第35話 ――ここ!
ファルシアはネヴィアに連れられ、訓練場の中央に来ていた。
渡された木剣の感触を確かめる。質の良い木で作られた、実に振りやすい木剣である。
適当に距離をとる二人。
隊員たちはそんな二人を囲うように立っていた。
「何故、団長はファルシア・フリーヒティヒと戦うことに……」
「でも面白そうだよね! どっちが勝つか賭ける?」
「……」
聞き覚えのある声。ユウリは無表情で横を向くと、第三部隊のマルーシャ・ヴェンセノンがピースサインを作って、笑顔を浮かべていた。
ユウリはたった今、見た人間を忘却し、再びファルシアたちへ目を向ける。
「おいおいおーい! 無視!? 無視は流石に酷くないかな? ねえねえ?」
「ヴェンセノンさん、何故ここにいるのですか?」
「マルちゃんだよー。え、何故って……ユウリちゃんと一緒に、可愛いファルシアちゃんの勇姿を見たいから?」
「他を当たってください」
「ひっど! それは酷いよユウリちゃん!? ほら、マルちゃんに構ってよー!」
「構っていられません。団長の剣を見られる貴重な機会です。見逃したくありません」
「それは私もだけどさー」
二人の視線が向く先は、騎士団長ネヴィア。
ネヴィアは木剣を下段に構えていた。対するファルシアは剣を身体の中心で構える。
「それでは始める。ファルシア、いつでも良いぞ」
「は、はい……よろしくお願いします」
言葉は弱々しいが、既にファルシアは戦闘モードに入っていた。
頭の中で、攻めの順序を組み立てる。接近しての袈裟斬り、もしくは突き、はたまた横一文字斬り。
とにかく、まずは近づくことから――。
「――――」
ネヴィアが僅かに剣を上げた。途端、ファルシアは全身が鉛になったかのような『重さ』を感じた。
「かっ……はっ、はっ、はっ、はっ……!」
呼吸のペースが乱れ、息苦しさを感じるファルシア。
彼女は確かに『視えた』。一瞬で接近を許し、首を飛ばされる未来が――!
気づけば、彼女の赤い瞳からハイライトが消失していた。
「よく感じ取れたな。そして、よくぞ耐えた」
(僅かな動作で私に殺気を飛ばした……。すごい、団長さんはやっぱりすごい)
まだ間合いの外のはずなのに。ネヴィアは少しの動作で、ファルシアを牽制してみせたのだ。
彼女はまだ、一歩も動いていない。
ファルシアは左手で胸を押さえ、呼吸を整える。
一部の隊員たちは、首を傾げる。何が起きているのか分かっていないのだ。
一部の隊員たちは、驚きで目を見開く。騎士団長の牽制を乗り越えた近衛騎士に対し、衝撃を受けたのだ。
一部の隊長は、ゲラゲラ笑いながら持ち込んでいた酒を飲み干す。ユウリが思い切り睨む。
一連のやり取りに対し、三者三様の受け取り方があるようだ。
(駄目だ、攻める。このままじゃ、飲み込まれちゃう。これじゃ大事な時にクラリスさんを守れない……!)
そんな中、ファルシアの頭の中はクラリスのことだけだった。
クラリスのことを考えたら、身体の不調は緩和された。それだけで、ファルシアは勇気が湧いてくるのだ。
「ぃぃや!」
ファルシアが大地を蹴る。即座にネヴィアが間合いに入る。たった一度の跳躍で稼げる距離じゃない。魔力による肉体活性化がもたらした結果である。
木剣同士がぶつかり合う。衝撃は風となり、観戦している隊員たちの頬を撫でる。
ネヴィアの意識がファルシアの足へ向く。それを感じ取ったファルシアは即座に後退する。
ファルシアの離脱と同時、彼女のいた場所へネヴィアの剣が通り過ぎていく。
離脱が遅ければ、確実に足をやられていた。
一度距離を取った後、ファルシアはネヴィアの反応速度に驚愕する。殺し合いじゃなくて本当に良かったと感じる。
そんなファルシアの、これからの思惑は一つ。
――ネヴィアの攻撃に合わせ、カウンターを叩き込む。
そう何回も攻撃を仕掛けることは出来ない。
故に、ファルシアは最速で倒す方向を目指し、戦いを組み立てた。
彼女は僅かに前傾姿勢になる。
(思い切りが良い。そして判断力も申し分ない)
経験値、というものは大きな差を生む。
ネヴィアはファルシアが僅かに前傾になった時点で、彼女の行動を看破した。そう、こちらの攻撃に合わせ、カウンターを叩き込むだろうということを。
(流石は先輩。早急にケリをつけることの重要性をちゃんと伝えられている)
ファルシアは戦闘において、どうしようもなく合理的だ。
感情は一切ない。それがより確実に勝てるかどうか、それだけだ。
眼の前の敵を倒そうとする真面目さを感じられる。
(さて、どんな奇想天外な一手が飛び出してくるか)
対するファルシアは一つの手段にたどり着いていた。
(……お母さんがたまに私にやっていたアレ。アレをやる……!)
覚悟を決めたファルシア。最後の攻防を開始する――!
「ぃぃぃやっ!」
ファルシアが再び強靭な足腰を用いて、ネヴィアへの距離を縮める。
彼女は移動の勢いを味方につけた突きを放つ。だが、切っ先は逸らされる。ネヴィアは正確に弾いてみせたのだ。
即座に二度目の突きを敢行する。一度目が胴体で、二度目は肩。高速の二手が騎士団長へ届くことはない。
むしろ、ネヴィアはその二度目の突きへ反撃を行った。
――伸び切った手首へ木剣を当てる。
ネヴィアの正確無比な剣をもってすれば、それは容易い。
剣を落とさせ、そして首へ木剣を当てる。
それが、ネヴィアにとっての勝利の過程。
ファルシアの突きが伸びる。
ネヴィアはその手首へ剣を走らせる。
結果、ネヴィアの方が速かった。突きよりも前に、騎士団長の剣はファルシアの手首へ迫る。
木剣と手首がぶつかる――!
その瞬間、ファルシアは木剣から手を離した。
「――!?」
「この剣の重心は把握しています。だから、この位置と角度で落とせば――」
ファルシアの手から離れた木剣はそのまま落下を開始する。
ネヴィアの剣はまたしても空振る。その間にも、木剣は落下を続ける。
「――ここ!」
ファルシアは足を思い切り振り抜いた。彼女のつま先は、木剣の柄頭を正確に捉える。
まるで矢のように飛ぶ木剣。
そう、ファルシアはネヴィア目掛け、木剣を蹴り飛ばしたのだッ!




