第56話 な、る、ほ、ど~?
サインズ王国王都サンブレンから馬車で一時間ほどの場所。
そこには小さな山があった。何か珍しい動物がいるのでもなく、何か珍しい植物があるわけでもない。何の変哲もない山。
その麓には小さな小屋が建てられていた。木組みの簡素な小屋。猟師が一時的に建てたものでないかと思わせた。
そんな小屋へ、白いローブを纏った黒髪の男性が訪れた。
ローブの中心には、翼と天秤の刺繍が施されている。
アーデンケイル教団のクルス。
彼は、胸元からペンダントを取り出した。翼と天秤が装飾された、銀のペンダント。
クルスはそれを握りしめ、祈りを込めた。
「ふむ、ここが例の」
クルスは小屋へ向けて歩き出す。
一応、用心しながら近づくが、特に何かあるわけではない。
距離にして、二、三百メートル付近。そこで一度、クルスは立ち止まった。
「おや……」
クルスは不思議と、そこからもう一歩踏み出そうという気にならなかった。
彼は足元に落ちていた葉っぱを放り投げる。
――次の瞬間、葉っぱが微塵切りになってしまった。
不思議かつ恐ろしい状況。無策に一歩踏み出してしまえば、こうなっていたのだ。
「な、る、ほ、ど~?」
クルスはローブを跳ね上げた。両腰のベルトにはそれぞれ短剣が身につけられていた。
短剣を抜き、両手に持つ。そこで彼は一度目を閉じた。
「この世に秩序と平和あれ」
開眼したクルスは、勇気を胸に、歩き出す。
◆ ◆ ◆
サインズ王国、そして周辺国が警戒している人間は星の数ほどいる。
それは国の要人だったり、山賊団の頭領、とある国の密偵など。
その中でも、警戒度というものがある。危険度を総合的に判断し、順位付けをしているのだ。
「さーてと」
クルスは短剣を収め、小屋の扉を開いた。
中には机とテーブル、そして寝具だけの簡素な空間だった。
そこに男が一人座っていた。
外見は銀髪、赤い目、紺色で縁取りされたロングコート。
「やぁ、初めまして。私はアーデンケイル教団のクルスという者だ」
クルスはちらりと男の傍らを見る。
剣が立てかけられていた。ただの剣に非ず。一般的な剣と比べ、刀身が長い。扱いに練習がいる一振りだと、彼は結論づける。
「……久しぶりに客人が来たかと思えば、胡散臭い宗教団体か」
「言ってくれるねぇ。まぁそれは実際に我々の活動を見てもらえれば、すぐに考え直してくれると思うよ」
「考え直す、か。洗脳の間違いだろう」
「あらら、手厳しいね。“虐殺剣聖”カイム・フロンベルクさん」
“虐殺剣聖”カイム・フロンベルク。各地を放浪する剣士である。
彼の名前を聞くと、全ての者は震え上がる。それもそのはずで、やった事が余りにも大規模なのだ。
剣の道を追求する余り、放浪先で手当たり次第に魔物と人を斬殺する大量殺人鬼。その数は一万を超えるとされる。
斬殺の規模が大きすぎて、すぐにサインズ王国をはじめとする近隣諸国から、国を揺るがす可能性のある存在として認定された。
その際につけられた名が、“虐殺剣聖”。
殺害規模と、その剣の技量から、畏怖を込め、その名がつけられたのだ。
カイムはじろりとクルスを見た。
クルスは内心、心臓バクバクである。いつ開戦するのか、全く読めない。
人間は言動に少なからず喜怒哀楽が伴う。クルスはそういった概念に敏感だった。
故に、人と上手く関われる。故に、戦闘の気配を読んで、すぐに準備ができる。
だが、この“虐殺剣聖”にはそれがない。
「良く俺の作った『壁』を超えられたな」
「はっはっは。だいぶ苦労したよ」
「短剣の二刀流か。中々特殊なスタイルだな」
「……私、喋ったかな?」
カイムは、クルスの手を指さした。次に、己の耳へ手を当てる。
「一つ、お前の手のひらには、剣を握る者特有のタコが出来ている。それが両方均等にだ」
クルスは己の両手を見た。言われてみれば確かに、そうだった。
「二つ、僅かに金属音がする。長剣が奏でる音ではない。音の発生リズムからして、短剣だろう。よって短剣の二刀流だと判断した」
正解の証拠に、クルスは己の両腰から短剣を引き抜き、それを見せた。
「正解。流石」
「……良い闘気だ。そうか、お前がアーデンケイル教団の『執行官』か」
「そんなことも知っているのかい? すごいな君、執行官の存在はごく一部しか知らないというのに」
「裏と表の世界を往来していると、自然と耳にする。アーデンケイル教団が保有する武装組織――その中でも突出した戦力を持つ者へ執行官の称号が与えられると」
「完璧すぎる。私の素性を明かす手間を省けたようで」
「そんな執行官が、俺に何の用だ? 戦いなら、すぐにでも始められるが」
クルスは驚きを隠すので精一杯だった。
既に、カイムが剣を抜いていた。予備動作すら全くない。クルスの眼をもってしても、捉えきれなかったのだ。
「相手は私ではない。君にはもっとふさわしい相手がいるんだ」
「俺が戦うにふさわしい相手? 誰のことだ」
「なら、まずは聞いてくれ。このサインズ王国に生まれた新たな近衛騎士の話を」
「近衛騎士、ついに現れたのだな」
カイムは単調な声で返した。
「あぁ、君にはその近衛騎士と戦ってもらいたい」
「……俺がか?」
カイムはついその言葉に興味を抱いてしまった。
同時に、彼は僅かに剣の構えを下げた。
クルスの『言葉』には、不思議な魅力がある。それはこの“虐殺剣聖”ですら、一時的に戦闘解除させるほどには。
「そうだ。君が動かずして、誰が動くというのか」
アーデンケイル教団の『毒』がファルシアへ忍び寄る。
ゆったりと、だが確実に。




