第55話 ケーキは糖と油の塊です
ファルシアは与えられた部屋で一人、腕を組んで立っていた。
今日は、何もなかった。それは言葉通りの意味で、今日一日何もしなくて良い日なのだ。
というのも、クラリスから休暇を言い渡されたおかげ。
口では『馬車馬のように働いてもらう』と言っておきながら、この気の遣いよう。ますます王女に付いていきたいと思わされたファルシアである。
とは言え、困ることがあった。
「えと……どうしよう」
ファルシアはもとより、王女の護衛に全てを捧げても良いと決めていた。
だから、休暇を与えられても正直、持て余してしまう。
早朝から目が覚め、日課である筋トレや剣の素振りは既に終わらせた。
あとはこの余暇をどのように過ごせば良いのか。
とりあえず瞑想をしてみた。しかし、すぐにクラリスの声がチラついてしまい、集中できない。
筋トレを追加でやってみた。しかし、クラリスのことを思えば無限に出来てしまうため、意図的に中断した。
剣の素振りを追加でやってみた。しかし、クラリスのためと思えば、際限がないので、これも意図的に中断した。
「あぁぁ……! わ、私っていつも、どういう風に過ごしてたっけ?」
思い返せば、いつも剣を振っていた。
もはや剣を振るのが娯楽であり、生活であり、ライフワークだった。しかし、今のファルシアにとっては、それが全てではない。
「うぅ……クラリスさんの所に行こうかな……?」
今のファルシアは、暇を持て余していた。それはもう極限に。
意識が飛ぶまで、剣を振ろうかと思ったが、そうした『後』のことを想像したら、とてもやる気にはなれない。
――あんた、休みの意味分かってる?
クラリスはきっとこう言うだろう。こちらを気遣った末の言葉。誤解されることのほうが多いだろうが、ファルシアにとっては優しさに包まれた裸の言葉。
ただただ嬉しい言葉。
「よし」
ファルシアは何となく、部屋から出た。
元々部屋でじっとしているのは性に合わない。新しい発見を求め、ファルシアは城内をぶらぶらしてみることにした。
「こうしてみると、このお城広いなぁ」
サインズ王城の敷地は広大だ。
王様がいる区画、騎士団長の区画、各部隊の区画、食堂そして訓練場などなど。ファルシアはまだこのサインズ王城の全貌を知らない。
クラリスに聞くのは簡単だが、それはファルシア的には避けたいところ。
だから彼女はこのサインズ王城を練り歩くことにした。
それが最高の休日の過ごし方なのだと信じて。
「あ、飽きてしまった……」
勢いだけは良かったが、目的もなしにブラブラするにも限界がある。
考えに考え抜いた結果、ファルシアは訓練場へ向かうことにした。
とりあえず身体を動かしながら、今日の予定を組み立てる算段である。
長い廊下を歩いていると、ファルシアは見知った人間たちに出会う。
「あ! ファルシアちゃん! 今日もかわいーかわいー!」
「ファルシア・フリーヒティヒですか」
ユウリ・ロッキーウェイ。
マルーシャ・ヴェンセノン。
ファルシアが今のところ、『慣れた』人たちである。
マルーシャが笑顔で駆け寄り、ユウリはピリピリとした雰囲気を放ちながら、ゆっくり歩み寄る。
天使と悪魔の共演。まさに、この言葉が似合うだろう。
「あれ? クラリス王女は?」
マルーシャの質問に答えるファルシア。
そこでファルシアは辺りを見回した。ユウリとマルーシャしかいない。
いつもなら、ここでクラリスが何かを言ったり、怒ったりしていた。
そこにファルシアはなんとも言えぬ寂しさを感じた。
「そっか、私も休み取ろうかな。そうしたらまた、ファルシアちゃんとケーキ屋さん行けるのに! そだ! 今度はユウリちゃんも一緒に行こ!」
「お断りします。ケーキは糖と油の塊です。身体作りに悪影響です」
「……もしかしてユウリちゃんって甘いもの食べたことない?」
「失礼な。ビタミン補給のため、果物は定期的に摂取しています」
ユウリは生真面目である。
よって、日々の食事管理に抜かりはない。彼女は、最も効率良く、そして栄養バランスの良い食事を選択する。
マルーシャは自由である。
常に新しいものには興味津々だ。そして、甘い物や美味しい物が大好きで、栄養バランスといった概念は全て放り投げている。
ぶつかるのは、必然だった。
「例えばの話なんだけど、ユウリちゃんって、これ一個で全ての栄養が取れる! っていう見た目と味最悪の食べ物を出されたら、喜んで食べるタイプだよね、きっと」
「愚問ですね。そんな夢のような食品が出てきたら、私は私財を惜しみません」
「す、筋金入りだった……。ちなみにファルシアちゃんは?」
「わっ私ですか? 私はそうだなぁ……」
ユウリとマルーシャは息を呑む。
別に争っているわけではないが、一人でも多く、味方を作りたい気持ちがあった。
ファルシアは少し悩む。その後、苦笑と共に答えた。
「わ、私はその、剣を振れる身体になれれば、特にこだわりは……ないです」
二人の基準よりも、更に極端な答えが返ってきた。
ファルシアの思考はあくまで剣優先。そんな彼女に、食の素晴らしさを説いても、伝わることはないだろう。




