第32話 それが彼女を近衛騎士にした理由ですか
ファルシアが出かけている間、クラリスは己のベッドでゴロゴロしていた。
サインズ王国の王女としてあるまじき行動だが、今は私室に誰もいない。
「……暇ね」
近衛騎士であるファルシアへお使いを頼んだは良い。しかし、その間は誰も話し相手がいない。
この城で、クラリスが『素』を出せる相手は限られている。
別に誰かへ隠すことを求められた訳では無い。これはそう、自分の意地である。
この国の女王になりたくない。
これはかねてより抱いているクラリスの意思だ。
父親の敷いたレールを歩きたくない。しかし、それではいつかこの国の舵を取る人間がいなくなってしまう。
クラリスは分かっている。
ジェームズ王の子供は自分だけ。将来的に、この国を背負って立つことになる。
その立場を放棄すれば、『やむを得ない』ので、誰かが導く存在になるだろう。
それも嫌だった。
この国の未来が、誰かも分からない者の手で導かれるのは、吐き気を催す。
一人になると、思考がよく回る。それが良いか悪いかはさておいて。
だからこそ、彼女は一人呟いてしまった。
「……結局のところ、私はどうしたいのかしらね。ねぇ、あんたも――」
そこでクラリスは口を塞いだ。
今、彼女はいるはずのないファルシアへ呼びかけてしまった。
複雑な感情が渦巻く。出会ってまだ日も浅い近衛騎士へ、自分が語りかけてしまったことを。
彼女の思考を止めるように、扉のノック音がした。
一定のリズム。クラリスはそのリズムで、誰かを察した。
「クラリス王女、ネヴィアです。入っても?」
短い言葉で了承すると、騎士団長ネヴィアが入室した。
「お休みでしたか?」
「ええ、そうね。考え事をしていたわ」
ベッドに寝転びながら、クラリスは答える。
ネヴィアはそれを窘めなかった。彼女と王女の付き合いは長い。王女の人となりを知っている彼女にしてみれば、これは『通常営業』だった。
「私じゃなければ、大恥でしたね」
「ノックの仕方で分かるから、大丈夫よ。そんなヘマはしないわ」
「それなら安心です。最低限、王女として節度ある言動を期待しています。ところで、あの近衛騎士……ファルシアは?」
「ファルシア? 少し動いてもらっているわ。もうちょっとで帰ってくるんじゃないかしら?」
「ほう、王女からの特命ですか。騎士団長として、聞く権利は?」
「ない。口にすることすら憚られるわ」
「なるほど。それならば致し方ありませんね」
ネヴィアは何となく予想がついていた。
王都でしか入手できない物を、確保しに行かせたのだろう。具体的には食べ物。
思わず笑いそうになってしまった。
基本的にクラリスは弱みを見せない。だから、この『特命』は、クラリスの中の好感度をそのまま表している。
「彼女の仕事ぶりは?」
「まだ分かんない。ファルシアっていつもぼーっとしてるから、私が色々と教えてあげないといけないのよね」
そこから、クラリスのワンマントークショーが始まった。
彼女の内気で気弱な態度に対して、色々と不満の言葉を口にする。
しかし、最後はこう言う。
「まぁでも? あいつってば、私の話をいつもちゃんと聞いてくれるし、だけどイエスマンでもない。いい感じよ。それに――」
「それに?」
「あいつは近衛騎士として大事なものを持っている。絶対に逃げない意志を持って、それを貫く確かな実力があるの」
「……なるほど」
ここまで聞いた感想として、ネヴィアはこのように感じた。
――人間嫌いのクラリス王女の中で、ファルシアへの評価はかなり高い。
彼女は疑うことが日常だ。そんな彼女の眼を乗り越え、今に至っているのは衝撃の一言。
ファルシア・フリーヒティヒは決して自分を害しない人間。そういうことなのだ。
だからこそ、ネヴィアはなんとなく、からかいたくなった。
こんな楽しそうに他人のことを話すクラリスは、見たことがなかったからだ。
「なるほど今時点での評価は分かりました。しかし、もし覆るようなことがあれば、言ってください。騎士団長権限で彼女のポジションに物申すことができるので」
ネヴィアは見逃さなかった。
その一言で、クラリスが一瞬硬直したのを。
さり気なく口元に手をあて、ニヤニヤを隠すネヴィア。もう少しだけ遊んでみることにした。
「……ポジションと言えば、彼女は本当に近衛騎士にふさわしいのでしょうか?」
「どういう意味よ?」
「近衛騎士は、王女の生命を護る最後の砦。振る舞いには相応のレベルが求められるでしょう」
「……何が言いたいのよ」
イライラしているのがはっきり伝わる。いつの間にかベッドから起き上がり、腕を組んでいた。
ネヴィアは最後のひと押しをしてみた。
「一度話をしてみましたが、もしあのレベルのままでいられると、王国の威信に関わります。今からでも代わりの候補を――」
「代わりなんているわけないでしょ、この馬鹿ネヴィア!」
とうとうクラリスが怒った。
彼女は立ち上がり、ネヴィアへ詰め寄る。
「私の近衛騎士をやれる奴なんて、あの子しかいないわよ! だって、最初は分からなかったと思うけど、私が王女だって分かっても態度を変えなかった! そんなのあの子だけ!」
「それが彼女を近衛騎士にした理由ですか」
「そうよ! だって安心するもの! 私が私でいてもいいんだって、そう思わせてくれるんだから!」
彼女の激昂はある程度想定していたつもりだった。
だが、これはネヴィアの想像以上だった。煽りすぎたと内心、反省するくらいには。
しかし、同時にニヤニヤも止まらない。
「そう……ですか」
「は? あんた、なんで笑ってるのよ」
流石に様子がおかしいと気づいたクラリス。
ネヴィアが色々と白状すると、今度は顔を真っ赤にしながら、怒りをぶちまけ始めた。




