第52話 ――『フェイズ・トランス』
イグドラシルとファルシアの戦いは、神速の攻防から始まった。
イグドラシルは積極的に距離を詰める。対するファルシアは後退する。まず、その時点でファルシアは選択を間違えた。
魔力による強化された身体能力を駆使し、イグドラシルはファルシアを間合いに入れる。
彼女は剣を真横に振った。ファルシアが防ぐ。続いて斜め下から掬い上げるように、剣を振り上げる。
防御行動を見たイグドラシルは、剣を一瞬止めた。彼女は即座に剣の振るい方を変えてみせる。
(私の防御を見てから、すぐに剣の軌道を変えた……。イグドラシルさんの剣が速いから、そうやって後出しじゃんけんが出来るのか)
ハイライトが消失している状態のファルシアは、非常に冷静だった。豪雨のような攻防の中で、彼女はイグドラシルの動きを分析する。
――非常識なほど、強い。
この一言でまずは終わらせることが出来る。
イグドラシルの剣は非常に速く、そして精密。狙った所へ確実に剣を振るえるというのは、才能の一つだ。
それはつまり、相手の防御行動すら読み切っていることの証左でもある。
ファルシアが突いてみせると、イグドラシルは突き出した木剣の隣に立っている。未来予知をしているとしか思えない回避行動。
「ファルちゃん、君はどうやったら強くなれると思う?」
「剣を振り続けることだと思いますっ」
イグドラシルの斬撃は変幻自在だ。ありとあらゆる方向から襲いかかる。
ファルシアは防御に精一杯だった。
そこでファルシアは我が国の騎士団長との戦いを思い出していた。
(騎士団長さんとは真逆だ)
騎士団長ネヴィアは、『後の先』に特化した立ち回りだった。殺気や攻撃の気配をコントロールし、『攻めなければ負ける』と思わせる、謂わば『静の剣』。
イグドラシルは、『先の先』に特化した立ち回りだった。怒涛の連撃をひたすら浴びせ続け、『守らなければ負ける』と思わせる、謂わば『動の剣』。
この落差は非常に大きい。風邪を引いてしまいそうだ。
思考の間にも、イグドラシルは木剣を振るい続ける。それを防ぎ続けるファルシア。
ファルシアはどちらかというと、剣で防ぐより、避ける方が得意だ。しかし、そうしようとはとてもじゃないが思えない。
イグドラシルはそれほどまでに精密で、鋭いコースばかり狙ってくる。
「違うねファルちゃん。それは前提条件だ!」
イグドラシルの体重が乗った一撃。受けたファルシアは勢いを殺しきれないと悟り、後方へ飛び退いた。
「もっと大事なことがあるんだ。剣の腕じゃあない、それ以前の問題!」
ハイライトの消失したイグドラシルの瞳が、ファルシアを射抜く。
「それは……!」
「心だよ」
二人の剣がぶつかり合う。鍔迫り合いの格好だ。
互いに一歩も引かない。むしろジリジリと、前進している。
「心……!」
「そう、絶対に譲らない想い。私は、物盗りをぶっ殺したい想いを自分の足元に埋めた。最初のキッカケを絶対に崩さないように!」
「それがあるから、イグドラシルさんは強くなれた……!?」
「うん! だからファルちゃんはまず、それを見つけなければならない。もしあるのなら、もっと深く足元に埋めるんだ!」
「埋めます! もっと強く、深く!」
「そうだ! ファルちゃんも『ここ』まで来い!」
イグドラシルが剣を振り切った瞬間を狙い、ファルシアは力任せに木剣を振った。
イグドラシルは大きく後方宙返りをし、距離を取る。
これは休息? 否、ここからがイグドラシル・クレイヴァースの神域となる――!
「ユウリッ! ヴィーには内緒だからね!」
「!? イグドラシル隊長! それは団長から、『簡単に見せるな』と固く禁じられているやつでは!?」
「そうだよ! 満を持して見せるんだ! その瞬間を見極めるのは、簡単じゃないってことで!」
イグドラシルの闘気が膨張するッ! 直後、周囲に魔力が収束する。同時に彼女の内側から魔力が放出された。
やがて、それらはイグドラシルの周囲を循環し始める。
そのイグドラシルの『姿』に、ファルシアは思わず息を呑んだ。
薔薇色の髪がやや逆立ち、蒼いオーラが迸っていた。
イグドラシルはこう言う。
「――『フェイズ・トランス』。これが君の可能性だ」
「『フェイズ・トランス』……! これがイグドラシルさんの奥の手……!?」
「そうだよ! じゃあ改めて行くよファルちゃん! 死ぬなよ!」
遠かったイグドラシルが、もう目の前にいた。
ファルシアが防御するために剣を動かそうとした。肩に打撃。今度は距離を取ろうとした。腹部に打撃、左脇腹に打撃。
一動作でもらう攻撃の回数がどんどん増えていき、やがてファルシアは為す術もなく、斬撃の濁流に飲み込まれてしまった。
(強い……強い強い強い。強すぎる)
ファルシアは視界が真っ暗になっていくのを感じた。
気絶しかかっていると、どこか他人事にそう思った。
だが、もう少しだけ踏ん張っていたかった。この超えるべき相手が、これほどまでに力を見せてくれているのだから。
気力だけで保っていたが、とうとう限界を迎えた。
完全に意識を手放す寸前、ファルシアはイグドラシルの言葉を思い返す。
(可能性、か。やったぁ……私は、まだ強くなれるんだ)
心の底から、笑顔を浮かべていた。




