第31話 お酒の匂いはしませんね
ユウリが到着したのとほぼ同じくらいのタイミングで、第三部隊のマルーシャ・ヴェンセノンがやってきた。
これはイグドラシルと同席していた者が第三部隊に応援を頼んだ結果である。
既に色々と終了していて、後は事後処理だけの仕事だ。
マルーシャが最初に目をつけたのは、ファルシアである。
「お、ファルシアちゃん! ね、久しぶりになるのかな? 覚えてるー? マルちゃんだよ!」
「ひ、ひいぃ! 覚えてます! マルちゃん、ですよね……」
「覚えててくれたんだ! ありがとうね! ……ところで」
ファルシアはマルーシャの言わんとすることが分かっていた。
第一部隊隊長イグドラシル・クレイヴァースがいるのはまだいい。ただ、その部下であるユウリ・ロッキーウェイに怒られているのが不思議だった。
しかし、マルーシャは彼女の予想外のリアクションだ。
「あぁ……イグドラシル隊長がユウリちゃんに怒られているって噂、本当だったんだ」
マルーシャは苦笑していた。
全く事情が飲み込めないファルシア。詳しく聞いてみると、彼女は喜んで教えてくれた。
その間にも、イグドラシルはユウリにこんこんと説教されていた。
「えとね、あそこで怒られている人が第一部隊の隊長さんだってことは知ってる?」
「はっ、はい。さっき話をしました」
「そっか。それは幸運だね」
「幸運……とは?」
「イグドラシル隊長っていつも飲み屋にいるから、大多数の人は隊長と話せないらしいよ。だからファルシアちゃんは相当幸運なのよ」
「な……なるほど?」
「何せ、イグドラシル隊長って『酒が飲めない状況になったら死ぬ!』って言ってるくらいだしね」
イグドラシルは酒が命。
どんな小さなイベントがあろうと、終わったら必ず飲み会を用意する人間であった。
第一部隊の人間は必ず巻き込まれる。そして、そこには上下関係はない。
第一部隊の連携は他の部隊を抜きん出ている。それは彼女の計らいがあるのかもしれない。
しかし、それはそれ、これはこれ。ユウリ・ロッキーウェイにしてみたら、そのような催しは不要の一言で終わるのであった。
「イグドラシル隊長、何度も言っていますが。そのように飲酒に全てを捧げるのは、あまりにも外聞が悪いです。サインズ王国騎士団第一部隊隊長として、もっと節度ある振る舞いをしてもらわなければ困ります」
「とは言ってもねユウリ? 私だってたま~には息抜きをしたいときがあるのよ。ユウリにだって、そういうとき無い? 息抜きの機会は大事だと思うよ?」
「ありません。私たちは国に仕えている身です。常に自己研鑽に努めなければなりません」
「ユウリお堅いが過ぎるよ~!」
「そうではありません。隊長は誉れ高きサインズ王国騎士団第一部隊の隊長なのです。振る舞いには気をつけるよう、常日頃――」
もはやどちらが隊長なのか分からない。いつの間にかイグドラシルは地面に正座をしていた。
対するユウリは絶対零度の視線でイグドラシルを見下ろし、説教を続けている。
その隙をつき、同席していた男たちはその場を後にしようとする。
「――どちらへ? あなた方にも今回の件について、説明をして頂くつもりだったので、離席しないでください」
「イエッサー……」
怒られる人間が増えた。彼らはイグドラシルの後ろで、正座を始める。
そこでユウリはふと、ファルシアの視線に気づいた。
「ファルシア・フリーヒティヒ。貴方もまさか飲酒を……?」
「し、してませんっ! 絶対に! 誓って!」
場所とタイミングが悪かった。
酒場の存在意義を考えれば、ユウリが勘ぐるのも無理はない。
ユウリはファルシアにどんどん近づく。
「ひ……!」
もしかして斬りかかられるのかと、ファルシアは本気で考えてしまった。
彼女は今、隊長への説教で興奮している。
しかし、ファルシアの予想は大きく外れることとなる。
「……え、と、ユウリ、さん?」
ゼロ距離。
すると、ユウリはファルシアの口元に顔を近づける。
「ひ、ひゃあ……!?」
「……お酒の匂いはしませんね。貴方の言葉を信じましょう」
「うっわ……ユウリちゃん、だいたーん」
ファルシアの隣にいたマルーシャが顔を赤くする。彼女のリアクションももっともだった。
ユウリとファルシアの距離はあまりにも近かった。あと一歩踏み出せば、口づけしていてもおかしくはない距離だった。
これが王女クラリスの耳に入れば、激昂する。そのことをまるで考慮していないユウリであった。
「? 何故、ヴェンセノンさんは顔を赤くしているのですか?」
「うぉ……ユウリ、まじで分からないの?」
「どういうことですか隊長?」
酔っ払っているのもあり、イグドラシルはニヤニヤしながらその事実を告げた。
「だってユウリちゃん、見る人によってはチューしに行ったって誤解されちゃうよ~」
ユウリは一瞬だけ硬直した。
だが、すぐに彼女は元の調子に戻る。
「そういうことですか。ファルシア・フリーヒティヒ、謝罪します。そのつもりはありませんでした」
「い、いえいえ。私もびっくりしちゃってすいません……! ……?」
そこでファルシアは気づいた。
「……」
ユウリの耳がほんのり赤くなっているのを。




