第29話 ファルちゃんでいいね!?
この国において、飲酒が許される年齢は二十になってからだ。
ファルシアは十七。全然飲める年齢ではない。飲めば罪に問われる。
だからこそ、彼女は全力で拒否した。
「むっ無理無理無理です!」
「え~何で~? ちょっと飲むだけじゃ~ん」
すると女性は指を鳴らした。まるで全てを理解したかのように。
「誰か分からないから飲めないのかな? 私はイグドラシル・クレイヴァース。皆からは『イグさん』って呼ばれてる。君は?」
「ふぁ、ファルシア・フリーヒティヒ、です」
イグドラシルと名乗った女性は、そこでファルシアの衣服を見る。
そこでピンときたようだ。彼女は笑顔と共に、ジョッキのビールを飲み干した。そして近くにいた酒場のスタッフにお代わりを頼む。
「あれ? じゃあ君が噂の近衛騎士ちゃん? サインズ王国騎士団の服着てるし」
「この、近衛騎士です」
すぐにやってきたジョッキを掴み、ぐいと傾ける。喉が何度も鳴る。イグドラシルは目を閉じ、喉越しを味わっているようだった。
「ぷはぁっ! ファルシ――舌噛む! ファルちゃんでいいね!?」
「はっはい! ファルちゃんです!」
いつの間にか、省略して呼ばれてしまっていたが、そこに口を出す気は起きなかった。
彼女のグイグイくる力に逆らう術はない。流れに従うしかなかった。
ガタガタと震えるファルシア。そんな彼女の肩へ、イグドラシルは腕を回した。
「ひぃぃぃ!」
「? なんでそんな声上げてんの? ほーら飲もうよ~! 君はお酒飲めなさそうだから、ソフトドリンクで勘弁してあげる~!」
すると、イグドラシルは片手を上げた。
「へいマスター! 彼女に炭酸強い飲み物を!」
「カッコつけるなら、まずツケを精算してからだろうが」
「うぇえええ!? それ酷くない!? 差別か!?」
「厳正に公平に扱った結果だよ。諦めろ」
「あっあああの、炭酸強い飲み物を一つお願い、します」
キッカケはどうあれ、輪に入れようとしてくれたイグドラシルに恥をかかせたくない。その一心で、ファルシアは声をあげた。
その心意気が響いたのか、イグドラシルは涙を流していた。
「え、えぇ!? どうしたんすか!?」
取り巻きの男がイグドラシルへ声をかけると、彼女はこう言った。
「だ、だって……初めて、じゃん? こうやって酔っ払ってる私に合わせてくれるなんて、優しすぎない? 天使か?」
「天使ですね。確かに『今』の貴方にこうして合わせてくれるのは中々いませんよ」
「え、えっと……何の、話ですか? 私は鶏の唐揚げを……」
直後、乱暴に酒場の扉が開かれた。
「ここにイグドラシル・クレイヴァースはいるかぁ!?」
何人もの屈強な男たち。
顔や身体に傷が見受けられる男たちの視線は皆、イグドラシルへ集中していた。
「ちっ。嗅ぎつけられるくらいの鼻はあったかぁ~」
するとイグドラシルのテーブルに座っていた男たちの表情が変わる。
「今度は何やったんですか?」
「ん~? よその酒場で飲んでたときにね? 店員の女の子に言いがかりつけてたから、ぶっ飛ばした」
「何で名前知ってんですか……」
「名乗ったからに決まってんでしょ~が」
「はぁ……貴方って人は。おい、隙見て第三部隊呼んでこい。ただし、『あの子』には絶対見つかるなよ」
「分かってますよ。俺たちも怒られちまう案件だ」
そんなやり取りをしている内に、屈強な男たちはイグドラシルのテーブルへ近づく。
左目に眼帯をした男がイグドラシルの前に立つ。
「おい、俺を覚えてるか?」
「ん~? 覚えてるよ。一緒に飲みたいの?」
「テメェにつけられたこの傷の礼に来たんだよ」
そう言うと、男は眼帯を取った。左目には縦一閃の傷が入っていた。
(え、このお姉さんすごい……。眼球に当たらないよう皮膚を斬ったんだ)
失明した様子はない。左目には光があった。
深くもなく、浅くもない、確実に『痕』が残る斬り方。
狙ってやったことだと、剣を振り続けているファルシアは断定できた。
「お~イカすじゃん。勲章! って感じでさ」
「側に立てかけてる剣を取れ。俺たちはお前を八つ裂きにしてやらないと気が済まねぇ」
男たちは腰の剣に手をかけながら、そう言う。
「酒場で武器抜くのは無しじゃない? 前は拳で殴り合ったでしょ」
「うるせぇ。こっちは手段を選ばねぇぞ」
開戦の危機。
ファルシアはどう行動すべきか考えた。
きっと、このお姉さんがどうにかしてくれるから、静観。
自分が間に入って、仲裁。
どうすれば良いか、頭がグルグル回る。
――あんたは、あんたのやりたい通りにやりなさい!
商業都市ビイソルドでクラリスに言われた言葉が、自然とファルシアを動かしていた。
「だっ駄目ですっ! 皆の迷惑に、なります」
「ファルちゃん……」
ファルシアは男たちの前に立ち塞がり、イグドラシルを庇うように両腕を広げた。
突然の乱入者。そればかりか、自分よりも弱そうな奴が、物申してきた。その事実が、男を激昂させる。
眼帯の男はギロリとファルシアを睨む。
「正義の味方ごっこは他でやった方が良かったなぁ!」
そう言いながら、眼帯の男は腰の剣へ手をやる。
「喧嘩の相手は私だろうが」
イグドラシルがいつの間にか眼帯の男の懐に立っていた。
眼帯の男は剣を抜けなかった。剣の鞘で、自分の剣の柄頭を押さえられていたからだ。
ファルシアの瞳は、その神速の業を捉えていた。
剣を抜くという行為は秒単位で行われる。イグドラシルは、それを上回る速度でその動作を封じ込めにかかった。
力量差は明らか。
ファルシアは自身の戦力と比較してみた。実戦経験豊富な彼女でさえ、勝敗の予想はまるでつかなかった。
「お姉さんって一体……」
「お前、知らないで話してたのか」
ファルシアに声をかけたのは、イグドラシルの近くで飲んでいた男だった。この男もサインズ王国騎士団の制服を身につけている。
「あの人は、最前線部隊であるサインズ王国騎士団第一部隊をまとめ上げる存在。そしてサインズ王国騎士団どころか、サインズ王国内でも最上位に君臨する剣士」
男は一拍おき、彼女の名を口にした。
「サインズ王国騎士団第一部隊隊長、イグドラシル・クレイヴァース殿だ」




