第53話 つ、次に勝つのは私、です
ファルシアが目覚めたのは、気絶してから五分後だった。
「はっ……! わっ私どれくらい寝てたんですか?」
「五分です」
時間に厳しいユウリが正確に答えた。
そこでファルシアは肩を落とした。それは、常人には理解できない悔しさだった。
「わ……私、五分も寝てたんですね。お母さんから『気絶してから三十秒以内に立ち上がれないなら、死ぬしかないよ?』って言われてたのに……」
「出た、あんたの鬼畜母親シリーズ」
ずっとファルシアと一緒にいたクラリスに驚きはなかった。むしろ鬼とすら思える所業に呆れすらしていた。
「あはは、ごめんねファルちゃん。つい気合入れすぎちゃった」
イグドラシルが手を差し伸べた。それを掴み、立ち上がるファルシア。
ファルシアはすぐに頭を下げていた。これは、色々な感情が溢れた所作である。
「あ、ありがとうございました! 私、まだ強くなれます」
『フェイズ・トランス』。
イグドラシル・クレイヴァースが提示した可能性。
ファルシアはそれについて、深く聞くつもりはなかった。
「――聞かないの?」
「きっ聞きませんっ。多分、教えてもらうより、たどり着いたほうが早そう……ですから」
その言葉に、イグドラシルは大爆笑した。同時に、ユウリが睨む。
イグドラシルは「そりゃ怒るよね」、と思った。何故ならその領域は、ユウリが喉から手が出るほど欲しい情報だったのだ。
だが、それについて触れることはしない。
色々な感情を丸めて一つにすると、この言葉になった。
「あはは。こりゃ相当な剣馬鹿だ」
「ご、ごめんなさい。私……いや、でも、これだけはちゃんとたどり着きたいなって」
「そっかそっか。――ユウリ・ロッキーウェイ!」
「はい! イグドラシル隊長!」
イグドラシルが叫ぶは、『改まった』ユウリの呼び名。
その意味を知っているユウリは、居住まいを正した。
「ユウリ、負けるなよ。ファルちゃんと君の年齢は近い。だからこそ二人は良いライバルになれるんだと思う」
「……当たり前です。私はファルシア・フリーヒティヒには絶対負けません。それは、ずっと前から誓っていることなのですから」
ユウリは力強く頷いた。
イグドラシルに言われるまでもない。あの時の適性試験からずっと抱いていた想いだ。
「ファルシア・フリーヒティヒ、私は絶対に貴方を超えます。そのためにいつも貴方を見ているのですから」
「の、望むところです! ……ん?」
一瞬、ユウリの言葉に引っかかりを覚えてしまった。
同時に、クラリスからの視線が鋭くなった気がする。
無意識のうちに、ファルシアから脂汗が流れていた。
彼女は念のため、ユウリに再び問いかけた。
真面目なユウリははっきりと、それでいて力強く返答する。
「私は貴方に勝つため、ずっと貴方を見てます。具体的には、貴方が視界に入った段階で、私は貴方を観察しています」
「き、聞き間違いじゃなかった……」
「ちょっとユウリ! あんた私の許可なく、ファルシアを見てるんじゃないわよ!」
「何故ですか? 私はファルシア・フリーヒティヒに興味津々です。駄目な理由を教えてください」
ユウリは真面目な子である。
任務も、訓練も、人付き合いも、そのどれもが真面目。
彼女が意識していること。それは、あらゆる情報を過不足なく伝えること。簡潔明瞭な報告は軍人として、基礎中の基礎である。
だからこそユウリは、誤解を生まないよう、ストレートに言葉を紡ぐのだ。
「興味津々って……あんた、言っている意味分かっているの?」
「以前にも言いましたが、私はファルシア・フリーヒティヒの全てを知りたいと思っています」
「あわわわ」
顔を真っ赤にするファルシア。クラリスはそんなファルシアの背中を叩いた。
「なんで顔を赤くしているのよ」
「だ、だって! ゆっユウリさんみたいに綺麗な人からそんな事言われたら、誰だって照れますよ!」
「綺麗……?」
「はっはい。綺麗だし、可愛いし、ユウリさんはすごい人、です」
「……?」
ユウリは何故か胸を押さえた。
少し暖かな感情が湧いた。この感情に名をつけられる語彙力は、まだユウリにはなかった。
しかし、己の顔が少し熱くなっているのだけは分かった。
「さーてと、思いっきり動いたら疲れちゃった。私、そろそろ隊長室に戻るわ~」
「イグドラシルさん、本当にありがとうございました……! あのっ」
「ん?」
ファルシアは思わず呼び止めてしまった。
イグドラシルに何かを言いたかった。『フェイズ・トランス』なる領域の存在を教えてくれたこと、そして真剣に戦ってくれたこと。
最後に何かを言いたくて、彼女は思考を回す。
やがて、彼女は一つの言葉を練りだした。
「つ、次に勝つのは私、です」
イグドラシルは一瞬呆けてしまった。
すぐに言葉を理解し、何度も頷いてみせた。
「何言ってんの。私は最強だから、まだまだ負けられませ~ん!」
笑顔で手を振り、そのままイグドラシルは去っていった。
ユウリも追いかけようとしたが、その前にファルシアの方を向いた。
「ファルシア・フリーヒティヒ。私は負けません、絶対に。……それはさておき、イグドラシル隊長へ言った最後の言葉。内気で気弱な貴方にしては、まぁ……良い言葉でした。それでは」
後半早口気味に喋り、ユウリも走り去った。
二人がいなくなるまで、ファルシアとクラリスは立っていた。
「あんた、絶対に今の言葉、忘れるんじゃないわよ」
「も、もちろんです。私は絶対に――」
壁は高い。
しかし、その壁を超えることに、何の不安もない。
必ず乗り越える――ファルシアの胸には、その想いだけが強く強く存在する。




