第37話 私に酒飲ませてみなさい?
結局、ネヴィアとクラリスの三人で食事をすることはなかった。
あの後、ネヴィアは何となくクラリスの不機嫌を察し、いつの間にか消えていた。
ファルシアとしては非常に残念だったが、今は己の主の機嫌を取ることが最大の使命だった。
「ファルシア、あんたネヴィアに勝ったんでしょうね?」
クラリスは聞くものによっては、大胆とも言える質問をしてみせた。
サインズ王国騎士団長ネヴィア。彼女の武勇は近隣諸国どころか、もっと遠くの国にまで轟いている。
武力もさることながら、その戦術眼はそれを専門とする者ですら舌を巻く。
彼女は一人で、全てを成し遂げられる。
サインズ王国にとって、ネヴィアは象徴なのだ。
そんなサインズ王国の王女は、あろうことにもそんな質問をしてみせた。
これがどういうことか。
己が選んだ近衛騎士にそれだけの自信があることと同義。
今はこの場に、そのことを指摘できる者はいない。もし仮に、そんな人物がいれば、クラリスは身悶えをしていただろう。
「す、すいません引き分けました……」
「引き分けぇ?」
ファルシアはびくりとした。
絶対に怒られる、と覚悟していたからだ。
だが、クラリスは意外にも、あっさりとそれを受け入れた。
「そ。次は頑張りなさいよ」
「……え、それだけ、ですか?」
「斬首の方が良かった?」
「い! いえいえ! ぜんっぜん! そんなことないです!」
「そっか、ネヴィアが引き分けたのか」
「……も、もしかして駄目でしたか?」
「何言ってんのよ。逆よ。本当に驚いているの。ネヴィアと勝負になる人間が、イグドラシル以外にいるなんて思ってなかったから」
クラリスにとって、ネヴィアはある意味、姉のような存在だった。
そんな人間に対し、引き分けたという事実。言葉では『驚いた』と使ったが、案外、クラリスはショックではなかった。
「やっぱり私の目は狂っていなかったってことでしょ。その調子でイグドラシルともいい勝負しなさい」
「ま、まだ勝てるとは言えませんが……勝負はしたいなって」
「え、私と? いいよー! 今すぐやろ、ファルちゃん!」
酒瓶を片手に、テクテクと歩いてくるのは、第一部隊隊長イグドラシル・クレイヴァース。
もはや様式美と言って差し支えないくらい、彼女は酔っ払っていた。
「あれあれ? クラリス王女じゃん! 酒飲む?」
「私に酒飲ませてみなさい? ネヴィアとユウリが、すぐにあんたのことを捕まえに来るわよ」
「そんなことないって~! ヴィーとユウリが来ても酒! 酒を酌み交わせば、全てが解決するって~」
「ゔぃ、ヴィー?」
「ネヴィアのことよ。昔っからそう呼んでいるみたいよ」
「えっへへ~! 私とヴィーは大親友だからね!」
「大親友……!」
大親友。
その言葉のなんたる魅力的なことか。
ファルシアは元々の内向的な性格も相まって、そういう存在はいない。
それに気づいたクラリスは怒る。
「何、物欲しそうな目してんのよ。私の近衛騎士になったのがそんなに不満なの?」
「いっいえいえいえ! 私、クラリスさんの近衛騎士になれて、嬉しいですよ」
「! は、はぁ!? 何言ってんのよ! そんなんで私の機嫌を取れると思ったら、大間違いよ!」
「ええっ!?」
怒りながら、クラリスの顔は真っ赤になっていた。
クラリスにとって、苦手なことが一つある。それはまっすぐな好意をぶつけられることだ。
彼女は、妬みや嫉妬に慣れている。だが、何の皮肉もない右ストレートに対する防御はない。
「あれあれ~? もしかしてクラリス王女、妬いてる? 酒飲む?」
「飲むわけないでしょこのバッカ!」
「おおぉ!? ファルちゃん、怒られちゃった~! 慰めて~!」
「す、すすすすいません! あんまり言葉、思いつかないです」
イグドラシルの猛烈な攻めに、ファルシアは完全に圧されていた。
彼女の内向的な性格にとって、イグドラシルの言動は完全に毒であった。
それを知ってか知らずか、クラリスは自然とファルシアの前に立つ。
「イグドラシル。なるべく長生きしたかったから、口を慎みなさい」
「ひぇ~……クラリス王女、圧政が過ぎません? もっと笑顔という名の水を与えてみませんか?」
「生憎と私の本音は強烈な劇薬のみよ。あんたの土壌なんて一瞬で枯らすわ」
「あー傷ついた! ファルちゃん、クラリス王女飲もっ! 私の傷を癒やすには酒が一番だよ~!」
イグドラシルはファルシアとクラリスの肩を掴む。
傍から見れば、完全に酔っ払いの絡み。ファルシアとクラリスは振り払おうにも、彼女の馬鹿力によって振りほどくことは出来ない。
混沌とする環境。
イグドラシルとは、嵐だ。ありとあらゆる物を飲み込む暴風。
だから誰でも巻き込むのだ。それが近衛騎士だろうが、王女だろうが。
「あの、イグドラシル隊長? 何をしているんですか?」
現れた。第一部隊にとって、最強のストッパーが。
「や、やほ~ユウリ? お酒飲む?」
「クラリス王女、私はこれから国王に直訴します。罪を作り上げ、この第一部隊隊長を断頭台まで連れて行くことを目標に」
「よ、よ~し! ユウリ分かったよ~? まずは落ち着こう、ね?」
ユウリの目が据わっていた。
それを見たイグドラシルは、流石にマズイと考え、なだめにかかったのだった。




