”は歓喜の感情を口にする。
「待っていたぞ、ファルシアァァァ!」
「お待たせしました。これで、貴方とちゃんと戦える」
気持ちが高ぶっているのか、ファルシアの口調が少し強くなっていた。
「『フェイズ・トランス』――私は、誰にも負けない」
ファルシアはついに到達した。
戦士としての最奥、極致、果ての果て。境界を超えた戦士のみ、自然と行使することが出来る秘奥義。
それこそが、『フェイズ・トランス』。




