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エリザベスは食材を揃えて調理を開始している。今夜はスパゲッティ、オニオンスープ、ツナサラダ、シフォンケーキを作ろうとしていた。一人では間に合うのか不安だったので、親友で同じチアリーディング部のベッキーを家へ呼んでいた。
「これを鍋に入れて、沸騰させれば良い?」
ベッキーはまだ洗っても、皮を剥いてもいない玉ねぎを鍋にぶち込もうとしている。
「ちょ、ちょっと、玉ねぎは洗ってから、皮を剥いて、お願い」
エリザベスは人選ミスに今更ながら気づいた。思い返せば、これまでベッキーから料理の話を聞いたことが無かった。自分からお願いしたので、帰ってもらうことは出来ない。
「ベッキー、まず野菜を洗ってもらえるかしら」
一先ず簡単な仕事を頼み、ケーキの材料を計る。お菓子を作る際に最も大事な事は、レシピに従う事である。料理に慣れている人でも、目分量で薄力粉を入れて、上手く作れないことがある。その点、エリザベスはきっちりしている。慎重に袋を傾けて、誤差が出ない様には仮のメモリを注視する。
「エリザベスっ!」
驚いた拍子に、薄力粉がブワッと出た。粉塵が顔一面に広がる。気管に詰まって、息が苦しい。
「けほっ、べ、ベッキー、何よ?」
「れ、レタスの中に虫がっ」
顔面蒼白で、青々しい葉っぱを指差している。顔を近付け隈なく探すと、二ミリに満たない青虫がいただけであった。殺すのもかわいそうだったから、小指にのっけて、外に出してあげた。
「もう、ベッキー、たかが青虫じゃない。床も掃除しないといけないし…はぁ」
「たかが!エリー、虫はうねうねしていて気持ち悪いのよ。まだいるかもしれない、殺虫剤をすべての野菜にかけましょう」
「何言っているのよ!私達料理をするのよ。家族全員死んじゃうわ」
結局ベッキーは、床にばら撒かれた薄力粉を、ちりとりで掃く係に代わり、エリザベスが野菜を洗う作業を引き継いだ。
普段から料理を行なっていることもあって、エリザベスの手際は、凄まじかった。掃き掃除を終えたベッキーが、何か手伝おうかと提案してきたが、これ以上キッチンで騒ぎを起こして欲しくなかったので、室内の飾り付けを頼んだ。
四時半、後一時間半でパーティは始まる。ツナサラダ、オニオンスープを作り終えて、エリザベスはパスタを茹でていた。ベッキーは不器用ながらにも、風船や折り紙で作った輪っかの飾りで、部屋の中を彩っていた。
チャイムが鳴る。パスタを茹でているので、目を離せない。
「ベッキー、出てもらって良いかしら?」
「了解」
パスタがお湯の中で揺れ動いている。スパゲッティはウィルの大好物なので、腕の見せ所だ。
「ねー、エリー、週刊テキサスの営業の人が来ている」
玄関からベッキーが戻って、連絡してくれる。
「うちは、週刊誌取らないわよ」
「オッケー、伝えてくる」
どたどた、慌ただしい音を立てて、玄関へ戻って行く。パスタは茹で時間で全てが決まる。長すぎるとふにゃふにゃで、短すぎると固い。適度な時間、これが大切。
「エリー、週刊テキサスは他の雑誌とは違うって、言っているよ」
「ベッキー、うちは興味ありません。帰ってもらって」
少しイライラしていた。黄金の時間はもう直ぐだ。タイマーの合図と共に、湯あげする。これを逃せば、最高のスパゲッティは出来上がらない。神経を研ぎ澄ます。
「なんか、週刊テキサスの人が…」
「今それどころじゃないのっ!それに週刊テキサスって評判悪いわよ。芸能人の不倫だとか、闇の噂だとか下らない話題を取り上げて、挙げ句の果てに、最近はオカルト特集ばかりして、一円も払う価値無い」
言い終えたと同時にタイマーが鳴る。パスタを懇切丁寧に湯切りして、乾燥防止の為オリーブをかける。完璧だ。満足したエリザベスはベッキーの方を見る。
「ごめんなさい。感情的になってし…」
ベッキーの斜め後ろに、営業スーツを纏った男が縮こまっていた。
「えーっと、エリー。この人が一度お話しだけでもって言うから、上げちゃった。なんか駄目だったみたいだね」
「ご迷惑おかけしましたーー!」
営業マンは慌て気味に玄関へと逃げ去っていく。もう二度と来ません、そう言い残してエバンス家を後にした。
エリザベスは恥ずかしくて、堪らなかった。
「なんで、教えてくれなかったの」
「いや、伝えようとする前にエリーが叫んだから」
うー、エリザベスの記憶の中に、また一つ傷が付いた。彼女は何年も前に起きたことでさえ、夜に思い出しては寝られなくなるほど、繊細な心の持ち主なので、今回の出来事も繰り返し脳内再生されることだろう。
それから、二人はただ黙々と各々の作業をこなした。エリザベスは卵黄に、砂糖、牛乳、薄力粉を加えて掻き混ぜた。とにかく気持ちを紛らわせたかった。